正規公務員の削減と非正規化は、すでに広く知られるところになってきました。2020年の総務省調査によれば正規公務員の削減は1994年のピーク時から52万人削減され、非正規公務員の実数は112万5743人になりました。全国全ての地方公務員の3人に1人は非正規公務員になり、このうち住民に身近な市区町村の非正規率は44.1%になっています。さらにいま進行しているのは、いつでも首を斬れる非正規公務員が担っている業務を民間に委託することです。それは社会福祉法人、公益法人から儲けを追求する株式会社へと拡大し、その流れは速くなっています。公務の市場化、営利企業化で一体どんな人権問題が起こっているのでしょうか。そしてそれはなぜ問題なのか、住民の視点からいくつかの事例を挙げて考えてみたいと思います。
公務の市場化の一番の問題点は、公務の本質的な目的である人権保障機能が低下することです。もちろん民間委託が全て悪いと言っているのではありません。個別の経営者が悪質だからダメだと言っているわけでもありません。あくまでも一般化した観点からこの問題を考えてみたいと思います。
保育や学童保育の現場では
保育や学童保育の事例がわかり易いと思います。これらの保育施設の目的は、「親の就労権」と「子供の発達権」を保障し、ひいては憲法25条で保障されている「健康で文化的な最低限度の生活を保障」することにあるといえます。よく、保育園や学童保育にかかる経費について、「一部の人に多額の税金を使っている。もっと高い保育料にして受益者負担でやるべきだ」という指摘がされますが、果たしてそうでしょうか?その地域にこれらの施設があることが、いつでも、だれでも働くことが必要になった時には、子どもを預けて、すぐに働くことを可能にします。そして最低限度の暮らしを護ることになります。今回の新型コロナ危機でも、エッセンシャルワーカーがその重要な社会的使命を果たすために、できる限り開設して保護者の就労を支えてきました。子どもを持つすべての世帯に開かれた、まさに「公共」の施設と言えます。
営利企業の目的は利益
<学童保育では>
ところが、これが営利を目的とする学童保育だった場合はどうでしょうか。営利企業の目的は「利益」を上げることですから、儲けもないのに「人権保障」のために、感染のリスクを冒してまで、子どもを預かってくれない学童保育が多かったのです。それはアレルギーや障害を持つ子どもなどの保育についても同じことが言えます。コストがかかるからといって、「うちでは対応できない」と拒否されることはよくあります。利益を生み出さなければいけない企業にとって、人件費はコストであり、企業にとっての市民は、暮らしや人権を擁護するべき対象ではなく、あくまでも利益を生み出してくれる「顧客」なのです。私も経験してきたことですが、公設公営の場合、学童保育の希望者が定員をオーバーして、待機児童があふれた時、制度の改善を求める保護者、この場合保護者は市民であり主権者です。それと制度の実施責任者としての市役所、そして現場の職員としての指導員、この3者、「市民」と「行政」と「職員」が何度も何度も話し合いを重ねて、それぞれが譲歩し合いながら、待機児の出ない1小学校区内に「複数の学童保育」を設置する制度を模索し、新たに作り上げてきました。
このように主権者は、制度の不備や不満があれば、民主的なプロセスを踏んで、自治体の施策を変えていくことができます。むしろ社会に参加して責任を果たすことで、より良い施策にして、次の世代に渡すことが、主権者としての役割を果たすことになるわけです。自治体に働きかけ、憲法に保障された様々な権利が、ちゃんと守られるようにすること、これこそが「住民自治は民主主義の学校」だとよく言われることだと思います。「役所がこう言っているから」ではなく、主権者意識を持った住民の批判力、評価力こそが、自治体の施策の水準を高めていくのではないでしょうか。
反対に、営利企業に住民は改善要求をすることはできません。守口学童保育の事例でもわかるように、やり方に異議を唱えると、解雇すら平気でしてきます。保護者は営利企業相手にはその施設に「行かせるか」、「行かせないか」の選択しかないのです。また、行かせたくても高い保育料を払うお金がなければ「顧客」にもなれません。ところが人権はお金がある人にだけ保障されて、ない人には保障されなくてもいい、というものではありません。全ての市民に公平に保障されなければなりません。儲けることを目的とする、営利企業の市場原理と人権保障の決定的な矛盾がここにあります。人権保障は最初から採算は度外視しなければ成り立たない場合も多いのです。
