第110回 正社員の誕生と日本的働き方モデル

今日現在、このブログの動く字幕に「雇用は正社員が当たり前の社会をつくっていきましょう!」というスローガンが掲げられています。

これはパート・アルバイト・派遣・契約などが増え続ける現状にストップをかけるための至極当然の要求です。しかし、「正社員が当たり前」になれば「正社員」という特別な雇用身分はなくなります。その意味でこれは「正社員をなくせ」というラジカルな要求でもあります。

野村正實氏の『日本的雇用慣行』(ミネルヴァ書房、2007年)によれば、戦前の日本では、「職員」と「工員」の間に歴然とした雇用身分上の差別があり、また職員の間には「社員」(高等教育卒の男性)と「準社員」(中等教育卒の男性)の差別がありました。女性は高等教育を受けていても、大企業には採用されず、中等教育を受けていても、長期勤続を期待される「準社員」にはなれず、短期勤続の「女子事務員」として雇用され、会社の構成員とは見なされていませんでした。

戦後は、性による差別は残りましたが、学歴に結びついた職員と工員の差別も、社員と準社員の差別も表向きはなくなりました。したがって、今日使われている意味での「正社員」は、戦前の社員と同じものではありません。

久本憲夫氏は「正社員の意味と起源」(『季刊 政策・経営研究』2010年、Vol. 2)で、「正社員」という用語が一般化したのは1980年前後だと述べています。国会図書館のデータベースでは「正社員」という用語を含む最初の雑誌記事は1977年に出ています。このことは、1970年代から80年代初めにかけて、低賃金で有期雇用の「パート社員」が増加するなかで、長期雇用で賃金や福利厚生でも恵まれた一般社員が「正社員」として観念されるようになったことを物語るものと考えられます。

しかし、うがった言い方をするなら、このことは、総雇用者中の女性雇用者の比率が高まるなかで 、勤続期間が短く、賃金が低く、定型的・補助的な労働を担うことが多い女性社員に比して、勤続期間が長く、年功賃金の昇給幅が大きく、管理職に昇進可能なゆえに、会社人間 として猛烈に働く(働かされる)男性社員が「正社員モデル」として定着したことをも意味していると考えるべきです。ちなみに、国立国会図書館のデータベースの雑誌記事索引で検索すると、「会社人間」という用語が登場するのも「正社員」と同じく、1980年前後であることがわかります。

この正社員モデルは、社会保障や企業福祉の分野では、「男性稼ぎ主モデル」あるいは「片稼ぎモデル」と呼ばれています。ここには、日本の社会制度は、男性が稼ぎ主で、専業主婦である妻と子どもを養うという仮構の上に組み立てられてきたということが含意されています。労働時間から見ると、家事労働もせずに長時間のサービス残業も辞さずに、過労死と背中合わせに働く男性が正社員の働き方モデルでもあります。

労働者にとって望ましい働き方は、会社人間の男性正社員のような働き方ではありません。とすれば、会社人間的な働き方を労働者に強いる雇用は、当たり前の雇用、あるいはまともな雇用ではありません。次回にもう少しこのことを考えて見ましょう。

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