第9回 欧州司法裁判所が画期的判決。企業には全労働時間を客観的に把握・記録する義務あり!
(W)今回は、「注目のニュース – 労働時間記録 使用者に義務 EU司法裁が判決 各国に法制化求める (5/16) https://hatarakikata.net/modules/hotnews/details.php?bid=729」に刺激されて取り上げたテーマです。ECJ判決全文や、英語やイタリア語の関連ネットニュースで情報を集めました。乏しい英語力のために誤解や誤訳があるかもしれません。その結果、エッセイというよりは、情報をまとめた「中間レポート」といった内容です。
〔1〕欧州司法裁判所(ECJ)の画期的判決(5/14)
□2019年5月14日、欧州司法裁判所(ECJ)※は、企業は従業員の労働時間を追跡し、記録しなければならないとする画期的判決を下しました。
※欧州司法裁判所は、英語ではEuropean Court of Justice(略称:ECJ)。ルクセンブルグに所在し、欧州連合(EU)の条約等の解釈・適用問題を取り扱う最高司法機関のことです。
裁判所(ECJ)は、すべての労働者は、労働者の健康の保護等に関するEU法令によって定められた?最大労働時間数、?毎日および毎週の休憩時間に対する基本的権利を持っていることを重視し、労働者が、この権利を主張するためには、使用者が、残業だけでなく、すべての労働について客観的に把握し記録する義務を負うと判断しました。なぜなら、全労働時間が使用者(企業)によって体系的に記録されて初めて、労働者は、時間外労働を定量化し、それについて自分の権利であることを確認できるからです。
この判決の実際的な結果として、EU内のすべての企業は、従業員の毎日の労働時間を詳しく記録できるシステムを作らなければなりません。EU諸国は、EUの労働時間規制を確実に遵守させるために、使用者(企業)に対して客観的時間把握のためのシステムを作らせることが求められます。もし、関連した国内法が不十分であるときには、法改正を含む法令整備が必要となるのです。
この判決への反応は、相当に大きなものです。EU諸国(ヵ国)で大きく報道されただけでなく、アメリカのマスコミ(NewYofkTimesなど)も判決について速報記事を掲載しました。
〔2〕判決に至る経過 ドイツ銀行(スペイン子会社)の残業代不払い
このECJ判決に至る経過は次の通りです。
訴訟は、スペインの労働組合ナショナルセンターであるCCOO(労働者委員会)が、スペインの全国管区裁判所(Audiencia Nacional)に提起したものが出発点になりました。その後、マドリードの全国管区裁判所(最高裁判所)はそれを予備審判(preminary ruling)のためにECJに付託したのです。なお、今回判決文には、CCOO以外に、FES-UGT、CGT、ELA、CIGなど、他のスペインの労働組合(ナショナルセンター)が訴訟参加者(ntervener)として記載されています。
〔3〕裁判での争点 労働時間を記録しないことはEU法違反か
労働側(CCOO)の主張では、企業(ドイツ銀行 Deutsche Bank ATM in Seville)がスペインで行った労務管理には、従業員の労働時間を記録するメカニズムが欠如しているということが争点となりました。つまり、企業(ドイツ銀行)が、従業員の働いた時間を正確に把握しておらず、そのためにいEUが定める労働時間規制を遵守することができていないという主張です。そして、「スペイン法は、企業に毎月の残業時間に関する情報を労働組合代表に与えることを要請しているが、従業員の働いた記録がないので、企業(ドイツ銀行)が、残業に関するEUの法規制を遵守しているか否かを検証することが不可能になっている」と主張しました。
これに対して、企業(ドイツ銀行)側は、スペイン法では使用者による労働時間把握について厳しい規制がなく、残業だけを把握すればよいとなっている。つまり、企業としては、スペインの国内法に従った労務管理をしていたに過ぎないと反論したのです。
実際には、労働時間全体の規制が十分にされないために、残業時間の把握も客観的されていませんでした。残業は労働者の自己申告によるとされていました。企業に対して弱い立場にある労働者の自己申告では、どうしても正確な把握が難しくなります。その結果、労働時間の把握が十分にされないという状況が広がっていたのです。
