第330回 連合は溺れる安倍内閣に救いの手を差し伸べてどうしようというのでしょうか。

連合執行部が2年以上前から国会にかかっている「残業代ゼロ法案」(「高度プロフェッショナル制度」)を容認する姿勢に転じたと報じられています。これが先般固まった「時間外労働の上限規制案」と一体化されて、あらたな政労使合意案として、秋の臨時国会に上程されるとも言われています。
私は、この春以来、「働き方改革」をめぐる講演の結びでつぎのように語ってきました。すなわち、政府のいう「時間外労働規制」は、労働基準法の原則からも過労死防止の見地からも容認できるものではない。しかし、連合が合意したことによって、労働界の力でこれを阻止することは難しくなった。とはいえ、政局は「一寸先は闇」と言われ。安倍内閣の支持率がいつどんなことで大きく下がるかわからない。自民党が総選挙で負けそうな状況になれば、労働時間制度の改悪は見送られる可能性もある、と。
実際、今月に入って、森友学園問題、加計学園問題、大臣発言、都議選の結果などによって、安倍内閣の支持率が大きく下がってきました。「安倍内閣はもはや死に体」とも評されています。このままいけば、労働時間制度の改悪も頓挫しそうな状況になってきたと言えます。
そういう情勢のなかで、にわかに浮上したのが安倍内閣による連合執行部の取り込みです。あるいは連合執行部の安倍内閣への擦り寄りと言い換えることもできます。いずれにしても、連合はなぜ溺れる安倍内閣に救いの手を差し伸べるのでしょうか。わけがわかりませんが、近く発表される第2次合意によって、安倍内閣が民進党の反対を封じ込めようとしているのであろうことは、容易に推察できます。
安倍内閣と連合の接近、というより抱擁は、今に始まったことではありません。今日の朝日新聞が書いているように、連合は安倍内閣と経団連が設けた土俵に上がって時間外労働の上限に「合意」した時点で「ルビコン川を渡った」と考えられます。同じ土俵で一体的に議論されてたA案とB案のうち後者は受け入れるが、前者は拒否するというのはそもそもできない相談というか、筋の通らない話です。
連合は「残業代ゼロ制度」に対する「修正要望」として、年間104日以上の休日の確保を義務づけるほか、労働時間の上限設定、勤務間インターバル休息の付与、2週間連続の休暇取得などの複数の選択肢から、各社の労使がいずれかの健康確保措置を選べるようすることを求めています。
しかし、これは、2015年1月にまとまった労働政策審議会の「今後の労働時間法制等の在り方について」という報告骨子に示されていた健康確保措置と大きく異なるものではありません。そこでは「労使委員会における5分の4以上の多数の決議で定める」ものとされていましたが、その点もほとんど違いません。
そもそも一定の収入(賃金)以上の労働者を対象に、時間外労働に対する割増賃金の基礎としての労働時間の概念をなくし、かわりに「健康管理時間」を置くという制度設計に無理があります。労働時間がないのに、どのようにして「労働時間の上限」を設定するというのでしょうか。例の「実行計画」では「時間外労働の上限規制」が言われていますが、「残業代ゼロ制度」の修正要望で「時間外労働」と言わないのはもともと、「時間外労働」の概念をなくすことが、この制度の眼目であるからです。そういうややこしい問題を抜きにして言えば、これまでの経過から見て、ここでいう「労働時間の上限」とは、単月では272時間未満、週平均63時間未満を意味すると推察されます。なんとも複雑怪奇な制度設計です。
最後に、年間104日以上の休日の確保が義務づけられたらどうなるでしょうか。その場合は年365日から104日を引いた261日は、何時間働かせても違法ではないことになります。仮に261日を毎日12時間働くと「労働時間」は年3132時間に達します。実際にはそんなことはほとんど不可能です。それは死ぬほど働くことを意味します。追加的な健康確保措置(過重労働防止策)から何か選択されたとしても、過重労働が大幅に削減される保障はありません。
こういう恐ろしい制度に労働組合が合意してはなりません。連合傘下の主要産別の幹部からも異論が出ていると言います。長時間過重労働に歯止めをかける労働組合の役割を投げ捨てるに等しい「合意」の見直しを強く求めます。(7月13日朝、後半を一部修正しました)

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