政府・厚労省では聞き慣れない「労使コミュニケーション論」と呼ばれる議論が昨年(2025年)1月に公表された「労働基準関係法制研究会」報告書で展開されています。
同報告書は、労働組合がない企業が増える中で、労働時間や賃金などの労働条件のルールを従来の「労働組合による団体交渉」だけでなく、労使の対話と合意によって柔軟に決める仕組み(労使自治)として、事業場や企業単位の「労使協定」を重視する方向を提示しています。
これについて筆者は、この議論には、ILOや欧州諸国の労働組合の役割を最も重視する世界の動向に反するという批判的な立場を示しました。(「国際的動向から問われる日本の労働基準」経済2025年4月)このエッセイでは、「労使コミュニケーション論」が、労働基準法などに違反した企業を処罰から免れさせる「免罰型労使協定」を重視することの問題点を考えることにしました。
2026年7月16日 swakita
裁量労働制拡大と密接に関連する「労使コミュニケーション」見直し論
高市首相は2025年11月、自民党総裁に選出された際に「働いて働いて・・・働く」「ワークライフバランスを捨てる」と述べ、さらに、2026年2月の施政方針演説において、「働く方々のお声を踏まえ」として、裁量労働制の見直し(拡大)を突如表明しました。これに呼応するように、厚生労働省の「労働基準関係法制研究会」や、首相直轄の「成長戦略会議労働市場改革分科会」において、労働時間規制の緩和(裁量労働制の見直しなど)と一体のものとして「集団的労使コミュニケーションの在り方」の見直しが位置づけられています。
裁量労働制拡大が当面の労働関連政策の「目玉」とされていますが、それと裏腹の密接な関連で、中長期的には「集団的労使関係」そのものを実質的に形骸化させる狙いがあると思います。たしかに、2026年7月初めの段階では、高市首相・与党は、自身の偏った考え方にかかわる政策である「国旗損壊罪導入」、「皇室典範改正」、「議員定数削減」などを野党の反対を無視して強硬なやり方で進めようとしています。しかし、この夏以降には、「2019年働き方改革の見直し」(いわゆる「働きたい・働かせたい改革」)が、経営者団体の執拗な要望を受けて本格的に議論されることが予想されます。
この議論において政府・財界が提示するシナリオは、次のようなものです。
「働き方が多様化し、一律の工場法型の時間規制はそぐわない。したがって、法令はシンプルな原則のみを規定し、具体的な労働条件や代替措置は、各企業・事業場の実情に合わせて労使の話し合い(合意)によって柔軟に決定できるようにすべきである。そのために、職場における労使コミュニケーション環境を整備する」。
実質的な対等性も、専門的な知識も、不利益取扱いからの身分保障もない過半数代表者に、国家法をクリアするための「形式的な合意」だけを行わせ、結果として過労死基準を超える長時間労働や「みなし労働」を合法化していく——これが、高市政権の進める「労使コミュニケーション論」の本質です。これは、労働基準法などによる労働者保護の最低基準を絶対的なものとして遵守するのではなく、切り下げる方向で相対的で曖昧な「ソフト・ロー(ガイドラインや企業内合意)」に大きく後退させ、実質的に解体していくプロセスに他なりません。
一見すると、労働者の主体性や「労使自治」を尊重するかのようなこの論理は、戦後日本の労働法制を根底から覆す極めて危険な「欺瞞」に満ちています。
「労働者の声を」改革の根拠とできるのか?
