映画『カティンの森』/アンジェイ・ワイダ監督の憤り


★ポーランドのアンジェイ・ワイダ監督はソ連と当時の政府の圧制に抗し続けてきた映画人である。ワイダ作品にはその強烈なメッセージが込められており、いつまでもそれが残る。第2次大戦末期のワルシャワ蜂起を描いた『地下水道』(1956)、第2次大戦直後のテロリストの物語『灰とダイヤモンド』(1958)、社会主義政権時代の労働英雄の悲劇『大理石の男』(1974)。そして今年1月に公開された『カティンの森』、これはワイダの集大成ともいえるのではないか。5月にやっとDVDになった。

★「カティンの森事件」は1940年に当時ポーランドを軍事侵攻したソ連軍が捕虜にしたポーランド将校2万人以上をカティンの森で処刑した事件である。
 1939年8月23日にナチス・ドイツとソ連が秘密裏に独ソ不可侵条約を結び、ポーランドを分割支配することを決め、9月1日にはドイツが西から侵攻し、同月17日にソ連が東から侵攻を開始した。映画は1940年9月17日から始まる。
 ドイツ軍の進行から逃れる難民にまじって、行方不明になった夫(ポーランド軍将校)を探す女性(アンナ)が幼い娘(ヴェロニカ)を自転車に乗せて、橋の真ん中にさしかかったとき、ソ連軍の侵攻に逃れて来た人々とぶつかり大混乱する。ワイダの演出は81歳の時(2007年)に作ったとは思えない。迫力がある。アンナとヴェロニカはやっとのことでソ連軍の捕虜になった夫と鉄道駅で会うことが叶うけれど、夫は俘虜収容所に移送され、その後は行方不明になってしまう。

★1944年ポーランドを軍事占領していたナチス・ドイツは、「カティンの森事件」はソ連軍の仕業だと発表する。しかしナチスが敗退し、ポーランドに侵攻したソ連は「事件」はナチスの犯罪だと断定する。映画はナチス・ドイツとソ連がこの事件をいかに政治的に利用したか、実写を交えて克明に描く。とくにソ連やりかたは執拗だ。事件の真相を知る者、追及する者、将校の家族らを拉致・逮捕・抹殺していった。カティンの森事件の真相が明らかになるのはソ連崩壊直前(1988年)のことだ。なぜソ連軍は2万人の将校を殺したのか?

★ポーランドは1918年までドイツ、ロシア、オーストリア・ハンガリーの各帝国に分割支配されていた。ヨゼフ・ピウスツキという人物を中心に解放闘争を行って独立を勝ちとり、彼は初代国家元首となった。ポーランド軍の創立者でもある。1935年に死去するが、その後も軍の影響が強い内閣が続く。こうした歴史的背景がありソ連は軍の勢力を抹殺し占領支配をしやすくしたのだろう。ワイダの父親もこの森で処刑された。彼の憤りはラストに現れる。その凄絶さに僕は絶句してしまった。ぜひ観てほしい作品だ。

2010.5.20 月藻照之進

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