こうして、企業側の対応やスペイン法が、EU法に違反すると主張する労働側(CCOO)と企業側(ドイツ銀行)が対立することになり、スペインの裁判所(最高裁判所)が、EU法との抵触についてEUの司法裁判所(ECJ)に判断を求めることになったのです。
〔4〕労働時間規制と規制から逸脱したEUの現実
EUでは、2003年の労働時間指令(2003/88/EC)で、週の最長労働時間(残業を含む)48時間、勤務間に11時間以上の休息(インターバル)をおくことなど、日本とは違って高い水準での労働時間規制が定められています。
※なお、2003年労働時間規制第22条は、個人の同意によって規制を除外すること(オプト・アウト)も認められていますが、要件は厳しいということです(井川志郎「EU労働時間指令2003/88/ECの適用範囲と柔軟性」日本労働研究雑誌No.702(2019年1月)17頁以下参照)。なお、労働者からの規制適用への復帰(オプト・イン)の自由が保障されています。
実際には、EU諸国は法定労働時間や年次有給休暇の水準が高く、OECD諸国の中でも最悪に近い日本の状況と比較することはできません。しかし、産業分野や、OECDの中でも国によっては、日本と類似した長時間残業が問題になっているのも事実です。とくに、イギリスがEUの中でも残業・長時間労働が多く、「オプト・アウト」もイギリスのために定められた制度ですが、「2017年には、18の加盟国が利用するに至っている」ということです(井川・前掲論文22頁)。そして、ドイツなどの労働時間が短いとされる国を含めて、銀行などの一部の事務サービス業や、新たな産業部門であるIT業などでは、健康や生活に悪影響がある程度に長時間の労働に従事する例や、日本の「サービス残業」に類した不払い残業の状況も広がっているということです。2017年のドイツの残業時間数は21億時間で、その半分が未払いだった、と連邦政府は報告しています( https://www.thelocal.de/20190515/german-employees-working-hours 参照)。DGB執行委員会のメンバーであるアンネリー・ブンテンバッハ(Annelie Buntenbach)さんは、不払い残業によって「使用者らは1年間で約180億ユーロ(≒2兆2,073億円)をポケットに入れている」と指摘しています。
※なお、雨宮紫苑「『ドイツ人は残業しない』説の大いなる誤解」(東洋経済オンライン https://toyokeizai.net/articles/-/233538 )参照。
〔5〕ECJ判決:企業側主張に同意せず、労働側主張を支持
こうした中で、EUの労働組合の中では、EUの労働時間規制が実効的に適用されていないという問題が議論され、それへの取り組みの一つとして、このスペインにおけるドイツ銀行の事例が位置づけられたのです。
裁判で、組合側は、労働時間を把握する記録システムを作る義務は、スペインの国内法だけでなく、基本的権利を定めるEU憲章と、EU労働時間指令からも生じていると主張しました。これに対して、企業(ドイツ銀行)側は、スペインの法律の下ではそのような一般的な義務は存在せず、毎月末に残業時間の記録を残すことだけを要求していると主張したのです。スペインの裁判所がECJに提供した情報では、スペインでは残業時間の53.7%が記録に残されていないということです。
ECJは、EU基本権憲章の下で、すべての労働者は限られた時間しか働かず、毎日と毎週の休息をとる権利を与えられていることを確認しました。そして、EU加盟国は、労働者に与えられた権利から労働者が実際に恩恵を受けることを確実にすることが必要であるとし、また、労働者は雇用関係においてより弱い当事者と見なされる必要があり、したがって、労働者自身が権利を自己制限(サービス残業など)をしないようにする必要があると判示しました。最後に、ECJは、EU諸国の政府は、「各労働者の毎日の労働時間を測定することを可能にする客観的で信頼性の高い、アクセスしやすいシステムを設定するように、使用者(企業)に要求しなければならない」と述べました。
企業(ドイツ銀行)側は、スペインの国内法は、そのような労働時間の把握と記録化を義務づけていないと反論していましたが、ECJは、この反論に同意せず、そのようなスペイン法では、EUの基本権憲章および労働時間指令によって労働者に与えられた権利の有効性を保証できないと判断しています。さらに注目できるのは、職場での安全衛生のより良い保護を確保するという指令の目的も、労働時間に関する記録なしには十分に評価できないとも判断したことです。
