相可文代さん「『ヒロポン』と『特攻』 女学生が包んだ『覚醒剤入りチョコレート』 梅田和子さんの戦争体験からの考察」を読んで

 朝日新聞の「『ヒロポン』と『特攻』」に関する記事を読んで、相可さんが自費出版された著作に関心を持った。「ヒロポン」の戦前戦後の使用については、太宰治などが常用していた事実なども国語教育の現場では教科書にも載っていることである。今は覚醒剤というと、芸能人や著名人が使用し、大きく報道され、社会的な地位を一気に失うものである。しかし、戦前、戦争直後には広告などが打たれ、合法的に入手でき、使用することができた代物である。

 教員時代にこのことを生徒に話すと、不思議そうに聞いている反応であった。特に、「頭脳の明晰化」「疲労の防止と恢復に」とある、大日本製薬株式会社の当時の「広告」を示すと、「除倦覚醒剤」の文字に関心が集まる。文学の理解のための授業であるが、生徒はこの「覚醒剤」という文字と、「除倦」という意味に関心が集まった。倦怠感の「倦」であることに気づき、倦怠感を吹き飛ばし、頭脳や身体を覚醒するための薬剤、いわば、今の栄養ドリンクのような感覚であることが理解できると、生徒は「驚き」を感じるとともに、なんとなく理解できたようである。

 この本と出会うまで、戦前・戦後の覚醒剤の使用について、総合的に理解していなかった。断片的に「特攻隊で出撃前に使用されていた」「夜間のB29の迎撃の際に、暗視対策として使用されていた」ということは知っていた。また、戦後の「注射器の使い回し」などの話が流布されていて、ヒロポンは「打つもの」と考えていた。その他の具体的な使用方法はあまり考えたことがなかった。そして、軍の覚醒剤使用に関する資料や戦後の影響などを総合的に理解していなかった。そういう意味で、この相可さんの「ヒロポンと特攻」はさまざまな著作や資料にあたり考察している。細かい検証は今後も必要かもしれないが、まとまっていると思う。

 中でも、戦後の国会での審議の発言がピックアップされており、覚醒剤取締法が成立した理由が分かる。「大日本製薬東京支店長」が「覚醒剤を、私のところではヒロポンでございますが、売り出しましたのは昭和十六年でございまして、・・・図らずもその頃には太平洋戦争が起こりまして、精神興奮剤の方が非常に重大視されて、戦争中はほとんど軍部に全部取られまして、いろいろなお菓子に入れたり、いろいろなことで使われまして、あまり市場に出なかったのでありますが、戦後になりまして民間に出るようになりましてから中毒の声を聞くようになりました」と1951年2月15日の参議院厚生委員会で証言した、とある。また、社会党の藤原道子議員は「あのヒロポンは戦争中の軍需工場等で、労働者にフルに労働強化をやるために使われた。あるいは特攻隊に使われた。」「(警察)予備隊の常備薬の中にこれは入っておる」と発言している、とある。現在、覚醒剤取締法はよく知られている。私たちの社会生活を破壊することから、覚醒剤の使用と所持は大きな問題である。その問題の原点は、この時代にあったのだ、ということがよく分かる。

 また、教員経験者として、親族に戦前の教員がいた者として、「軍国主義教育を担った教員たち」に関する相可さんの指摘に、深く考えさせられた。高知県教職員組合の「るねさんす」44号(1952年1月)に掲載された竹本源治さんの詩に関するものである。相可さんは「私は教員になり、『教え子を再び戦場に送らない』というスローガンと、竹本源治の詩に共鳴して日教組の組合員になり、平和教育に取り組んできた。しかし、ある時、ふと『これでいいのか』と考えるようになった。この詩には教え子を死地に追いやったことへの悔恨はあるが、教え子の死の向こうに広がっている戦場の光景は見えてこない。教え子が荒らした町や村、教え子が殺したかもしれない多くの死体、教え子が傷つけたかもしれない負傷者、教え子が孤児にしてしまったかもしれない泣き叫ぶ子どもなど、教え子が戦った他国の土地と、そこにいた人々について、どれだけ思いをはせているのかと疑問が浮かぶ」とある。そして、「私は、『教え子を加害者にしてしまった自覚』だけを言いたいわけではない。『加害』と『被害』は絡み合い、時と場合によって立場は変わる。」「問題は発想が自国中心主義でしかないということだ。」「相手のことは何ら考慮していない。自分のこと、自国のことしか考えない思考法を克服しない限り、戦争を阻止することはできない。」「戦争を克服するには、国境を超えて『共生』する道を考えるしかない。」「『教え子を再び戦場に送らない』ためには、このことを子どもたちにきちんと伝える平和教育が必要だと思うのだ」と相可さんは書いている。

 私は、祖父祖母四人とも戦前の教育者であった。祖母は戦後日教組の組合員として活動したことがある。『教え子を再び戦場に送らない』というスローガンに共感と尊敬の思いはあったが、守るのは教え子だけなのか?と違和感を抱いてきた。教え子の殺した、殺された方の人権侵害をどう考えるのか、モヤモヤとした感覚を持ちながら、平和教育・人権教育に携わっていた。教育の現場から離れた今、相可さんの書かれたことで整理できたような気がする。

 この本を読んだ感想を一部述べた。ほんの一部分だけだ。もっとこの本について、多くの方に知ってもらいたい、読んでもらいたいと思った。

 最後に、「覚醒剤」と言えば、精神的に追い込まれた人が常用している、反社会勢力の資金源になっている、といったことが問題になっている。しかし、戦前に国家ぐるみで使用されていた、戦後は余剰在庫が市中に流れた、もともと戦前に労働や戦争遂行の除倦覚醒のための薬剤として使われていたということを考えると、社会問題であるとともに、労働問題としての側面があったのではないか、と思う。

 ぜひ一読してもらいたい。

この記事を書いた人

伏見太郎