「とにかくやれ」・・・失敗して仕事与えられず
<会社でやることがない>
章(26)(仮名)はそうパソコンに打ち込み、検索してみた。
<社内失業>
見慣れぬ言葉が現れた。「暇すぎて苦痛」「同僚の視線がつらい」。開いたサイトに悲鳴があふれていた。
一緒だ、と思った。勤務先の東京都内のIT関連会社で、章は毎日、暇を持て余していた。
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苦労して、ようやく入った会社だった。
約40社の採用試験に落ち、焦って、初任給など条件面だけ見て応募した。社員数約50人で、主な業務はコンピューターのシステム開発。専門知識はなかったが、会社側は「先入観が入るから、なくていい」と言う。2008年8月、内定を得た。
1990年代後半からの約10年間、中小企業の多くが景気低迷で新規採用を控え、構造的な中堅社員不足が生じていた。
章も10年ぶりの新入社員だった。入社は09年春。同期は4人で、研修担当は社長。「新たなシステムを考えろ」と課題は与えるが、専門知識は教えてくれない。「考えることに意味がある」との説明に今一つ納得がいかないまま、半年が過ぎた。
そして指示されたのは、ある国家試験の受験対策システム開発。仕組みを考えたが、先に進む知識がない。相談した上司は「社長に聞いて」。その社長は「とにかくやれ」。行き詰まり、担当を外された。
それから2年近く、毎日インターネットで時間をつぶした。「仕事もないのに会社にいてどうする」。社長の言葉に眠れなくなり、12年5月、退職した。
「08年秋のリーマン・ショックで経営環境が大きく変化し、せっかく採用した新入社員も辞めさせようとする企業が増えた」と、「社内失業―企業に捨てられた正社員」の著者、増田不三雄(32)は指摘する。章の同期も会社に残るのは1人だけだ。
新たな職探しをする章だが、面接で前の職場での成功体験を聞かれると言葉に詰まる。「何より、自分が働くイメージが全く浮かばない」。次の職場が決まらないまま、年が明けた。
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国内総生産(GDP)などから適正な雇用者数を推計し、実際と比較した「雇用保蔵者数」は、おおむね企業が抱える余剰人員を示す。11年9月の内閣府の調査では全雇用者の8・5%にあたる465万人。リーマン・ショック直後(698万人)より改善したが、直前(193万人)に比べれば2・5倍近い。
そこには「窓際族」と呼ばれる中高年も含まれるが、こんなデータもある。独立行政法人「労働政策研究・研修機構」が製造業約3200社に行った10年の調査では、3割が「若手の育成がうまくいかない」と回答。理由は「育成を担う人材不足」(59%)、「教育のノウハウ不足」(45%)が上位を占めた。
若手社員が十分な教育を受けられないまま、余剰人員のレッテルをはられる――。若者の労働相談を受けるNPO法人「posse(ポッセ)」(東京)代表の今野晴貴(29)は、そんな構図を見て取り、「知識も技術もない若者にしわ寄せが行っている」と話す。
そして、「もっとひどい会社もある」と言う。
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ポッセには10年頃から、若手社員を心身共にボロボロになるまで酷使し、退職に追い込む会社についての相談が相次ぐようになった。若者はそれを「ブラック企業」という。
3か月前、勝(25)(仮名)が退職した都内の繊維商社もそうだった。有名私大生だった勝は就活で約70社の試験に失敗、唯一残ったこの会社に飛びついた。「プライベートの予定は入れるな」と入社直後、社長に命じられた。残業は月100時間以上だが手当はゼロ。加えて社長の暴言、暴力。同期4人中3人が、入社後半年以内に辞めた。勝も「話の聞き方が悪い」などと再三殴られ、1年半で退職した。
嫌な予感はあった。入社前に見た社員たちの疲れ切った表情、散らかり放題のオフィス……。「ブラック企業」という言葉が頭をよぎったが、「早く就活から解放されたい」との思いが、疑いから目を背けさせた。
当時を振り返り、勝は「多少条件が悪くても正社員として働きたいとの切迫感を逆手に取られた。僕らの足元を見るような姿勢がやり切れない」と悔やむ。
今野によれば、サービス残業など違法行為を強いる企業は昔から存在したが、終身雇用や年功賃金といった正社員ならではの見返りもあった。「今は、若者はブラック企業とわかってなお、すがらざるを得ない。そうした企業への世間の関心は低く、労働団体も問題の深刻さがわかっていない。当事者の若者も、もっと声を上げるべきだ」(敬称略)
【社内失業】
正社員でありながら仕事がない状態。「社内ニート」とも呼ばれる。オイルショック(1973年)後に登場した「窓際族」が中高年だったのに対し、社内失業に陥るのは主に入社後間もない20〜30歳代の若手社員。職業的知識や技能の蓄積のなさなどを考えると、窓際族より深刻との指摘もある。