<ゴミ収集業務では>
もう一つ分かり易い事例はゴミの収集業務です。民間企業に業務委託している自治体が、今ではほとんどになりました。公務・民間に関わらずこれは大変な業務です。まさにエッセンシャル業務の一つで、このコロナ禍の中でも感染のリスクを冒して業務に当たっています。ここで問題なのは、民間業者はゴミの重量に比例して手数料を受け取る仕組みになっていますから、ゴミは多いほど儲かります。ダイオキシン汚染で大問題になった、大阪北部のある自治体のゴミ焼却場を調べてみると、業者がゴミに水をかけて重量を増やして、それが不完全燃焼を引き起こして、ダイオキシンを発生させていたという事実が明らかになったことが報道されたことがありました。
ゴミは集めればいいというだけではありません。環境問題や限りある資源の活用を考えると分別や減量を考えなければいけません。小学校の記憶にあるかと思いますが、学校や地域の集まりで市の清掃職員から、リサイクルやゴミの分別と減量や、環境問題などの授業を受けたことがあると思います。しかし、民間業者にはもちろんそのようなことは期待できません。また直営の時は市民の高齢化に伴って、一人暮らしのお年寄りがゴミ集積場まで持ってくることが困難な場合には、お年寄りの安否確認を兼ねて職員が戸口まで行き、個別収集をすることも全国的に広がってきていました。しかし民間業者にはこのようなコストがかかることは期待できません。同じゴミの収集でも多ければ多いほどいいところと、なるべく少なくして環境問題も考えて住民サービスを、というのでは仕事の仕方が全く違ってくるのは当たり前です。
儲からなければ撤退も
更に問題なのは、営利を目的とする企業では、儲からなければ請負事業から撤退したり、人材が確保できないからと、突然廃業したり、市民サービスに支障をきたすことも少なくありません。過疎の自治体では介護保険事業者が撤退し、「保険あって、介護なし」と言われる実態も出てきています。その典型的な事例として、浜松市の学校給食が挙げられます。「安ければ安いほどいい」と、競争入札で一番安い実績のない、新規参入の会社に4校の学校給食を委託しましたが、新学期の直前に人が集まらないと業者が突然辞退をして、3000人の児童の給食がストップし、1学期間お弁当持参になりました。私はこの事例のように、子どもの健康にかかわる学校給食が大変安易に「安かろう、悪かろう」という委託に走る、今の日本の状況に大変危機感をもっています。
一昨年韓国で開催された、「社会フォーラム」に参加してきましたが、ソウル市の学校給食の実態を知り、大変驚きました。ソウル市の学校給食費は小中学校ともに100%無償化になっています。それだけではありません、有機農産物を使用した学校給食が年々拡大して2021年、今年からは100%有機食材で全面実施となります。さらに保育園や幼稚園にも拡大しており、その結果として有機農産物の需要が増大して安定し、有機農業の拡大・推進に大きく貢献しています。
ではなぜ日本ではこれができないのでしょうか日本では給食費の無償化は僅か4%、調理の民間委託率は年々増えて、今では50%を超えてしまい、冷凍食品が増えているのです、安上がりの給食をめざした結果です。お金はかかっても安全な給食を目指して、有機食材に転換し、無償化したソウル市とは大きな違いです。何を大事にするかで自治体の施策は大きく変わるのです。この分野でも日本は大幅に遅れていることを実感しました。
おわりに
このように、保育・学童保育・学校給食など、子どもを儲けの対象として公共業務に企業がどんどん進出してきました。ここまで公務の市場化が押し寄せてきた今、私たちはもう一度、「安ければいいのか」、「公務の市場化の現場でいったい何が起こっているのか」を知り、同時に直営でやることの意味と自治体の本来の役割を考えていかなければならないと思います。コロナ禍は改めて命と暮らしを守る国や自治体の在り方と同時に、主権者としての私たちの在り方についても考える機会となりました。
働き方ASU-NET副代表 川西 玲子
参考文献: 官製ワーキングプアを生んだ公共サービス「改革」 城塚健之 自治体研究社2008年