終わらない氷河期〜今を生き抜く ■第1回 生活保護のシングル女性 結婚もあきらめ 「何をしたいという希望もない」(7/31)

終わらない氷河期〜今を生き抜く ■第1回

生活保護のシングル女性 結婚もあきらめ 「何をしたいという希望もない」
https://mainichi.jp/articles/20190729/k00/00m/040/142000c

毎日新聞2019年7月31日 07時00分(最終更新 8月14日 00時26分)

Texts by 牧野宏美

 バブル経済崩壊後、企業が大幅に採用を手控えた「就職氷河期」(おおむね1993〜2004年)。当時、多くの若者が社会人への玄関口で足止めをくらい、将来への希望を奪われた。彼らは現在、30代半ばから40代後半。今も多くの人が、非正規の仕事を繰り返したり、ひきこもりを経験したりするなどし、苦悩を抱えながら生き抜いている。第1回は、非正規雇用を繰り返し、今は仙台市内で生活保護を受けながら、仕事探しを続けるシングル女性の人生をたどる。

相談場所で鶏肉のクリーム煮 「これで何とか生き延びられる」

 令和が幕を開けたばかりの5月4日夕方。10連休のためカップルや家族連れでにぎわう仙台の街を、山川美香さん(40)=仮名=は空腹を抱え、ふらふらと歩いていた。所持金は1200円。この2週間はフードバンクでもらったカップラーメンで食いつないできた。交通費節約のため1時間以上かけ、たどり着いたのは、生活困窮者向けに食事を提供する相談場所だった。温かい鶏肉のクリーム煮を口に入れると、久しぶりに人のぬくもりを感じた。「これで何とか生き延びられる」。ほっとした。

 山川さんは4月下旬、派遣会社から百貨店での衣料品販売の仕事を紹介され、生まれ育った県外の町から仙台市内の6畳一間と台所だけのアパートに引っ越した。「非正規雇用から抜け出すために、今度こそキャリアアップしたい」と考えたからだ。折り合いの悪い家族からも離れたかった。ところが、転居した直後に「求人がなくなった」と告げられ、やむを得ず始めた短期のアルバイトも10連休はシフトに入れなかった。蓄えがない中で収入が途絶え、たちまち追いつめられた。相談場所で勧められて生活保護を受け、新しい仕事を探そうとしていた矢先に心身の疲労がたまり体調を崩した。現在も入院中で、「生活保護を受けるのも申し訳ない。一日も早く退院して働きたい」といたたまれない気持ちでいる。

〔写真〕山川さんが大型連休中に駆け込んだ支援団体の相談場所。撮影時には、ボランティアが生活困窮者の男性(手前)から話を聞いていた。支援団体は「大人食堂」と名付け、無料で食事を提供する活動をしている=仙台市青葉区で2019年6月30日、牧野宏美撮影

卒業時には十分わからなかった氷河期の「つらさ」

 99年に短大を卒業し、大学の就職支援課に勧められるまま地元の小さな観光関連会社の試験を受け、採用された。順調に思えたが、上司から毎日のように会議室に呼び出され、「制服のサイズが合っていない」「パンプスのヒールの音がうるさい」などと理不尽な理由で怒鳴られ続けた。パニック障害になり、1年余りで退職。手に職をつけようと美容師を目指して上京したが、交通事故に遭ったのを機に地元に帰り、生活のために01年から衣料品販売のアルバイトを始めた。長い非正規の生活が始まり、卒業時には十分にわからなかった氷河期のつらさを知ることになる。

 最初のバイトでは途中から賃金が払われなくなり、翌年から別の店で契約社員として働いた。販売の仕事は楽しく、陳列方法や接客を工夫するうちに売り上げは正社員の店長を超えるようになった。「正社員にしてほしい」と何度も要望したが、聞き入れられなかった。他店からの誘いや不況による閉店などさまざまな理由でその後も1〜3年のスパンでショッピングモールなど勤務先が変わり続けた。どこも手取りは月12万〜13万円程度。サービス出勤や残業が多かった。人手が足りず、1人で店を切り盛りする「ワンオペ」も珍しくなかった。接客の時以外は「ほとんど走っていた」といい、10年に体調を崩して退職を余儀なくされた。

