第59回 ワクチン接種について考える(1)~ 感染症無策と「ワクチン頼み」

政府が進める「ワクチン接種」

 昨年、菅内閣になってから、新型コロナ感染によって死亡する人が急増してきました。今年になって、新型コロナ感染症のワクチン接種が進み、私が住む自治体でも、65歳以上の高齢者を対象としたワクチン接種が始まり、早速5月の連休明けに予約することができて、1ヵ月以上待たされましたが、ようやく6月末に接種することになりました。「ワクチン接種」は私の専門外ですが、個人的な問題というよりは、社会的な意味に関連する情報を集めて考えることにしました。

感染症を軽視してきた政府の場当たり対応

 この一年半、日本政府(安倍内閣、菅内閣)は、新型コロナ感染症対策(Covid-19)で迷走を続けてきました。世界各国では、台湾、ニュージーランドなどの諸国が、厳しい入国規制とPCR検査を中心とした機敏な対策によって感染拡大を抑え、それによって経済への悪影響を最小限にとどめることにも成功しています。日本は、これらの諸国がとっているWHO(世界保健機関)が呼びかける積極的な感染症対策とは大きく異なって、国民への「マスク着用」などの自粛・行動要請、飲食店などの営業時間制限などを求めることに終始しました。検査・医療などで不足する人員を増員したり、待遇改善をする目立った積極的な対策は見られませんでした。

 政府は、1980年代以降、保健・医療政策を大きく転換して、感染症対策を支える急性期医療や保健所の縮小・削減政策を進めてきました。高橋洋一氏(元内閣官房参与)が感染者数が欧米より少ないことを「さざ波」と指摘しましたが、問題は、その「さざ波」によって崩壊するほどに日本の保健・医療体制が脆弱化していたことです。2020年の「第1波」以降、脆弱な体制を補強するために、政府は、保健・医療現場を強力に支援するべきでした。

 しかし、当時の安倍内閣は、2020年予算に「コロナ禍後」の経済復興を念頭においた巨額の「Go To Travel」予算を組み込みました。これに対して、野党や感染症と第一線で闘う保健・医療現場からは、感染症対策の強化、とくに、現場への積極支援の必要性が指摘されていました。ところが、安倍首相は、そのような積極的対策をとらないまま迎えた夏の感染第2波によって医療現場が逼迫した時期に「無策」のまま失速し、「病気」を理由に難題から逃げるように辞任してしまいました。

Go to トラベル」中止の遅れと死亡者急増

 2020年9月に就任した菅内閣は、この「Go To トラベル」事業(より広義には「Go To キャンペーン事業」)実施にこだわり、秋からの「第3波」による急激な感染拡大と医療逼迫を引き起こしました。支持率急低下に示された世論の厳しい批判を受けて、ようやく12月28日になって「Go To トラベル」事業を中止したのです。

国土交通省 Go to キャンペーン事業

 この「Go To キャンペーン」期間以降に感染が拡大し、重症化して死亡する人が急増することになって、2021年1月8日、「緊急事態宣言」の発出に追い込まれました。菅政権の経済優先の姿勢、感染症対策への意欲の欠如が、その結果として悲惨な状況を生み出したと思います。菅首相が就任した2020年9月16日から2021年6月9日までの間に、新型コロナ感染症による死亡者は、1万2377人を数えましたが、これは就任前の1460人の8.47倍に相当します。

新型コロナ感染症による累計死亡者数の推移

 菅首相が、世論や医療現場の声を真摯に受け止めて「Go to トラベル」事業を早めに中止していれば、昨年12月からの死亡者の急増カーブを抑えることができたと思います。首相の経済優先、感染症無策がもたらした結果に対する責任はきわめて重大というしかありません。

苦しいときの「ワクチン頼み」

 菅首相は、就任後すぐに日本学術会議会員候補について6名の任命を拒否するという学術会議法に反する信じがたい処分を行いました。しかし、任命拒否についてまともな理由を述べることができないままです。政治から独立した学術会議の意義を理解しない反科学とも言える姿勢は、感染症対策についても、非科学的で専門家を軽視した稚拙な場当たり的な対応として現れることになりました。

 菅首相は、2020年10月27日の閣議で、予防接種法を改正して日本に住む全ての人が新型コロナウイルスワクチンを接種できるようにすることを決定し、2021年前半までに国民全員分のワクチンの確保を目指すことにしたと報道されました。