〔6〕ECJ判決の意義と実際の影響
こうしたECJ判決の結果、すべてのEU加盟国は、使用者(企業)に対して、各労働者の毎日の労働時間を測定することを可能にする「客観的で信頼性が高く、利用しやすいシステム」を設定するように求める必要があることになりました。
ただ、そのようなシステムの実施について、ECJは各国に裁量権を認めました。つまり、働いた労働時間を確認するシステムの実施、とくにシステムの形態は加盟国次第であるとしたのです。具体的には、産業部門の特性や、事業規模などの特性を考慮に入れて加盟国が一定の幅で裁量をもって自ら確立する必要があるということになります。
現実には、作業時間を記録する義務は国によって異なっています。イギリスでは、使用者は労働者が週48時間以上労働していないこと、および夜間勤務に関する規則が遵守されていることを示すために「適切な」記録を保持しなければなりません。しかし、イギリス法では、毎日および毎週の休息期間が守られているかを示すためにデータを記録することは明示的に求められていません。今回のECJ判決によれば、この点は改めることが必要になりそうです。もっとも、現在、イギリスは、EUからの離脱そのものが問題になっています。それでも、離脱までは他の加盟国と同様にECJ判決に従わなければなりません。(→Michael Thaidigsmann https://inhouse-legal.eu/public-policy-regulations/mandatory-recording/)
また、「労働時間」については、EU労働時間規制やECJ判決でも明確に定義されていません。そのことから、法律家からは、今回のECJ判決が、実際上、広範囲に影響を及ぼすかもしれないという指摘もされています。つまり、「従業員の毎日の労働時間を体系的に記録する義務」と言っても、職場外で行われた仕事関連の活動がどの範囲まで労働時間として記録する必要があるかのかという問題が生じます。例えば、「朝食中に業務関連のEメールをチェックすること」、「退勤後に上司に電話をかけること」は、「労働時間」ということになりそうです。
〔7〕労働側の反応:判決を歓迎
欧州の労働組合は、今回のECJ判決を歓迎しています。
CCOO事務総長(JoséMaríaMartínez氏)は、判決により「残業詐欺に取り組むための道具」を手に入れたと述べました。また、ドイツ労働総同盟(DGB)は、声明の中で、この判決は「定額労働」と呼ばれるものに終止符を打つものであるとし、不払い残業時間が「長年の間に容認できないほど高いレベルで」あったと指摘しました。
(図)ECJ判決を伝えるCCOOのポスター
〔8〕経営者(使用者)の反応:厳しい評価
使用者団体であるドイツ産業連盟(BDA)は、このECJ判決について、「21世紀のタイムレコーダーの再導入に反対する」と表明しました。労働時間を記録する義務は、(企業ではなく)労働者、とくに柔軟な労働時間制のときには労働者自身にあると主張しています。つまり、今回のECJ判決は、労働者を信頼して給料を支払う「典型的な名誉システム」(=柔軟労働時間制)を希望する「柔軟に働きたい労働者」のためにならないと言うのが経営者側に共通した議論です(この点は、日本の経営者の考え方と共通していると思います)。
〔9〕ゲーム業界の反応:現状打開への契機
これに対して、長時間労働が問題となっているドイツのゲーム産業所属ライターのハイドン・テイラーさんは、労働者の勤務時間を追跡するシステムの確立を求めるECJ判決は、ヨーロッパのゲーム業界における過度の時間外勤務と「クランチ文化」※を否定するかもしれません」と指摘しています。これは注目に値する指摘です。
※東亜日報日本語版(2017年8月7日「クランチモードの過労死」)によれば、「一部の情報技術(IT)会社とゲーム会社でソフトウェアやゲームの発売を控えて「クランチモード(Crunch Mode)」という名で、週末もない労働と残業を強いられる。クランチモードとは「締め切り直前の重要な期間」という意味の「クランチタイム(Crunch Time)」から出てきた言葉だ。