 しばらく休養し、翌年、より待遇のいい仕事を求めて携帯電話ショップの契約社員になった。給料や労働環境もよくなり半年ほど勤めたが、実家の祖父母が相次いで倒れ、母親に「助けてほしい」と強く頼まれて退職。2年ほど介護や農業を手伝った。

 14年に再び働こうと職探しを始めた。35歳になっていた。衣料品販売は体力的にも厳しいと感じ、携帯電話ショップやホテルなど少しでも待遇のいい職種に応募したが、どこにも採用されなかった。募集の多くは「35歳まで」。衣料品販売しか経験のない女性にとって、上限年齢で他業種に行くのはハードルが高かったという。結局、再び衣料品販売の契約社員に。「即戦力と重宝されるが、いつまでも非正規。いくら販売成績を上げても認めてもらえないし、正社員にはしてくれない。ステップアップもないし、給料も上がらない」。販売は独学で、研修を受ける機会もほとんどなかった。いつの間にか周囲は自分より若いスタッフが多くなったが、待遇はほぼ同じ。「お客様に喜んでもらえるのだけが楽しみで続けていた」

仙台の町並み。山川さんは、希望を抱いてこの町に来たが、今も仕事が得られないままだ=ゲッティ

「正社員にならないか」打診は白紙に…「やっぱりか」

 18年6月から派遣会社に登録し、ファミリー向けの店で働き始めて転機が訪れた。仕事ぶりが評価され、「正社員にならないか」と打診を受けた。「やっとまともな仕事につける」と喜び、初めて実家を出て、通勤のため近くに家賃4万1000円のアパートを借りた。その翌日、「社員化は白紙になった」と連絡を受けた。理由は不明だが、派遣会社と派遣先との間で契約の金額などが折り合わなかったようだという。納得がいかなかったが、あきらめる癖がついたのか「やっぱりか。そんなにうまくいかないよね」とも思った。生きるため、働き続けるしかなかった。就職したばかりの頃に夢見ていた結婚も、いつしかあきらめていた。

 派遣会社から仙台での仕事の話が来たのは、19年春。ちょうど心機一転したいと思っていたころで、故郷を離れる決断をしたが、より苦境に陥ってしまった。

 山川さんは20〜30代が主流の衣料品業界で、40代の自分が今後も同じように非正規の仕事を続けていける自信がないという。店の販売代行という形での独立も考えるが、経験者から簡単ではないと聞き、動き出せないでいる。「十数年こんな生活を続けて、すりきれてしまった。搾り取られてかすかすな状態です」

 政府は就職氷河期世代30万人の正社員化を掲げて就労支援策を打ち出すが、職業訓練を想定しているのは運輸や建設、ITなどの分野だ。女性の同業者の間では「自分たちは関係ないよね。いつまでたっても救われないよね」と冷めた声が多いという。

 「これからどう生きますか」と尋ねると、時折涙ぐみ、声を震わせながら答えた。「何をしたいという希望もないし、長く生きたいとは思わない。50歳ぐらいまででいい。死んだ時は友人に火葬してもらうことになるので、その費用とお礼のお金ぐらいは用意しておかないと」【牧野宏美/統合デジタル取材センター】

非正規シングル女性

 就職氷河期を経験してその後も苦しむ人たちの中でも、正規の職につけないシングルの女性たちの状況は一層深刻だ。総務省の労働力調査によると、35〜44歳の非正規かつシングルの女性は2018年で47万人で、統計を開始した02年の17万人から3倍近くに増加。横浜市男女共同参画推進協会などが30〜50代の非正規シングル女性を対象に実施した15年の調査では、6割が不本意ながら非正規職にあり、7割が年収250万円未満だった。8割が収入の少なさを悩みに挙げ、仕事が継続されるか不安があると訴える人も6割いた。

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