外国製ワクチンへの全面依存

 当時、イギリスの製薬会社アストラゼネカ、アメリカの製薬会社ファイザー、モデルナなどを中心に、世界的にワクチン開発が進んでいることが明らかになっていました。菅内閣として、これに注目して、ワクチン接種を推進することにしたのです。日本政府としての初めてとも言える「積極的な感染症対策」と言えるでしょう。ただ、このワクチン接種拡大方針については、きわめて反省的に見ることが必要です。単純に政府を称賛するわけにはいきません。あくまでも外国製のワクチンに依存する政策であり、日本が独自に開発したワクチンではないからです。

 2010年代に山中伸弥(2012年)、大村智(2015年)、大隅良典(2016年)、本庶佑(2018年)と、日本の4人の研究者がノーベル生理学・医学賞をたて続けに受賞しました。地道な基礎研究に基づく貴重な業績が世界的に高く評価されたのです。共通しているのは、これらのノーベル賞級の研究は、第二次世界大戦後、日本国憲法に基づく学問の自由と大学の自治がもっとも広く、深く認められた学問的雰囲気の中で生まれたことです。

 1980年代以降、大学の自由な雰囲気は大きく変質しました。基礎研究を軽視し、短期的視野で、性急に「成果」を求める研究を奨励する政策に基づき、大学教員・研究者の任期制(=非正規雇用)が導入されるなど、落ち着いて長期的な視野の研究を許す雰囲気が消えていきました。こうした基礎研究を軽視する学問的状況への変化の中で、感染症のワクチン開発などにつながる研究が困難になってきたことを直視する必要があります。

世界標準から逸脱する日本のワクチン接種

「急げ急げ、ワクチン接種」 ― 拙速接種、5つの問題点

 ワクチン接種について気になるのは、菅首相は、これが「新型コロナ感染症対策としての決め手である」という趣旨の発言を繰り返していることです。そして、国から自治体への強圧的な指導、さらに独自の自衛隊による「大規模接種」など、大急ぎでワクチン接種が進められています。菅首相が、熱心に、というより「性急」「拙速」に進めているワクチン接種については、次のような問題点を指摘することができます。

OECD諸国では最低水準

 第一に、ワクチン接種について、最近、急速に増えているように感じますが、実際には、日本はまだまだ世界の中で大きく遅れています。パンデミックという各国に共通した困難によって、皮肉なことに、かつてはアメリカに次いで第2位の先進国とされた日本が、世界の中で実際には後進的な状況にあることが可視化されました。次のグラフは、ワクチン接種を受けた人口比率の各国比較ですが、40%を超えた国もかなり見られるのに対して、6月8日時点で3.9%と格段に低い割合になっています。

 とくに、一定の経済力をもったOECD加盟の38ヵ国では、最下位のオーストラリアに次いで2番目に低い割合になっています。

安全性などの説明不足

 第二に、ワクチン接種は、接種を急ぐなら急ぐほど、安全性を含めて国民を時間をかけて説得することが必要です。ワクチンを開発したアメリカでは、専門家がテレビなどを通じて、きわめて長い時間をかけてワクチンの安全性について議論をして、それを多くの国民が視聴して安全性についての理解が深まったといいます。日本では、政府や専門家から、そのような長時間をかけた丁寧で科学的な説明が行われていません。

 2021年4月24日、日本薬学会が日本学術会議と共同して公開シンポジウムを開催し、そこで出された多くの質問がホームページで公開されています。この点でも菅内閣がその意義を軽視する日本学術会議の重要な役割が明らかになっています。本来であれば、こうした公開シンポジウムを、政府が全力後援することで、ワクチン接種への国民のより深い理解が得られたはずです。*

日本薬学会・日本学術会議共同主催 公開シンポジウム「くすりのエキスパートが語る”よくわかる新型コロナウイルスワクチン”」皆様からのご質問への回答

 世界的には、ワクチン接種による死亡例は少なく、その問題点は大きな議論になっていません。しかし、日本では、6月10日時点で190人を超えており、今後、接種が進むなかで、ワクチンの副反応が大きな問題として浮かび上がる可能性があり、安全性の問題に注意をしておくことが必要です。*

【独自】ワクチン接種後に190人以上死亡、遺族「詳細な調査を」(TBS News 2021.6.10)

