自公「脱原発」公約破棄 政府エネ計画 正式了承

自公「脱原発」公約破棄 政府エネ計画 正式了承

東京新聞 2014/04/9

(解説の図表は上記URLをクリック)

 自民、公明両党は八日の与党政策責任者会議で、中長期のエネルギー政策の指針となる「エネルギー基本計画」の政府最終案を正式に了承した。与党協議は一カ月間にわたったが、「原発は重要なベースロード電源」と位置付けた政府の原発推進路線への逆戻りを追認しただけだった。政権復帰した二〇一二年の衆院選で両党が掲げた「脱原発依存」の公約破棄は明白になった。 (城島建治、横山大輔)

 政府原案の是非を議論する自民、公明両党のワーキングチームは三月七日から議論を開始し、六回の会合を重ねた。だが、原発の再稼働に歯止めをかけるべきだとの意見はほとんど出なかった。

 一二年衆院選で「一年でも早く原発ゼロを目指す」と公約した公明党も、再稼働には異論を挟まなかった。修正を求めたのは原発の代替エネルギーとして、再生可能エネルギーの数値目標を盛り込むことや、使用済み核燃料の再利用の見直し、高速増殖原型炉もんじゅの廃止だった。

 いずれも衆院選や参院選で、脱原発依存とともに「三〇年に再生可能エネルギーの割合30%を目指す」「もんじゅを廃止する」と公約していたからだ。しかし、使用済み核燃料の再利用は見直されないまま政府案を了承。再生エネについても、本文でなく脚注に三〇年に「20%」の数値を明記し、本文でそれを「さらに上回る水準を目指す」とした政府の譲歩案を受け入れるにとどまった。

 自民党は衆院選公約で「原子力に依存しなくてもよい経済・社会構造の確立を目指す」と、将来的には「脱原発依存」を目指す考えを示していた。党内の脱原発を目指す議員からは、公約違反の政府原案に修正を求める意見も相次いだが、こうした批判は党内の大勢とはならなかった。

◆混乱・不満積み残し

 自民、公明両党が八日に正式了承した「エネルギー基本計画」の政府最終案では、いったんは原案の冒頭から削除された東京電力福島第一原発事故に対する「深い反省」を含む一文が復活した。だが、公明党の石井啓一政調会長が記者会見の場で、この修正に関し「聞いていない」と不満を漏らす一幕があった。

 原発事故への「深い反省」は、両党の協議で「(政府案に)同じ表現が出てくる」と削除され、いったんは後のページに回された。

 前文に事故の反省が復活したのは、自民党内の原発容認派からも事故の教訓を軽んじている印象を与えるとの批判が出たためだ。公明党もこの記述変更に異論はなかったが、石井氏はこの日の正式了承後、自民党の高市早苗政調会長と一緒に記者会見するまで知らなかった。記述の変更を高市氏が石井氏に伝えていなかったことが原因とみられ、与党内の連携不足が露呈した。

 これに先立つ自民党の総務会では最終案が全会一致で了承された。ただ、村上誠一郎元行政改革担当相は同案を批判して途中退席。総務会ではメンバーでない河野太郎副幹事長も出席し「党内手続きに欠点がある」などと批判するなど、了承手続きは自民党内でも不満を残したまま終わった。

<エネルギー基本計画> 国のエネルギー政策の中長期的な指針と位置付けられる。エネルギー政策基本法で政府に策定が義務付けられている。経済産業相が有識者で構成する総合資源エネルギー調査会の意見を聞いて政府案をつくり、閣議決定する。3年をめどに見直す。現在の計画は2010年に民主党の菅内閣が閣議決定した。11年3月の東京電力福島第一原発事故を教訓に、民主党政権は30年代に原発稼働ゼロを目指す方針を決めた。安倍政権は民主党のゼロ戦略を撤回し、近く閣議決定するエネ計画で原発推進路線を鮮明にする。

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