第266回 水町さん、労働時間の規制を外して残業の上限をどのように規制するというのですか?

「残業代ゼロ法案」と呼ばれている労働時間規制の適用除外制度の検討が議論を呼んでいます。

今回の案は、第一次安倍内閣の時に検討されて見送られたホワイトカラー・エグゼンプション(WE)の焼き直しです。前にも述べたように、前回の案は、二つのウソで固められていました。一つは、対象者となるホワイトカラーはブルーカラーと違って「自律的な働き方」をしているというウソです。もう一つは労働時間の規制を外せば、もっと「自由で弾力的な働き方」が可能になるというウソです。

今回の焼き直し版は、これらのウソに加えて、さらに二つのウソで上塗りされています。その一つは、賃金を時間ではなく成果で支払うようにすれば労働時間は短くなるというウソです。もう一つは、新たな制度は労働時間の上限を規制することを前提にしているというウソです。

そんなことが気になっていたときに、東大の労働法学者で規制改革会議の雇用ワーキング・グループ専門委員である水町勇一郎氏が「西日本新聞」のインタビューで語っているのを読んで、びっくりしました。というより呆れました。記事の文面は本人の確認を得ているはずです。このブログの「情報資料室」に全文をアップしておきましたから見てください。

水町氏は、「法律で決められた労働時間の枠を除外するWE導入の狙いは何か」という質問に答えて、(この制度の導入によって)「日本の職場に時間を意識しながら効率的に働き、仕事をなるべく早く終えて帰るという意識が広がれば、女性も働きやすくなるし、夫も家事や子育てに参加できる。企業には、不必要な残業代を支払わなくて済む可能性もある」と言っています。要するに、新たな時間制度が導入されると、労働者は早く家に帰ることができ、企業は残業代を払わずにすむ、どちらにとってもウインウインだというのです。若者ならウッソー!と言うでしょう。

また、水町氏は、「労働時間の規制がなくなれば、長時間労働を助長するのではないか」という質問に対して、規制改革会議の提言にも産業競争力会議の提言にも、「労働時間の上限設定が盛り込まれている」と答えています。規制改革会議の議論では具体的には時間外労働を「月80時間とか100時間」までに抑制することを想定していたようです。

月80時間の残業を12か月続ければ、年間の労働時間は3000時間を超えることになります(40時間×4.3週×12か月=3024時間)。それがどうして規制といえるのでしょうか。

労働安全衛生法や厚労省の過重労働対策では、残業(時間外労働)が月100時間または2〜6か月平均で月80時間を超えた労働者に対しては、事業者は健康管理のために産業医による面接指導を実施しなければならないとされています。また過重労働による健康障害の労災認定基準では、1か月100時間、2〜6か月平均で月80時間を超える残業は、脳・心臓疾患や精神障害を発症させるリスクが高いとされています。水町氏の言う「月80時間とか100時間」という残業制限の目安はこうした数字が元になっています。つまり、残業時間は「過労死ライン」を超えない範囲で制限します、言い換えれば死ぬ直前まで働いてもらいます、ということです。

労働法学者の水町氏が知らないわけはありませんが、厚労省の過重労働対策では、残業は「月80時間とか100時間」で制限すればよいという水町氏の見解と異なって、「月45時間を超えて時間外労働を行わせることが可能な場合でも、健康障害防止の観点から、実際の時間外労働は月45時間以下とするよう努めましょう」とされています。なぜ45時間を上限としますと言わないのでしょう。

問題はそれだけではありません。労働基準法では労働時間の規制はもともと1日8時間・1週48時間が基準になっていました。それが1987年の改正で、1週40時間・1日8時間となり、40時間制への移行と引き替えに、1日8時間は週労働時間の割り振りの基準に落とされ、変形労働時間制が一挙に拡大されました。

人間の生活は1日24時間の自然日のリズムに制約されています。電灯が発明され、情報化が進み、24時間ビジネスが広がった今日でも、「昼は活動して夜は休息や睡眠をとる」というリズムは、人類200万年の歴史によって刻み込まれた身体時計として生きています。労働時間の規制は1日を単位として行われなければならない理由もここにあります。1週間の規制も1日の規制があってこそ意味を持ちます。

にもかかわらず、1日でも1週でもなく、1か月の労働時間、それも法定外労働時間を基準にする水町氏の見解は、理解に苦しみます。現行の36協定は1日15時間の残業(法定8時間+休憩1時間+延長15時間=24時間労働)も受容しています。だからといって、まる3日も休まずに働かされれば、人は斃(たお)れます。この場合、1日の規制がなければ、1か月の規制は何の意味もありません。

もっと初歩的で基本的なことでも、水町氏の見解は「無理が通れば道理が引っ込む」の見本です。働きすぎによる健康障害を防ぐ基本は、労働時間の適正な把握と管理です。しかし、さしあたりは一定以上の年収の労働者に限ってであれ、労基法に特例を設けて労働時間の規制を適用除外にしてしまえば、労働時間の把握や管理の法的根拠はなくなります。そればかりか、残業という概念もなくなります。にもかかわらず、「規制を外して規制をする」というのは論理矛盾です。

36協定で認められる労働時間の延長については、いちおう1週15時間、1か月45時間、1年360時間などの限度基準が設けられています。労働時間の規制を言うなら、労基法の適用除外ではなく、まずはこうした残業時間の限度基準を特例による抜け道を認めない厳格な基準にすることを求めるべきです。

1947年に制定された労基法は、もともと18歳以上の女性の残業を1日2時間、1週6時間、1年150時間に制限していました。これらの規制は1997年の男女雇用機会均等法の改正にともない、99年4月から撤廃されることになりました。しかし、女性にとって有害であることのほとんどは男性にとっても有害です。女性は1日8時間が望ましいが、男性は1日10時間でもかまわないなどということはありえません。そう考えると、1日の生活リズムを重視した労働時間規制のあり方としては、男女の別なく残業を原則として1日2時間までに制限し、法定労働時間を実効性のあるものにする方向を模索するべきだと思います。EU諸国ではとっくの昔にこれが当たり前になっています。

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