第一に、高市首相が労働政策に関して主張する「働く方々のお声」が根拠という言説そのものが欺瞞的です。厚生労働省が実施した「働き方改革総点検」などの調査結果(2026年3月)を見ても、労働時間を「増やしたい」と回答した労働者はわずか1割程度にすぎません(下の表参照)。その理由(複数回答)を尋ねたところ、「たくさん稼ぎたいから」が約41.6%で最多でした。これは現在の労働時間が少ない傾向にある層や、残業代がなければ家計を維持できないといった経済的要因が背景にあると考えられます。 なお、時間外労働の上限(原則月80時間・年720時間など)を超えてまで「増やしたい」と回答した人は約0.5%にとどまり、上限緩和を求める労働者の声は極めて限定的であることが浮き彫りになっています。その理由の多くは「残業代がなければ家計が維持できない」という経済的強制によるものです。
| 問:労働者が現在の労働時間 (残業等を含む)を今後どうしたいか | 回答(割合) |
|---|---|
| 現状のままでよい | 約59.5%(約6割) |
| 減らしたい | 約30.0%(約3割) |
| 増やしたい | 約10.5%(約1割) |
とくに、裁量労働制の拡大を執拗に求めてきたのは、一貫して日本経団連などの経営者団体です。これに対して、過労死家族の会だけでなく、労働組合の中央組織(連合・全労連)や日本労働弁護団などの労働人権団体は過労死を助長するものとして一貫して猛反対しています。
規制緩和の「免罪符」ー「労使コミュニケーション」見直し論の本質
第二に、より根本的な問題として、この労働時間規制緩和の「免罪符」(隠れ蓑)として持ち出されているのが、「労使コミュニケーションの恒常的かつ実質的な体制確保」という論理です。
「労使協定」を介した規制緩和拡大政策
2025年9月、厚生労働省の労働条件分科会(第203回)において、「集団的労使コミュニケーションの在り方(過半数労働組合・過半数代表者等)について」と題する資料が提示されました。高市政権はこれを足がかりとして、労働基準法が定める労働者保護規定を、事業場単位の「労使協定」によってより広範に骨抜きにする制度改革を進めようとしています。
これまで1987年の「裁量労働制」導入をはじめ、労働時間規制の「弾力化」は、日本独自の事業場単位の「労使協定」の仕組みを通じて進められてきました。労働基準法には、法定労働時間の最低基準の切り下げを容認する「36協定」(時間外労働協定)制度が「例外的」に含まれていました。これには、国際基準に反する後れた制度として労働組合だけでなく労働法専門家から強い批判がありました。しかし、1980年代後半からの規制緩和政策では、この「労使協定」を通じて規制緩和を正当化する、法的「免罪符」として機能してきたのです。
政府・厚生労働省が、昨年から推進しようとする「労使コミュニケーション」論は、この規制緩和の「免罪符」とされた日本的「労使協定」を「例外」から「原則」に転換することが、その内実だと思います。 とくに、日本経団連などが強く求めている裁量労働制の拡大は、現行法が対象業務を法令で厳格に限定列挙している構造を壊し、「過半数代表者との合意」や企業内の「労使委員会」の決議があれば、法律改正なしに企業単位で対象業務を拡張できるようにする仕組み(業務設定のデロゲーション)の創設です。これが認められれば、ソリューション営業や、グループ企業の間接部門を集約したシェアードサービス業務など、実質的に裁量の余地がない広範なホワイトカラー労働者が「定額働かせ放題」の罠に追い込まれることになってしまいます。
「免罰型労使協定」——日本特有の仕組み
36協定の免罰的効力
日本の労働基準法第32条は、1日8時間・週40時間を超えて労働者を働かせてはならないと定め、これに違反した使用者には6か月以下の懲役または30万円以下の罰金という刑事罰を科すと定めています(第119条)。この規定は、労働者の健康と生命を守るための「強行規定」です。 ところが同法第36条は、こう定めます。「使用者は、当該事業場に、労働者の過半数で組織する労働組合があるときはその労働組合、労働者の過半数で組織する労働組合がないときは労働者の過半数を代表する者との書面による協定をし……これを行政官庁に届け出た場合においては、……第32条から第32条の5まで若しくは第40条の労働時間……に関する規定にかかわらず、その協定で定めるところによって労働時間を延長し、又は休日に労働させることができる」と。
