月収3千円「何度も自殺考えた」 生活保護めぐる訴訟

朝日新聞 2013年11月1日

 【後藤泰良】若くて健康。真摯(しんし)に求職活動すれば仕事に就けるはず。その論で生活保護費の支給を認めなかった大阪府岸和田市の判断は誤りだと司法が断じた。31日の大阪地裁判決。市の保護申請の却下処分取り消しを求め勝訴した原告の男性(40)は、求職に奔走しつつパンの耳をかじり命をつないだ日々を「地獄でした」と振り返った。

生活保護の支給基準、地裁が言及
 閉廷後、法廷を出た男性は目に涙を浮かべ、岸和田市の非を認めた判決に「ほっとしました」と語った。

 中学を卒業してすぐ働いた。レストランの調理場やリフォーム会社の営業、テレビや携帯電話を組み立てる工場の派遣社員。「健康でやる気もある。仕事がないとは考えもしなかった」。だが2008年2月、大阪都心部に近い街から夫婦で義母の住む岸和田市に転居してから状況が変わった。

 「面接までたどり着いても、僕より若く学歴のある人が採用される」。転居後、生活保護を受ける1年余りで「400件以上電話し、40〜50回の面接を受けた」。仕事は選ばず当たりまくった。

 右肩下がりの時代を迎えた21世紀、日本の失業率は跳ね上がった。国勢調査によると、00年の4・7%から10年には6・4%へ。特に最終学歴が中学卒業者の労働環境は厳しく、失業中の男性と同じ働き盛りの30代後半(35〜39歳)も8・0%から13・3%に悪化。同年代の高卒7・2%、大卒3・5%に比べ中卒の高失業率が際だつ。

 男性がようやく見つけた仕事は、釣り具の部品を作る内職だった。収入は月3千円ほど。妻(48)も仕事を探したが、ひざが悪くなかなか見つからない。生活保護の受給申請は却下され続け、10円のパンの耳と100円ショップで買った小麦粉、安売りのキャベツを焼いて食べる日々が続いた。

 本やCDなど売れる物はすべて売った。一張羅のスーツも売り、就職面接は普段着で行った。散髪も行けず、風呂も入れず、履歴書を買う金も履歴書の写真を撮る金もなく、1通を使い回した。

 09年7月、6回目の保護申請でようやく保護費の支給が認められた。今は生活保護を受けながら、夫婦で新聞配達をして生計を立てている。

 「何度も自殺を考えた。生きるか死ぬかの生活に陥った人が救われる世の中になってほしい」(後略)

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