3月11日の東日本大地震の発生以来、何人もの海外の親戚・友人・知人から見舞いのメールや電話をいただきました。『ワーキング・プア――アメリカの下層社会』(岩波書店、森岡孝二・川人博・肥田美佐子訳、岩波書店、2007年)の著者であるデビッド・K・シプラーさんもその1人です。
彼から「大阪があの地震と津波のあった場所から遠いことは分かっていますが、あなたや友人や家族の安否のことを心配しています」、という震災見舞いのメールが届きみした。それに私が返信すると、「安心しましたが、ひどい状況に心が痛みます」というメールがありました。さらに3度目のメールには、3月17日にオンライン・マガジン、The Shipler Reportに寄稿したエッセイが添えられていました。
書き出しは「広島は、北日本の破損原子炉から遠くて安全な距離ですが、私の気持ちのうえではすぐ近くにあります。核兵器で攻撃された唯一の国が66年後のいま原子力の平和利用による脅威に直面しているのは、あまりにも不公平です」となっています。
これは東電福島第一原発の原子炉事故から、2007年5月の来日時に訪問した広島に思いを馳せた文章です。シプラーさんは、前掲の著書の邦訳が出版された折に来日され、5月15日にNHKのクローズアップ現代「ワーキングプア―アメリカからの警告」を収録(放送は17日)され、夜は東京の岩波ホールで講演。17日に関西大学経済学部で講演。そして翌18日は広島に行かれ、その夜はエルおおさかで「働き方ネット大阪」主催の講演会に臨まれる、というハードスケジュールのなかの広島訪問でした。
本題に戻ります。シプラーさんの広島エッセイを読んだ私は、彼に、3月19日に、今回の原子炉事故の報道では、「被曝」という言葉が頻繁に使われながら、これまでのところ、広島、長崎の被曝のことはまったく語られていません、と書き送りました。
その後、朝日の小さな紹介記事に出ていた大江健三郎氏の『ニューヨーカー』への寄稿記事(3月28日号、ネットには3月23日時点で掲載されていた)を読む機会がありました。そのなかには、次のように書かれています。
「地震や津波やその他の天災と同様に、広島の体験は人類の記憶に刻み込まれるべきです。それはまさに人為であるがゆえに、これらの自然災害以上に劇的な大災害です。原子炉を建設することを通して、人間の生命への同じ冒涜を繰り返すことは、広島の犠牲者の記憶への考えうる最悪の裏切りです」。
それにしても、いまにいたるも、日本のマスメディアではこの種の評論や記事がまったくと言っていいほど出ない状況をどう考えればいいのでしょうか。シプラーさんからは原発に対する日本の世論はどうなっていますか、と尋ねられいます。反原発あるいは脱原発の世論が高まっているのは確かでしょう。だとしても、何か浅いところで議論がされているように思われてしかたなく、いまだに返事をしかねています。