つまり、この過半数代表との協定を行政官庁(労働基準監督署)届け出さえすれば、使用者は法定時間外に労働させても刑事罰を免れることができます。これが「36協定」と呼ばれる制度の核心であり、法学的には「免罰的効力」と呼ばれます。
日本の労働基準法第32条は、1日8時間、週40時間の労働時間を定め、これに違反した使用者には刑事罰(6ヶ月以下の懲役または30万円以下の罰金)を科すという、極めて強い「強行規定」の体裁をとっています。しかし、同法第36条は、労働者の過半数で組織する労働組合(ない場合は過半数代表者)との間で書面による協定を締結し、これを行政官庁(労働基準監督署)に届け出た場合、その協定の範囲内であれば労働時間を延長しても刑事罰を科さないという例外を設けています。これが「36協定の免罰的効力」です。この「免罰」というのは、法違反をした使用者に適用される罰則が適用されないという意味です。
36協定以外の「労使協定」制度の増大
労働基準法が定める第36条の過半数代表との労使協定が最も代表的な「免罰型労使協定」であるが、労働規制の緩和の日本的な方法として、36協定に類似した過半数代表との協定が労働法以外にも拡大してきた。現在では、労働安全衛生法、育児・介護休業法、労働者派遣法、および雇用政策や助成金要件に関連する規定において、過半数労働者代表が関与する制度が導入されています。以下、主な制度と、行政官庁への届出義務の有無、主な要件や特徴などを、以下の通り一覧表として整理して見ました。以下の行をClickして下さい。
| 根拠法令 | 規定 条項 | 制度・協定・意見聴取等の名称 | 手続きの 区分 | 行政官庁(労基署等)への届出義務 | 主な要件・特徴 |
|---|---|---|---|---|---|
| 労働基準法 | 第18条第2項 | 労働者の貯蓄金管理に関する協定 | 労使協定 | 必要 | 従業員の委託に基づき、任意で貯蓄金を預かる「任意貯蓄」制度を導入する際に締結。強制貯蓄は全面禁止。 |
| 労働基準法 | 第24条第1項ただし書 | 賃金控除(法定控除以外)に関する協定 | 労使協定 | 不要 | 購買代金、社宅費、組合費など、税金や社会保険料以外の賃金控除を行う際に締結。 |
| 労働基準法 | 第24条 | デジタルマネーによる賃金の支払いに関する協定 | 労使協定 | 不要 | 給与をデジタルマネー(電子マネー等)で支払う制度を導入する際に締結。 |
| 労働基準法 | 第32条の2 | 1カ月単位の変形労働時間制に関する協定 | 労使協定 | 原則必要(※1) | 1カ月以内の期間を平均して週40時間以内の範囲で、特定の日の労働時間を延長可能とする制度。 |
| 労働基準法 | 第32条の3 | フレックスタイム制に関する協定 | 労使協定 | 原則不要(※2) | 始業・終業時刻を労働者の決定に委ねる制度。清算期間が1カ月を超える場合のみ労基署へ届出。 |
| 労働基準法 | 第32条の4 | 1年単位の変形労働時間制に関する協定 | 労使協定 | 必要 | 1カ月超1年以内の期間を平均し、週40時間を超えない範囲で変形労働時間を設定する制度。 |
| 労働基準法 | 第32条の5 | 1週間単位の非定型的変形労働時間制に関する協定 | 労使協定 | 必要 | 規模30人未満の小売業、旅館、飲食店等において、1週間単位で日ごとの労働時間を調整する制度 。 |
| 労働基準法 | 第34条第2項ただし書 | 休憩の一斉付与の除外に関する協定 | 労使協定 | 不要 | 一斉休憩の原則を適用せず、交代制などの異なる休憩時間を設定する際に締結。 |
| 労働基準法 | 第36条 | 時間外労働・休日労働に関する協定(36協定) | 労使協定 | 必要 | 法定労働時間(1日8時間、週40時間)を超える時間外労働や休日労働を合法化する免罰的効果を発生させるために届出が必須。 |