テーラーさんは、「ゲーム業界では、一見して終わりのないクランチ問題を伴っているが、「(ゲーム)業界のクランチは、文化的および法的問題の両方です。EU労働時間指令は開発者を過労から保護するために技術的に保護していますが、現在それを強制する手段はありません」。そして、「この判決は理論的には開発者を搾取的な(労務)管理慣行から保護するのに役立つ」と指摘しています。
〔10〕小括: ECJ判決と「日本の働き方改革」
(1)日本では、「働き方改革法」(2018年)で、労働基準法の労働時間規制が改められました。これはドイツのゲーム業界で、長時間労働がまん延し、それによる過労が大きな社会問題になっている状況と共通しています。しかし、「働き方改革」とは名ばかりで、長時間残業是正と言いながら、月80〜100時間の過労死ラインを残業上限とする法改正でした。まさに、「これでは過労死をなくせない」と批判される内容です。違反には刑罰が適用されるということから、厳しい上限規制を嫌った使用者(企業)の要望に応えた内容でした。働く労働者を保護するという「労働尊重」の考え方よりも、「企業優先」の考え方が前面に出た法改正であったとしか言えません。
(2)そして、「労働尊重より企業優先」の考え方から、労働時間規制をほぼ全面的に適用除外する「高度プロフェッショナル制」(高プロ制)導入が、過労死家族を先頭にする強い反対を押し切って強行されました。日本経団連など使用者団体は、さらに、裁量労働制拡大の要望を継続して示しています。また、現在、政府は「副業拡大」や「雇用によらない働き方」の議論を進めています。これらに共通しているのは、労働時間の管理や記録を労働者の「自己責任」とする考え方です。その点では、ドイツの使用者団体(BDA)が、ECJ判決批判で主張した考え方とも共通しています。
(3)EUの労働組合などは、長時間労働から労働者を保護するためには、労働時間そのものの客観的記録が重要であると問題提起をしました。そして、欧州司法裁判所(ECJ)は今回の判決で、「各労働者の毎日の労働時間を測定することを可能にする客観的で信頼性の高い、アクセスしやすいシステムを設定するように、使用者(企業)に要求しなければならない」と判示して、EU諸国(現在、加盟28ヵ国)にそれを求めたことは注目しなければなりません。
(4)日本の「働き方改革」法では、過労死ラインの長時間労働を許容し、また、高プロ制などの過労死につながりかねない働き方を新たに認めています。従来の、裁量労働制で働く労働者の長時間労働問題も指摘されています。そこで、2018年の法改正では、過労死ラインで働くことを「事前に防止するのではなく」、労働者が長時間働いたときには「事後的」に産業医の面接指導などの『健康確保措置』が定められることになりました。労働者が、危険な過労死ラインの長時間労働をすることを許容しながら、過労死しないように「健康確保措置」を定めるという、「本末転倒」と言える、余りにも酷い法規制です。そして、この措置との関連で、労働時間の記録については、労基法ではなく、労働安全衛生法上、使用者の義務とされました。各労働者の毎日の労働時間の管理・記録は、労働者ではなく、企業に責任があることを再確認したECJの今回の判決は、きわめて正当な判断です。日本の政府や経営者が追及する方向とは正反対の方向です。
(5)労働組合が企業を超えて産業別に組織され、日本とは比較にならないほど強い力をもっているEUでさえ、産業部門によっては長時間労働やサービス残業が問題になっています。EUと比較して日本では労働側が余りにも弱いために、過労死や過労自死がなくならないという悲惨な状況が改まらず、むしろより酷くなろうとしています。こうした日本では、EU以上に強力な労働者保護措置が必要です。労働者の生命、健康、生活を尊重するためには、使用者(企業)の責任回避を許さず、「各労働者の毎日の労働時間を測定することを可能にする客観的で信頼性の高い、アクセスしやすいシステムを設定すること」を企業(使用者)の義務とするべきだと思います。
【主な参考情報】
□EU裁判所・判決文14 May 2019 (*)
□DW_ECJ: EU employers must track working time in detail
□What yesterday’s EU court ruling means for the games industry
□New York Times EU Court: Employers Must Measure Working Time in Detail