(働き方改革を問う:4)残業時間の上限規制 「月100時間」、労使が神経戦

(働き方改革を問う:4)残業時間の上限規制 「月100時間」、労使が神経戦

朝日DIGITAL 2017年6月4日

http://digital.asahi.com/articles/DA3S12971545.html

労使の合意文書を安倍首相に渡した後、記者団の質問に答える経団連の榊原定征会長(左)と連合の神津里季生会長=3月13日、首相官邸、仙波理撮影(画像省略)

 連合会長の神津里季生(こうづりきお)は、首を縦に振ろうとしなかった。「サインはしたくない」。3月13日の朝になっても、神津は合意文書に署名するか迷っていた。

この日の夕方、安倍政権が導入を目指す「残業時間の上限規制」を巡って労使が合意文書を取り交わし、神津は経団連会長の榊原定征(さだゆき)とともに官邸を訪ねて、首相の安倍晋三に報告する手はずになっていた。

2月1日。安倍が議長を務める「働き方改革実現会議」の終了直後、神津は官邸に集まったテレビカメラの前で啖呵(たんか)を切っていた。

「月100時間は到底あり得ない」

その直前に、特に忙しい時期は残業時間の上限を「月最大100時間」とする政府案を、報道各社が一斉に報じていた。脳・心臓疾患の労災認定基準では、発症前1カ月の残業がおおむね月100時間を超えると過労死と認定される。

「月100時間まで残業をしてもよい、と世間が思ってしまう」。そう危惧した神津は、自らの思いを率直に口にしたのだった。

2月14日。官邸であった7回目の「実現会議」で、神津の席は初めて安倍の正面にセットされていた。

目の前で安倍が言った。

「労使が合意を形成しなければ、残念ながらこの法案は出せない。胸襟を開いての責任ある議論を労使双方にお願いしたい」

この瞬間、残業時間の上限規制の中身は経団連と連合との協議に委ねられた。労使の攻防の火ぶたが切られ、その後1カ月にわたり神経戦が続くことになる。

 ■かつて改革頓挫

「総理が『働き方』に強い問題意識を持っている」

内閣府の官房審議官だった新原浩朗(にいはらひろあき)は2014年秋、首相周辺からそう告げられた。経済産業省出身の新原は、後に内閣官房に設けられる「働き方改革実現推進室」の室長代行補に就任。「実現会議」を仕切ることになる。

70年の歴史がある労働基準法を改正し、事実上青天井になっている残業時間に上限を設ける議論は今回が初めてではない。労使の代表が加わる厚生労働省の労働政策審議会で重ねて議論されたが、その度に労使の利害が鋭く対立してきた。

連合は13〜15年の労政審でも上限規制の導入を訴えたが、「一律の規制は事業活動に影響が出る」との経団連の主張が通り、改革が頓挫した経緯がある。

当時、上限規制を検討する責任者だったのが厚生労働審議官の岡崎淳一。規制の実現には労使の説得がカギだと捉えた新原は、厚労省の事務方ナンバー2の岡崎に相談した。「あの時できなかった上限規制を導入できるチャンスだと思った」と岡崎。昨年9月、新原とともに「実現推進室」の室長代行補に就いた。

「実現会議」の初会合の2週間前には、上限規制の政府の原案がすでにできていた。昨年9月13日付の原案には「時間外労働の限度を設ける場合の考え方」として、「一時的な業務量の増加がやむを得ない特定の場合についての上限時間」が「単月で月100時間」と記されている。上限規制の導入に向けた「最大のハードル」(政府関係者)は、反対する経団連の説得だった。新原らは原案を持って説得に乗り出した。

 ■電通過労自殺、転機に

労使協議の実務を担った経団連の労働法制本部長、輪島忍は、残業規制の検討開始を盛り込んだ「1億総活躍プラン」が閣議決定された昨年6月以降、「規制の導入が避けられないなら、上限は100時間が現実的な選択肢」と考えていた。だが、当時は思いもしなかったことが起きる。

昨年10月7日、世間を揺るがす記者会見が厚労省内で開かれた。15年末に自殺した広告大手、電通の新入社員、高橋まつりの母、幸美(ゆきみ)が長時間の過重労働が自殺の原因だったとして労災が認められたと公表したのだ。6日後、安倍は「実現会議」に関連した働き手との意見交換会で強調した。

