HOTほっとトーク:過労死防止法実現を 北海道大の岸玲子特任教授に聞く /北海道
◇国際標準を守れ 労使は話し合いの土俵に
「過労死」。世界に知られた日本社会が生み出したひずみの一つだ。それを解決しようと、日本学術会議の「労働雇用環境と働く人の生活・健康・安全委員会」は昨春、過労死防止基本法の制定などの提言を出した。家族の会や弁護団が昨秋から、制定に向けた100万人署名活動を始めた。同委員会トップの北海道大環境健康科学研究教育センター長、岸玲子特任教授(64)に、過労死を生み出す社会構造をどう是正すべきかを聞いた。【構成・千々部一好、写真・貝塚太一】
<日本の過労による労災申請件数(10年)は脳・心疾患が10年前の約3割増の802件で、死者は113人。精神疾患は5・6倍の1181件に達し、65人が自殺した>
過労死は、旧国立公衆衛生院次長を務めた上畑鉄之丞氏が約40年前、世間に公表したのが最初。その後、市民団体「過労死110番」が、ニューヨーク・タイムズに意見広告を出したことから、「KAROSHI」という日本特異な現象が世界に知られるようになった。
国際学会に出席すると、海外の研究者から「水俣病はどうなっているか」とひと昔前は質問されたが、「日本は過労死で毎年どれくらい亡くなるのか」に変わったほど。
日本では長時間労働がホワイトカラー、ブルーカラーに関係なく、職種を問わずに起きている。その半面、経済協力開発機構(OECD)加盟国の年間賃金上昇率の国際比較をみると、この10年間に、韓国で50%上がったのを最高に、欧米でも伸びた。しかし、これだけ働いているのに日本では下降した。
<日本学術会議は委員会を設置し、昨春、過労死防止対策基本法の制定のほか、非正規雇用の待遇改善、メンタルヘルス対策の普及などの提言をまとめた>
過労死の一義的な要因は一人一人の仕事量が多く、人手が足りないことでしょう。でも、根はもっと深い。
国際労働機関(ILO)に労働時間や休暇に関する条約が20本近くあるが、日本は一つも批准していない。労働基準法で労働時間は1週40時間、1日8時間と定められている。しかし、36条では労使が合意すれば、それを超えても処罰されない「36協定」と呼ばれる抜け道もある。国際ルールに沿って減らそうという意識が日本で低くすぎる。北海道でも、全国的な傾向と全く同じ。不況の影響で、もっと厳しいでしょう。
基本法制定は、健康で安全な働き方の根幹となるので、ぜひ実現させたい。
<80年代にフィンランド・ヘルシンキの研究所で勤務した経験がある。同僚は午後3時半になると帰宅し始める。日本と海外の働き方の違いを知った>
午後6時まで働くのは私くらい。おかげで掃除の女性と親しくなった。
これまで日本の社会は、国が護送船団方式で企業を引っ張り、企業は終身雇用制度で従業員を守り、父親が妻や子供を養う三重の構造に支えられてきた。しかし、育児休業制度が導入されても、男性の取得率は2%未満(09年度)で、子供と楽しく過ごす余裕もない。
一方、非正規雇用の急増で、低賃金のため自分の生活すら守れない状況に追い込まれている。このような働き方が、年金制度や子育てにもマイナスに作用している。
<日本学術会議の委員会で一緒だった関西大の森岡孝二教授が「就職とは何か」(岩波新書)で、まともな働き方の4条件を示した。(1)労働時間(2)賃金(3)雇用(4)社会保障−−の四つだ>
非正規雇用の増加や過労死は社会不安につながる。17人が殺傷された08年の東京・秋葉原通り魔事件もその表れでしょう。不安をなくすためには、新しいセーフティーネットの構築が課題。人間らしい健康で安全な労働環境への改善を柱に据えるべきだ。
ワークシェアリングや、同一価値労働同一賃金、最低賃金の引き上げによって働くことがインセンティブとなると示すことなどが必要。また、失業した場合の新しい技術の教育訓練システム▽親の介護や育児サービスの充実▽病気や労災事故に遭った際の就労支援やリハビリ▽労働者としての高度の能力を培う教育−−など、就労を維持するための対策も求められる。
それには、労使双方が社会的なパートナーとして、話し合いの土俵に上がることが肝心。経営者は日本の労働環境が国際標準からみて遅れていることを自覚し、海外で商品を売ることだけでなく、働く質を上げて日本を発展させようという視点を持つべきです。
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■人物略歴
◇きし・れいこ
1947年帯広市生まれ。北海道大大学院医学研究科博士課程修了。公衆衛生学。札幌医大助教授から、97年9月に北大教授。10年4月から特任教授。日本医師会医学賞受賞(09年度)。