| 労働基準法 | 第37条第3項 | 代替休暇に関する協定 | 労使協定 | 不要 | 月60時間を超える時間外労働の割増賃金の引き上げ分に代えて、有給の代替休暇を付与する制度。 |
| 労働基準法 | 第38条の2 | 事業場外労働のみなし労働時間制に関する協定 | 労使協定 | 原則必要(※3) | 事業場外で業務を行い労働時間の算定が困難な場合、通常必要な時間を労働したものとみなす協定。 |
| 労働基準法 | 第38条の3 | 専門業務型裁量労働制に関する協定 | 労使協定 | 必要 | 専門業務の性質上、遂行方法を大幅に労働者の裁量に委ねる際、協定した時間労働したとみなす制度。 |
| 労働基準法 | 第38条の4 | 企画業務型裁量労働制にかかる委員会の決議 | 労使委員会決議 | 必要 | 本社等の企画・立案業務に従事する労働者を対象とする裁量労働制。労使委員会の決議と届出が必要 。 |
| 労働基準法 | 第39条第4項 | 時間単位の年次有給休暇に関する協定 | 労使協定 | 不要 | 年5日を上限として、時間単位での年次有給休暇の取得を可能とする制度。 |
| 労働基準法 | 第39条第6項 | 年次有給休暇の計画的付与に関する協定 | 労使協定 | 不要 | 年次有給休暇のうち5日を超える部分について、計画的に付与日を決定して一斉取得させる制度。 |
| 労働基準法 | 第39条第9項 | 年次有給休暇中の賃金に関する協定 | 労使協定 | 不要 | 年次有給休暇取得日の賃金を、健康保険法上の「標準報酬日額」に相当する額で支払うための制度。 |
| 労働基準法 | 第90条第1項 | 就業規則の作成または変更に伴う意見聴取 | 意見書 | 必要(届出時に添付) | 就業規則の届出時において、過半数代表者等の署名または記名押印のある意見書の添付が義務づけられている。 |
| 労働基準法 | 第95条等 | 寄宿舎規則の作成または変更に伴う意見聴取 | 意見書 | 必要(届出時に添付) | 事業場に寄宿舎を設置している場合、寄宿舎規則の作成・変更にあたり過半数代表者からの意見聴取が必要 。 |
| 労働安全衛生法 | 第17条〜19条 | 安全委員会・衛生委員会(安全衛生委員会)委員の推薦 | 推薦 | 不要(※4) | 委員会を構成する委員のうち、事業者以外のメンバーの過半数について、過半数代表者による推薦に基づき指名する 。 |
| 育児・介護休業法 | 各条項 | 育児・介護休業などの適用対象外に関する協定 | 労使協定 | 不要 | 雇用期間1年未満の従業員など、育児休業や介護休業等の取得除外対象者を限定する際に締結。 |
| 労働者派遣法 | 第26条等 | 派遣先の派遣可能期間延長に関する意見聴取 | 意見聴取 | 不要(手続として必須) | 派遣先が同一の事業場において派遣可能期間(3年)を延長しようとする際、派遣先の過半数代表者から意見を聴取する手続 。 |
| 労働者派遣法 | 第30条の4第1項 | 同一労働同一賃金に関する派遣元労使協定 | 労使協定 | 必要(定期報告等に添付) | 派遣先均等・均衡方式の例外として、派遣労働者の賃金等を同種一般労働者の平均賃金以上とする協定 。 |
| 助成金関連制度 | 雇用調整助成金要件 | 雇用調整助成金に関する休業協定 | 労使協定 | 必要(支給申請時に提出) | 景気変動等の理由により企業が休業を実施し、助成金の支給を国に申請する際に合意が必要とされる協定 。 |
| 助成金関連制度 | キャリアアップ要件 | キャリアアップ計画書に関する意見聴取 | 意見聴取 | 必要(計画書提出時に添付) | 有期契約労働者等のキャリアアップ計画書を作成・提出するにあたり、過半数代表者からの意見聴取が要件化 。 |
(※1) 1カ月単位の変形労働時間制は、労使協定による導入以外に就業規則によっても導入可能であり、その場合は就業規則変更届(意見書添付)による届出となる。
(※2) 清算期間が1カ月以内のフレックスタイム制は、労使協定の締結自体は必要だが、労働基準監督署長への届出は免除されている。