「電通の社員の方が働き過ぎによって貴い命を落とされた。二度と起こってはならない。働く人の立場に立った『働き方改革』をしっかりと進めていきたい」

翌14日には東京労働局の「過重労働撲滅特別対策班(かとく)」などが電通の本支社に立ち入り調査。11月7日には強制捜査に乗り出した。東京・汐留の本社に労働基準監督官が列をなして乗り込む映像が、ニュースで繰り返し流された。

輪島は「状況が一変した」と感じた。結果的に、会見を機に経団連の「外堀」は埋められていった。

政府関係者は「昨秋ごろ、経団連との間で上限は『月100時間』で行くという話になった」と明かす。この時点で政府は「最大のハードル」を越えた。残るは連合との調整だった。

「責任ある議論を」。安倍が神津と榊原にボールを投げた2月14日の夜。官邸向かいの中央合同庁舎8号館で報道陣に囲まれた新原は、安倍の発言の意図を怒声交じりに解説した。

「総理がこれだけ主導している」「『お前、真剣にやれよ』『冗談では済まないよ』ということだ」

「お前」が神津を指していることは明らかだった。もはや連合への「圧力」を隠そうともしなかった。

 ■「実態見ず、数字だけ議論」

その2時間ほど前、榊原は官邸4階の渡り廊下で神津と立ち話をした。

「一度会いましょうか」

2人は2月27日に東京・内幸町の帝国ホテルで会談。榊原は3日後、訪問先の那覇で「来週、合意を目指す」と述べ、協議は順調とアピールした。だが、過労死の労災認定基準を根拠にした規制に、野党や過労死の遺族は反発を強めていた。

会談を終えた神津はその日、「全国過労死を考える家族の会」のメンバーを東京・駿河台の連合会館に招いた。代表の寺西笑(えみ)子が神津に言った。「日本の労働者の命がかかっている。上限はできるだけ下げてください」。寺西は外食チェーンの店長だった夫を96年に過労自殺で亡くしている。

その後の協議で連合は、特に忙しい時期の上限を「月100時間未満」にすべきだと主張し始める。「100時間」と「100時間未満」では一見ほとんど違いはないが、「未満」なら労使が上限を決めて労基署に届ける書面に「100時間」と書けなくなる。わずか1秒の違いでも、連合にとって「未満」は「最後の手立て」だった――。事務局長の逢見(おうみ)直人は振り返る。

それでも、榊原は「100時間」を譲らなかった。特に忙しい時期の上限を「月100時間」とすることで、日本商工会議所や全国中小企業団体中央会の了承を取り付けていたからだ。人手に余裕がない中小企業にとって、上限規制の影響は大きい。榊原は輪島に「100時間で行け」と指示を出していた。

3月13日。神津と榊原は官邸で安倍に合意文書を渡した。特に忙しい時期の上限は「月100時間」と書かれていたが、そこに「基準値」という不可思議な文言がついていた。「月100時間」か「月100時間未満」かを労使で決められなかったゆえの「苦し紛れの表現」(神津)だった。

「月100時間はありえない」と啖呵を切っていた神津は、合意文書への自筆のサインを拒んだ。せめてもの抵抗だった。労使トップ2人の名前は、自筆ではなく印字になっていた。

文書を渡された安倍はその場で「月100時間未満」とするよう提案。4日後の実現会議に示された政労使提案の文言は、安倍の言った通りに変わっていた。

協議の行方をかたずをのんで見てきた寺西は言う。

「働く人の実態を見ないで、数字の議論だけをしていたようだった」

=敬称略

(千葉卓朗、編集委員・沢路毅彦)



次回は11日朝刊です。残業時間の上限規制だけでは防げない問題を考えます。

 ◆キーワード

<残業時間の罰則付き上限規制> 労働基準法は、労働時間の上限を1日8時間、週40時間と定める。ただ労基法36条に基づいて、労使が合意して協定を結べば、これを超える上限を設定できる。仕事が忙しいといった「特別な事情」があれば、残業時間を事実上青天井にできる「抜け穴」もあり、長時間労働の温床と批判されてきた。

政府は労使協定を結んでも超えられない罰則付きの残業時間の上限を定める方針。上限は原則として「月45時間、年360時間」。繁忙期などの「特例」として(1)〜(4)の制限を設ける。(2)(3)には休日労働を含む。制度設計には既存の四つの水準(45、60、80、100時間)が使われた。政府は「働き方改革実行計画」にこうした方針を明記。今秋の臨時国会に労基法改正案を提出予定だ。

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