津阪直樹 岡林佐和、鈴木友里子 風間直樹
http://www.asahi.com/articles/ASHBC7JBVHBCUHBI01N.html
朝日新聞 2015年10月12日
写真・図版: 長時間労働者の割合など(省略)
長時間労働を嫌って大企業を辞めた男性が綴(つづ)るブログがある。
脱社畜――。会社との距離をどうとるべきかをブロガーの日野瑛太郎さん(30)がそんな題名で書くサイトに月10万人が訪れる。
日野さんは「『長時間労働はいいこと』という意識が最も嫌でした」と振り返る。東大大学院在学中にITベンチャーを立ち上げたが2年ほどで経営が行き詰まり、東証1部上場の大手ソフト会社に就職。そこで見たのは、長時間労働を前提にした企業文化だった。
「今月の残業、100時間超え」と自慢げに話す同僚や、有給休暇を申し出ると嫌な顔をする上司……。早めに仕事を片付けても追加の業務をどんどん振られ、残業時間が月50時間、70時間と延びていった。
「仕事のために生きているんじゃなくて、生きるために仕事をしている」「サービス残業は犯罪行為だ。他人の時間という資産を盗んでおいて、金を払わないのは窃盗と変わらない」
日々の思いをブログに書き始めると、「漠然と感じていたことを言語化してくれた」と予想以上の反響が集まり、本を出版するほどになった。一方で、ブログには「仕事にやりがいを感じて長時間労働をしている人もいる」という批判もある。
2年前、約2年間勤めたその会社を辞めた日野さんは「やりがいを持って仕事に打ち込んでいる人を批判するつもりはない。多くの人は会社と自分の距離をうまく取れない『社畜』にはなりたくないと思っているけれど、どうしていいか分からないのではないか」と話す。
ログイン前の続き日野さんが疑問を感じた「月50時間」の残業は、毎日2〜3時間程度残業することを意味し、多くの日本企業で日常的に見られる長さだ。日本のふつうの企業に広がる長時間労働が男性や女性に何をもたらしているのか、考えたい。(津阪直樹)
■育児と両立、妻に偏る負担
仕事に就きたいと思っても、長時間労働が壁となって立ちはだかる場合もある。
2歳半の娘がいる都内の女性(22)は、長時間の勤務がネックになり、2度退職に追い込まれた。女性はいま、「子どもがいて働くなんて本当に無理なんだってわかった」と嘆く。
出産前はアパレル業界で働いていた。閉店は午後10時。朝から立ち通しで働き、後片付けをして帰宅するといつも深夜。妊娠したら辞めるのが暗黙の了解になっていることを悟り、「ここでは産めない」と出産前に退職した。
出産したあと、託児所付きのエステサロンを見つけ、子どもがいることも、残業はできないことも伝えたうえで入社した。
ところが午後5時に職場を出る女性に、上司や同僚は「なんであなただけ早く帰るの」「夜まで働けないの」と容赦ない言葉を浴びせた。
夫も長時間労働の職場で、育児や家事の分担はできなかった。エステサロンで残業を迫られる心労と育児の負担などで、数カ月で体調をくずし、退職に追い込まれた。
日本では、約6割の女性が第1子出産を機に退職している。労働政策研究・研修機構(JILPT)の内藤忍・副主任研究員は「日本の長時間労働は、女性にとって仕事と家庭を両立していくなかで一番大きなハードルになっている。日本では、男は仕事、女性は家庭といった『性別役割分業』の意識が他の主要国以上に強いことも女性にとってはハードルだ」とみる。
欧州では、子育て期には共働きの夫婦が共に働く時間を減らすケースも多くみられる。昨夏、ドイツの中小企業などを視察した連合の安永貴夫副事務局長は、「ドイツでは平日でも夕飯を家で食べるのは当たり前。長い労働時間が経済力につながるというのは幻想だ」と感じたという。
「性別役割分業」の意識が強い日本では、夫が長時間働き、妻が育児や家事を担当する形になりがちだ。
「うちは母子家庭だと思っています」
今年1月、東京・銀座の銀座三越。育児中の親を支援する催しで、参加していた女性が、こう話した。
主催は、東京都などでつくる「子育て応援とうきょう会議」だ。参加した20〜40歳代の女性約20人は、子育てを一人で抱え込まざるを得ないことへの不安を口々に語った。ある女性は「平日は、夫に全く手伝ってもらえない」と話した。
イベントを運営したNPO「仕事と子育てカウンセリングセンター」の伊藤由貴事務局長は「育児で母親が孤立し、『孤育て』になっている家庭が多い」と危惧する。(岡林佐和、鈴木友里子)
■定年の夫、忍び寄る孤立
長時間労働の人生の先には何が待っているのか。
「仕事一筋、長時間労働だった男性が定年後にやりがいを喪失して、うつになったり、自殺したりしている」。大阪樟蔭女子大教授で、男性の更年期外来が専門の医師、石蔵文信さん(59)はこう話す。
「長時間労働を続けてきた男性には、会社でのつながりである『社縁』しかなく、近所で友人を作ることも趣味を持つことも難しい。退職して『社縁』が切れたとたん、社会から孤立する」。結果、妻に一日中まとわりつく。めまいや頭痛を訴える女性が増えているという。石蔵さんはそれを「夫源病」と呼ぶ。
せめて昼ご飯だけでも作れたら、妻の負担が減るのではないか。石蔵さんは数年前から大阪府の吹田市や枚方市などで中高年の男性向けの料理教室を始めた。
「料理ぐらいできるようになって」と妻が申し込んだ人、「自分でやらないといけないと思った」と決意して参加した人。みな黙々と料理を学んでいる。
始めた当初は定員に満たなかった料理教室はいま、申し込み開始から30分ほどで定員オーバーになるほど中高年男性からの申し込みが増えている。(風間直樹)
■仕事人間世代「残業、成長のため」
長時間労働に理解を示す意見もある。
「『何時間でも働く』というAさんと、『会議があったとしても、子どもの誕生日には早く帰りたい』というBさん。2人の能力は同じ。私が上司なら、Aさんに責任ある仕事を任せるのは当然だ」
仕事人間の主人公が出世していく人気漫画「課長島耕作」を描いた弘兼憲史さん(68)はこう語る。
弘兼さんは大学卒業後に松下電器産業(現パナソニック)に入社した。高度成長期、職場は活気に満ち、残業は当たり前だった。「仕事が面白く、長時間労働も全く嫌ではなかった。自分の成長のために必要なことと思っていた」と振り返る。
松下を3年で辞め、漫画の世界に入り、自分をモデルにした作品「課長島耕作」を大ヒットさせた弘兼さん。「共働きなら育児や家事は分担すべきだし、(男性が育児に積極的に関わる)イクメンを否定する気はない」としながらも、「イクメンだけじゃなく、残業をいとわず、仕事を一生懸命やる人も必要ではないか」とも話す。
大手食品会社に勤めていた愛知県の男性(73)も仕事に捧げてきた人生に誇りを持っている。週休1日だった時代。部下の報告書の処理や仕事の準備で、唯一の休みである日曜も会社に行き、残業もいとわなかった。
転勤続きで子どもは小学校を4回かわったが、「家族は常に一緒に生活すべきだ」という考えから単身赴任はしなかった。専業主婦だった妻は仕事の忙しさを理解し、支えてくれたという。「遮二無二働くしかなかった時代で、家庭を無視するしかなかった。妻のお陰で子どももちゃんと育ってくれて後悔はない」と話す。