第129回 広島・長崎を忘れなければ福島の惨禍はなかった

前回は大地震と大津波の後の東電福島第一原発の事態を念頭に、「原子炉の損傷事故と広島・長崎の被曝」について書きました。その意図は、事故発生から20日近く経つのに、日本のマスメディアでは広島・長崎の被曝と福島原発の被曝を関連づける論評がほとんどないことへの疑問を提起することにありました。

同じ日に、本ブログからMBSが2008年11月16日に放映したドキュメント「映像08」の「なぜ警告を続けるのか〜京大原子炉実験所、“異端”の研究者たち〜」の録画サイトにアクセスできるようになりました。このドキュメントは8月6日の広島の原爆ドームの映像から始まります。2年以上前に製作された作品であるにもかかわらず、内容はまるでいま進行中のメルトダウンを予告していたかのようで衝撃を受けました。それとともに原発の危険性を告発してきた研究者たちの勇気に頭が下がる思いがしました。この研究者たちと記録制作者たちの目は、広島・長崎を忘れたとことが福島の惨禍を生んだことを、見抜いていると感じました。

マスメディアにもようやく広島と福島を結びつける論評が見られるようになりました。3月29日の朝日新聞には、加賀乙彦氏が、81歳の作家と医師の目から、福島原発の被害は、……原子爆弾の惨禍によく似ている」と書いています。ただ、残念なことに、「原発の破壊を復旧」する必要は言っていても、前回紹介した「原子炉を建設することを通して、人間の生命への同じ冒涜を繰り返すことは、広島の犠牲者の記憶への考えうる最悪の裏切り」という大江健三郎氏の視点はないように思われます。

3月31日の朝日夕刊には、90歳に近い哲学者の鶴見俊輔氏が、第2次大戦の終わりに「米国が軍事上の必要なく日本に落とした二つの原爆」に触れ、その記憶を今回の惨害に重ねています。その文章は日本の150年の近代と米国従属の65年を論じて入り組んではいますが、結論は明瞭です。「もともと地震と津波にさらされている条件から離れることのない日本に原子炉は必要か」。結論はここに示されています。

なお、ネットの「産経ニュース」に<「被曝」と「被爆」は違う>という解説記事が出ています。「被曝」は放射能にさらされること、「被爆」は爆撃をうけること、原水爆の被害を受けること、というわけで、両者は違うということが強調されています。短い解説に注文をつけるのもどうかと思いますが、あの原爆の惨禍もいまの原子炉の惨害も「被曝」という点では違わないことに注意を喚起してほしいと思います。


 

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