ワクチン接種の限界

 第三に、ワクチン接種は、感染症対策の一つという意味はありますが、唯一の解決手段ではありません。ワクチン接種をしても一定の割合で感染をする可能性があり、また、ウィルス性感染症は変異株が出ることが当然で、新たな変異株の出現でワクチンの効果が減る可能性が少なくありません。また、ワクチンの効果がどれくらいの期間持続するかも不明です。半年程度でしかないとの指摘もあります。ワクチン接種だけに全面依存することは危険です。

 感染症対策としては、「俯瞰的・総合的な視点」に基づく、科学的な姿勢が重要です。何よりも感染者を出さないこと、そのためには、厳しい入国規制と、「検査-追跡ー治療」という感染症対策の基本をしっかりと踏まえた対策が必要です。ワクチン接種だけを過度に重視する菅首相の言動は、国民をミスリードする可能性があると思います。

接種順位の公平性

 第四に、ワクチン接種については、誰もが感染の危険がありますので、誰から接種をするのか、その順位が公平で理解と納得が得られるものでなければなりません。この順位の決定については、その手続きを含めて、今回の菅内閣が決めた順位の根拠について一般には大きな議論はされていませんが、各国が定める接種順位とはかなり違っていること、高齢者が重症化する状況に対応する、きわめて場当たり的決定であること、クラスターが多発している高齢者施設の従事者が後順位になっていることなど、多くの疑問を感じていました。この接種順位は、難しい「公平性」の問題として多くの人の納得が得られるように、もっと時間をかけて広く議論される必要があると思います。*

* 朝日新聞2021年6月12日の一面トップで「64歳以下の接種 誰を優先 各自治体、独自で判断」という記事をアップして、ようやく接種順位の問題を取り上げています。→デジタル版記事「「接種進めば好感持たれる」 対象拡大、政権の胸算用」

 この点については、次の第60回エッセイで、労働者、とくに「エッセンシャルワーカー」保護という視点から深く考えてみることにします。

身近な地域・職場での接種が重要

 第五に、ワクチン接種は、平常時の延長として地域や職域を単位に行うことが基本です。職域単位の接種については後述しますが、地域単位の接種については、約40年間、政府が推進してきた新自由主義政策がもたらした地域保健・地域医療の後退による問題が浮かび上がっています。1994年、保健所法が地域保健法に改正されて以降、各地の保健所が削減され、地域保健を担ってきた保健所を中心とした地域単位の公衆衛生が大きく後退しました。とくに、大阪市では、従来、24区の各区にあった保健所が1つに統合され、京都市など政令指定都市での保健所統廃合が進みました。*
 新型コロナ感染症の感染が広がっているのは、政令指定都市など都市部に集中しています。人口密集地域であるのに、地域保健の拠点が少ないことが感染拡大に拍車をかけたと言えると思います。当然、ワクチン接種でも保健所が果たす役割が大きいので、保健所が減っている都市部での困難が浮かび上がっています。**

 * 亀岡照子「新型コロナと自治体―保健所の統廃合がもたらした現実と今後の課題」住民と自治2020年10月
 ** ワクチン接種が進んでいる例として報道されたのは、和歌山県京都南山城村、東京都墨田区、八王子市、埼玉県川口市などがありますが、自治体、保健所、地域医師会、自治会などが連携していることで共通しています。

 菅首相は、自治体を中心とするワクチン接種が迅速に進まないことにあせったのか、政府が主導して自衛隊の医師・看護師を動員して、東京と大阪で特別の会場を設置しての大規模接種を行うことを決定し、実際に接種が開始されました。しかし、当初は、マスコミでも大きく報道されましたが、比較的短期間で政府の思惑とは異なり、高齢者が集まらない状況が生じていると報道されています。*

大規模接種の予約埋まらず、計16万人分の空き…対象地域を全国に拡大へ(読売新聞2021.6.10)

 こうした大規模接種の問題点がすぐに現れたのです。これは、逆に、身近な地域や職場で「かかりつけ医」による、平常な状況での安心できる接種こそが重要であることを示しています。接種率を効率的に高めるためにも、「急がば回れ」という教訓を踏まえる必要があるのです。