(※3) 事業場外労働に関する労使協定は、みなし労働時間が法定労働時間(1日8時間、週40時間)以下である場合は、労基署への届出は不要である。
(※4) 常時50人以上の労働者を使用する事業場においては、安全衛生委員会の設置自体に関する直接の報告義務はないが、産業医、安全管理者、衛生管理者を個別に選任した場合には、選任から14日以内に「選任報告」を所轄労基署へ届け出なければならない。
この一覧表に掲載した労使協定は、違反に罰則が定められている場合、使用者は協定締結と行政官庁への届出によって罰則の適用を免れる「免罰的効力」を持っています。この「免罰型労使協定」は、日本だけのきわめて独特な法制度です。国家法である労働基準法が定める基準は、個々の契約当事者の意思で結ばれた契約を無効とする「強行法規」であり、罰則によって担保された最低基準のはずです。しかし、労働基準法は、同法自体が「例外」として事業場単位に締結された労使協定によってであれば、使用者は、「最低基準を下回る基準」で労働者を働かせても法違反とならず、罰則の適用を免れるのです。
【フロー図】「免罰型労使協定」による強行法規の空洞化メカニズム
形骸化した労働者代表の手続きが、いかにして国家法の「刑事罰付き最低基準」を骨抜きにするか(デロゲーションの構造)
1日8時間・週40時間など、違反者には「刑事罰」を科すことで労働者のいのちと健康を強力に担保する。
組合のない職場で使用者に指名された代表者や、実態の伴わない派遣労使協定方式の署名による形式的な合意形成。
書類の届出のみで刑事罰が解除され、過労死基準の長時間労働や「裁量労働」による不払労働が合法化(空洞化)される。
国際的には類例のない「免罰型労使協定」
この免罰的効力をもつ労使協定という仕組みは、国際的に見たとき極めて特異なものです。欧州諸国の労働時間規制においては、法律が定める上限を超えて働かせることは、原則として公法上の健康保護義務違反であり、企業の経済的利潤を相殺するほどの巨額の「過料」や「制裁金」が科されます。 欧州諸国では、労働時間の国家法上限は「公衆衛生上の義務」として位置づけられており、例外を認める場合でも、強力な代表性を持つ産業別労働組合との労働協約に限定されるのが原則です。例外を認めることを「デロゲーション」(適用除外)と呼びますが、その条件は極めて厳格です。(※ 欧州ではEU時間指令で上限週48時間、韓国では勤労基準法で週52時間の法定時間外労働の上限が枠をはめています。)

欧州諸国でも労働時間の例外は存在しますが、それは強力な代表性を持つ産業別労働組合との交渉や、厳格な司法・行政の事前審査をクリアした「公法上の健康確保」を大前提としたものに限られます。ところが日本では、労働組合がない職場でも、民主的な選出手続きの保障すら不十分な「一従業員」である「過半数代表者」が署名すれば、刑事罰が消えてしまいます。労働者を守るための法律の「壁」を、使用者の指名した代表者の署名一枚でくぐり抜けられる——これが日本独自の「免罰型」労使協定の実態です。このような特異な制度は、世界に類例がありません。次の表に日本と欧州諸国を比較して大まかな違いを整理して見ました。(これについては、次回のエッセイでより詳しく調べる予定です)
| 項目 | 日本(36協定等) | 欧州諸国の原則 |
|---|---|---|
| 締結主体 | 未組織職場では「過半数代表者(一従業員)」でも可 | 代表性ある産業別労働組合に限定 |
| 効果 | 刑事罰の免除(免罰的効力) | 労働協約による規律(上限の範囲内) |
| 事前の客観的要件 | 不要(届出のみ) | 必須(経済的・技術的理由の証明等) |
| 行政・司法の審査 | 形式的受理のみ | 厳格な司法審査や仲裁プロセス |
| 国家法上限の位置 | 協定で事実上突破可能 | 絶対的強行規定として維持 |
このように高市内閣や与党が提起する労働規制緩和政策を考えるとき、日本の労働基準法が抱える固有の構造的欠陥、すなわち「免罰型労使協定」の仕組みの活用という視点が不可欠だと思います。ところが、厚労省が提起する「労使コミュニケーション論」には、こうした「免罰型労使協定」の本質的な問題点については言及がないまま、むしろ「免罰型労使協定」を基軸に労働法制全体を再編する意図があるのではないかと思えるのです。
