「ぶっ殺す」
電話を取ると同時に、太い声が耳に突き刺さる。1分ほど待たせた相手の怒りは初めから全開だ。
沖縄県浦添市にあるヤマダ電機のコールセンター。仲宗根彰平さん(20)はひたすら謝り続けた。通話が長引けば、待たせる電話がまた増える。悪循環だ。
「僕が怒られてるわけじゃない。たまたまぶつけられてるだけ」。働き始めて1年半。こんな電話を受けるたびに、そう自分に言い聞かせている。
全国各地の店舗などから転送されてくる電話を600人で受ける。仲宗根さんの担当は東京・池袋駅前の大型店。「ゲーム機の在庫はあるか」「売り場の佐藤さんと連絡を取りたい」「店への行き方は」
パソコンに向かって、息つく間もなく電話を受け続ける。困ったときは座ったまま黙って手を挙げ、リーダーを呼ぶ決まりだ。トイレに行くにも許可がいる。
問い合わせへの答えを見つけるために電話を保留にできる目安は1分まで。通話が5分を超えると、トラブルはないかとリーダーが確認に来る。
一度も行ったことのない池袋の風景はネットで何度も見て頭にたたき込んだ。1時間に10本以上の電話を受けられるようになった。
「原発再稼働は許せん」「何で電気代が上がるんだ」。理不尽な電話も日常茶飯事だ。「何で怒ってるんだろう」と笑ってしまいそうになることもある。
高校卒業後に結婚し、子どももできて、家賃3万円のアパートに家族3人で暮らす。車の整備士を目指していたが、月の稼ぎが7万円ほど。今の仕事なら倍は稼げる。
一緒に入った13人のうち残っているのは2人だけ。みんな「体調不良」などを理由に辞めていった。
「一回折れてしまうと、立ち直れない人が多いですね」。新田健介センター長はいう。最初の1カ月で3分の1が辞めるという。
ヤマダ電機が沖縄にコールセンターを置いたのは2005年。沖縄の失業率は全国平均の1・5倍以上。都市部より300円低い900円程度の時給でも人材は集まった。修理の受け付けから始め、今は都市部の営業効率を上げるため、店にかかってくる電話も受けている。
■9割非正規
繁忙期は1日10万件、閑散期は1万件。従業員の9割は2カ月ごとに契約更新される派遣労働者だ。電話の数に合わせ、採用期間や人数を調整している。
田仲亜矢子さん(39)はここで働いて2年半。入れ替わりの激しい職場ではベテランに入る。10人に1人が登用される「リーダー」だが、非正規の立場に変わりはない。
双子の息子は中学1年。夫とは7年ほど前に離婚し、シングルマザーとして育ててきた。派遣の仕事などをしてきたが、最低賃金の時給653円ギリギリの職場ばかりで、手取りは月に10万円余。コールセンターなら何とか3人で食べていける。「子どもが高校出るまでは」と働き続ける。
どんな電話がかかってくるのか。録音を聴かせてもらった。
「言い訳なんか聞きたくないっ」。甲高い怒鳴り声。オペレーターの謝罪を遮るように言葉を重ねる。
「許してあげようと思ったけど、駄目だね」「なんでこっちが電話代かけなきゃいけないんだ」「いい加減にしろよホント」
都心の店でゲーム機の修理を頼み、その対応が不満だと何度も電話をかけてくる中年の男性客。2週間ほど前に「名前を聞いたら、すぐに上司に代われ」と要求し、その後も試すように電話をかけてくる。
今回は電話番号を尋ねられたことに腹を立てていた。その間、5分。話すほどに言葉は荒く、激しさを増す。最後は「上から電話させなさい」と電話を切った。
かかってくるのは決まって平日の午後。「仕事でやなことあったんだよ」「営業の人かも」。オペレーターたちは相手を想像しあって、気を紛らわせる。「そうでもしないとつぶれちゃいますから」
電話が転送され、店につながらないことに腹を立てる客もいた。「そこは九州か。何でお前らと話さなあかんねん」「30分以内に店からかけ直せ。約束できひんのか。だから電話番いわれるんじゃ、ぼけ」
■黙って40分
市川千代さん(41)は、この1年半で1万人以上と話した。「ありがとうって言われる仕事じゃない。でも、人と話すのが好きなので続けてます」
ある時、電話口で泣き続ける80代の女性がいた。
「息子が昔はかわいかったのにね、言うこと聞かないの。勝手にテレビを買ってきてね……」
どう答えていいのか分からないままやりとりを続けていると、後ろからリーダーに肩をたたかれ、メモを渡された。「黙って聞いてあげて」。40分間、聞き続けた。
「赤ちゃん泣いてますけど、大丈夫ですか」。そんな一言が相手の気持ちを和らげる。「無理いってごめんなさいね」とねぎらわれることも、たまにはある。「どんな相手でも受け止めるのが私たちの仕事です」
苦情や問い合わせを一手に引き受けるコールセンターは各業界で増え続けている。その労働人口は90万〜100万人といわれる。
相手が納得するまで切らない。それがコールセンターのルールだ。トイレの壁には誰かが拳で開けた穴が二つ残っている。
取材=仲村和代
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〈コールセンター〉 1990年代にインターネット業界や電機メーカーなどを中心に始まり、各業界に広がった。当初は大都市圏に置かれていたが、人件費などのコスト削減のために地方に移す動きが進んだ。
沖縄県は98年から通信費の補助などを推進。12年1月までに69社を誘致し、1万5千人以上の雇用を創出した。各地の自治体も追随し、東日本大震災の被災地周辺でも多くの企業のコールセンターが設置された。離職率の高さが業界共通の課題で、待遇改善と人材育成を目的とした資格認定制度もできている。