長期的な視野に基づく科学的・総合的な対策の必要性

ノーベル賞受賞者4氏の勧告に耳を傾けた科学的対策

 新型コロナ感染症についても、ノーベル賞受賞者の山中教授、本庶教授らは、政府の無策に対して専門の立場から徹底的なPCR検査や入国規制を強く求めるなど積極的提言を繰り返してきました。とくに、2021年1月8日、大隅良典、大村智、本庶佑、山中伸弥の4氏は、政府に対して、
 一、医療機関と医療従事者への支援を拡充し、医療崩壊を防ぐ。
 二、PCR検査能力の大幅な拡充と無症候感染者の隔離を強化する。
 三、ワクチンや治療薬の審査および承認は、独立性と透明性を担保しつつ迅速に行う。
 四、今後の新たな感染症発生の可能性を考え、ワクチンや治療薬等の開発原理を生み出す生命科学、およびその社会実装に不可欠な産学連携の支援を強化する。
 五、科学者の勧告を政策に反映できる長期的展望に立った制度を確立する。
の5点を勧告しています。*

山中伸弥による新型コロナウィルス情報発信。勧告文については、本庶佑教授ホームページ参照。

 政府は、このノーベル賞受賞者の勧告とは大きくかけ離れた「日本独自」の対策を続けてきました。とくに、感染症対策の「基本の基本」であるPCR検査数は依然として世界最低レベル水準です。本来であれば、日本もかつてはノーベル賞受賞をするほどにワクチン開発で世界に貢献できる科学技術力をもっていました。ところが、日本の科学技術は、ノーベル賞受賞者が異口同音に強調するように、政府の80年代以降の研究支援削減によって、大きく後退、転落してきました。とくに、大学教員と研究員の非正規雇用化(任期制)が進められ、基礎研究を目指す若手にとっては厳しい状況が生まれています。

 その結果、アメリカ、イギリス、ドイツ、中国、ロシアなどが独自開発したのとは対照的に、今回の新型コロナ感染症のワクチンを外国に依存せざるを得ない状況になったのです。卑屈とも言える外国へのワクチン依存は、基礎研究を軽視する日本の科学技術政策の大きな後退の結果であると指摘せざるを得ません。菅首相は、学術会議会員任命拒否という違法な処分を撤回し、科学者の専門的な知見へのリスペクトに基づいた政策を進めるべきです。感染症対策については、この勧告で提起された5点をしっかり踏まえた科学的な対策について真剣に議論することが重要です。

二兎を追う者は一兎をも得ず~感染症対策に集中を

 菅首相は、感染第3波による「緊急事態宣言」の頃から突然のように、ワクチン接種に熱心になったと思います。その理由は、東京オリンピックです。開催時期が迫っている一方、感染が収まらないことへの焦りがあり、そこにワクチンがいくつか国で広がり、その「有効性」が明らかになってきて「ワクチン頼み」の気持ちが強まったのだと推測します。

 しかし、オリンピックは、変異株が相次いで発生して感染拡大が続く世界各国から、約十万規模の大人数が集まる「超大規模イベント」です。菅首相は、昨年末まで「Go to トラベル」事業を中止せず、世論の批判が高まっているのに頑固に継続しました。その結果、死亡者が急増することになり、多くの生命を守ることができませんでした。

 現在、「東京オリンピック開催」をめぐって既視感のある状況が再現しています。東京オリンピックが開催されれば、感染爆発が発生するリスクがあることは、政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身茂会長も問題があることを強調しています。菅首相は、「安心、安全のオリンピック」を目指すと言いますが、具体的根拠に基づく科学的基準を示すことができません。

 オリンピック強行と感染症対策の「二兎」を追うことはできません。「アクセルを踏みながらブレーキを踏む」愚策です。首相自身が繰り返す「国民の生命を守ることが政府の責任」を果たすためには、「Go to トラベル」以降、1万2千人を超える多くの感染死者が出たことへの反省を踏まえて、勇気をもって「東京オリンピック中止」を決断するしかありません。

 政府与党は、今国会で、2021年5月21日、従来の政策の延長として地域病院の病床削減につながる「改正医療法」を成立させました。* 本来の感染症対策を拡充するためにも、国民の生命を守る医療を支える政策へ大きく転換することが必要です。

* 「非常時の病床不足が懸念される中…病院再編支援を恒久化する医療法改正案など成立へ」(東京新聞2021.5.21)

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