「過半数労働者代表」選出の形骸化
さらに、「免罰型労使協定」制度の根本的な問題は、協定の相手方となる「過半数労働者代表」選出が形骸的かつ非民主的な実態にあることです。その実態的問題点については、厚生労働省自身も認めざるを得ないほど酷いものです。
労組組織率が高い時代に導入された「過半数労働者代表」制度
労働基準法は、第二次大戦直後の時代(1947年)に、組織率がかなり高い労働組合の状況を前提に設計されたものです。労働省(厚生労働省の前身)が「労働組合基礎調査」を開始した最初の年(1947年)のデータで、労働者の約半数近くが組合に加入していました。2年後の1949年には、歴史上最高値となる 55.8% を記録しています。1947年当時、日本の労働組合は「企業単位」で結成される「企業別組合」が主流(全体の9割以上)であったため、「労働組合数」と「組合がある企業の数」はほぼ同義であったと推測できます。
当時「日本全国に存在した全企業(事業所)のうち、何%に組合があったか」という正確な分母(総企業数に占める割合)の統計データは、1947年時点の労働組合基礎調査には含まれていません。ただ、数値から言える実態として、当時は大企業や主要な工場・官公庁を中心に急速に組合が組織され、「雇用労働者の約45%がカバーされていました。主要な企業の多くに労働組合が存在している状況でした。したがって、労働基準法の「36協定」制度による最低基準を切り下げ可能にする重大な問題点(欠陥)も、「過半数労働組合」が過半数代表であったことで、その弊害が実態として緩和される面があったと言えます。
労組組織率が大幅低下した現在の「過半数代表者」選出実態
しかし、その後、日本における労働組合の組織率は大きく低下し続けました。現在では、労働組合の組織率は約16%にとどまっています。その結果、労働組合が存在しない「組合なし企業」が8割を超えており、厚生労働省の調査によれば、全事業場のうち「過半数労働組合がある」割合はわずか8.2%、「過半数代表者の選出がある」割合を合わせても全体の約59%にすぎず、残り4割超の事業場では過半数代表すら存在しない状況です。特に小規模事業場では過半数代表者を選出しなかった最大の理由が「労使協定等に関する手続が発生しなかったから」(57.6%)であり、必要に迫られた場合にのみ形式的に選出するという実態が浮かびあがります。

政府の報告書では、「モニタリング」や「デロゲーション(規制緩和・代替)」を適正に行うために、過半数代表者や新たな労使協議機関に重い役割を持たせようとしています。 しかし、2018年のJIL調査によれば、事業所における「過半数代表者」の選出率(存在率)は、規模に比例して乖離が激しく、規模が「9人以下」の事業所では35.7%にとどまり、「100~299人」では92.7%に達するとされています。 2025年に実施された調査(JILPT調査)によれば、全体として過半数代表者が「いない」と回答した事業所は36.0%に上り、その選出しなかった理由として、56.6%が「労使協定や就業規則の手続きが発生しなかったため」と回答しています。過半数代表者の選出方法のうち、「使用者(事業主や会社)が指名」した割合が13.6%、「親睦会の代表者等が自動的になる」が2.4%と、合わせて16.0%の事業場で選出が「適正に行われていない」状況が明らかになっています。

しかも「信任」によって選ばれた場合、候補者の決め方については「使用者(事業主や会社)が候補者を決める」が60.6%に達しています。つまり、形式上は「選挙」や「信任」であっても、その候補者を使用者が決めているケースが過半数を占めているのです。さらに深刻なのは、過半数代表者の3分の1以上(34.5%)が、「協議や意見集約は行わず、使用者の指示に従って協定書にサイン等をしたのみ」だったと回答していることです。これは、「過半数代表者」が実質的には使用者の「ハンコ押し係」として機能している実態を如実に示しています。

現在の日本の職場全体を考えると、事業場(職場)単位の過半数代表者の選出実態は極めて貧弱で形骸的であり、多くの場合、民主的な代表の選出ができていません。管理職による指名、親睦会の代表の自動スライド、あるいは回覧板に署名させるだけの形骸化した選出が横行しており、会社から提示された36協定や裁量労働制の決議書に、内容も理解できないまま署名・捺印させられているのが現場の実態です。
「ひび割れた職場」と矛盾する「過半数代表」制
日本の労働現場の「ひび割れた職場」化
現代の日本の職場は、デイビッド・ワイル教授(ボストン大学)が「ひび割れた職場(Fissured Workplace)」と呼ぶ構造が急速に拡大しています。同じ職場に、正規社員・派遣労働者・有期契約労働者・業務委託(フリーランス)など、まったく異なる雇用形態の人々が混在する状況です。この「ひび割れた職場」は日本だけでなく、世界の労働現場に現れている深刻な状況の問題を提起し、その改善を重要な課題として示す議論です。これについては、この連続エッセイの「第85回 すべての労働者を代表する労働組合、京都放送労組の取り組みに学ぶ」に紹介していますので参照して下さい。

日本の労働組合の組織率は2024年時点で推定16.1%にとどまり、長期にわたって低下が続いています。しかも日本の労働組合の大部分は企業別組織です。この企業別労働組合は、正規社員のみを組織対象とすることがほとんどで、同じ職場には多様な有期雇用やパートタイムやアルバイト労働者だけでなく所属会社(=使用者)が異なる派遣労働者や下請労働者、また、個人請負労働者(フリーランス)などが存在します。この正社員以外の労働者が企業別労働組合に組織されることはきわめて例外的です(エッセイ第85回で取り上げた京都放送労組は貴重な例外と言える労組です)。その結果、日本の労働組合は、この「ひび割れた職場」で働く多様な労働者の全体を代表する機能を持っていません。(表「ひび割れた職場」と免罰型労使協定の問題構造、参照)

こうした状況の中で、36協定などの「免罰型労使協定」は、職場のすべての労働者に法律的効力を及ぼします。つまり、使用者が指名した「過半数代表者」が協定書に署名することで、派遣労働者を含む職場全体の時間外労働が「合法化」されるのです。代表する側に選ばれる機会がほとんどない非正規労働者も全員その協定に縛られる——これはきわめて不公正な構造です。
派遣労働者の「過半数代表者」ー理解し難い派遣元単位の労使協定
「ひび割れた職場」における過半数代表者制度の矛盾が際立つのが、「派遣元事業場単位の36協定」です。
まず、現行労働者派遣法第44条によれば、労働基準法が定める「36協定」などの免罰型労使協定を含む「労使協定」が派遣労働者が実際に就労する「派遣先事業場」単位でなく「派遣元事業場」単位で締結されることになっています。派遣労働者は、たしかに労働契約(雇用契約)を派遣会社(派遣元)と締結する形式になっています。たしかに、現行労働者派遣法上、派遣労働者の労働契約関係は派遣元との間にあります。そして、36協定は「法定労働時間を超えて労働契約上の義務を免罰的に拡張する」性質もあるため、雇用関係のない派遣先が36協定を結ぶことはない、とされているのです。
しかし、派遣労働者が実際に働くのは派遣先職場であり、派遣先の指示にしたがって残業をふくめて労働時間に関連する指示を受けています。本来、派遣先の職場組織に組み込まれて働くのが派遣労働の特徴です。法定時間を超えて働かせたときには、労働基準法違反の責任を問われるのは実際に指示を出した派遣先事業主です。「雇用と使用の分離」という労働者派遣特有の構造的矛盾陥が、免罰協定という日本特有の仕組みと組み合わさることで、いかに「現場なき虚構の合意」を生み出しているかという構造的矛盾が、虚構的な「派遣元事業場単位の36協定」に集中的に表れているのです。派遣元は形式的には雇用主ですが、実際に残業を指示する使用者ではありません。
労働法では事実を優先して法の実効性を図り、労働者を保護することが大原則です。この視点からは、免罰的効力をもつ36協定を「派遣先事業場単位」で締結して、労働者全体の声を代表する過半数代表の選出に派遣労働者自身が参加できるように法改正することが論理整合的です。

派遣元事業場は、一部の派遣会社の業務に従事する従業員を除いて、大部分があちこちの派遣先職場に分散して働いている派遣労働者が派遣元(派遣会社)の会議室などで一堂に会して話し合ったり、選挙を通じて民主的に労働者代表を選出する例は聞いたことがありません。過去40年間、厚労省や派遣業界が労働者代表の民主的選出のモデル事例を示したこともありません。
派遣労働相談などを通じて聞いた例では、派遣会社(=使用者)の意思に沿う候補者(多くは一部の直接雇用従業員や会社が事前に特定した人物)をあらかじめ指名し、その候補者を「メール、郵便やファックスなどを通じた信任投票」を行っているとのことです。「反対・異議の返信がない場合は、信任したものとみなします」と一斉配信・郵送する手法です。これでは厚生労働省が示す民主的な代表選出とは言えません。つまり、派遣労働者の場合、ほとんどが、「36協定」は、実際には「名ばかりの協定」となる構造となっているのです。法定時間外労働をめぐる労働基準法の規制が形骸化・虚構化していることになります。
同一労働同一賃金の「抜け道」 ー 9割が選ぶ「派遣労使協定方式」の欺瞞
さらに、2020年の改正派遣法により、派遣労働者を含む非正規労働者の「同一労働同一賃金」が義務化されました。しかし、今も派遣労働者と正社員の間の不条理な格差は解消されないままです。その最大の原因は、約9割の派遣会社がこぞって採用している「派遣元労使協定方式(派遣法第30条の4第1項)」という「抜け道」があるからです。
派遣元事業主は、厚生労働省令で定めるところにより、労働者の過半数で組織する労働組合がある場合においてはその労働組合、労働者の過半数で組織する労働組合がない場合においては労働者の過半数を代表する者との書面による協定により、その雇用する派遣労働者の待遇について、次に掲げる事項を定めたときは、前条の規定は、第一号に掲げる範囲に属する派遣労働者の待遇については適用しない。
本来、改正派遣法は、派遣先の正社員と同じ待遇を求める「派遣先均等・均衡方式」を原則としています。しかし、法律はもう一つのバイパスとして派遣元での「労使協定方式」を並立させました。派遣会社に所属する労働者の過半数代表者が会社(使用者)と派遣労働者の賃金について協定を締結することで派遣先従業員の賃金との「均等・均衡」を実現する、という建前です。

このような方式は、全国的労組・使用者団体との労働協約で賃金を決める欧州諸国には存在しません。欧州諸国では2008年の「派遣労働指令」に従って、派遣先従業員との均等待遇を派遣労働者に保障しており、産業別全国協約を前提にして同一労働同一賃金を派遣労働者にも適用するということが原則です。日本の派遣元での「労使協定方式」は、欧州の全国的な産業別労働協約とは本質的に違っています。
とくに、「労使協定方式」は、その締結プロセスが前述した「36協定」の場合と類似して、その実態はきわめて形骸的であり、欺瞞的なものです。実際、派遣会社で労働組合が存在する割合はきわめて例外的です。つまり、過半数労働組合が協定の締結主体になることはほとんどありません。そのために、派遣労働者を含む「労働者の過半数代表者」を選出する必要がありますが、労働現場(派遣先)がバラバラな派遣労働者同士の横のつながりは希薄です。実務では、会社が一斉メールや郵便・ファックスなどで特定の候補者を提示し、「期限までに反対がない場合は信任」とする「沈黙の強制(信任の擬制)」による選出が多発しています。専門知識を持たない一労働者が、対等な交渉など行えるはずもなく、使用者の意向を追認するだけの「名ばかり代表」によって協定が結ばれているのが現実です。
さらに、この方式の第二の問題は、派遣先の賃金ではなく、厚生労働省が毎年公表する「一般労働者の平均賃金(局長通達)」と同等以上の賃金を支払えば適法とされます。しかし、この局長通達は「世間平均の下限値」にすぎません。そのため、派遣労働者が大手優良企業でどれだけ高い生産性を発揮していても、賃金は低いガラスの天井に押し込められ、派遣先の高い賃金分配メカニズムから都合よく「遮断」されてしまうのです。
