同一労働・同一賃金の衝撃 大企業は本当に「非正規社員を救う」のか
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2019年11月18日 05時00分 公開
[溝上憲文,ITmedia]
政府の働き方改革関連法の大きな柱である同一労働同一賃金の規定を盛り込んだ「パートタイム・有期雇用労働法」が2020年4月の施行までいよいよ半年を切った(中小企業は21年4月)。
最大の狙いは均等・均衡待遇原則に基づき正社員と非正社員の不合理な待遇差の解消を目指すことにある。非正社員とは有期雇用契約労働者、パートタイム労働者、派遣労働者のことだ。均等待遇とは、働き方が同じであれば同一の待遇にしなさい、均衡待遇とは働き方に違いがあれば、違いに応じてバランスをとって待遇差を解消しなさいということだ。
しかし、待遇差を解消しようとすれば、これまで低い賃金で使ってきた非正社員の賃金を上げざるを得ない。当然人件費は増える。施行が目前に迫る中で正社員と非正社員の格差をどのようにして埋めるのか多くの企業が対応に苦慮している。日本経済新聞社の大手企業の「社長100人アンケート」(19年9月20日)によると、法制化に向けた対応が「完了した」企業は39.3%にとどまる。また、人件費負担が「増える」「どちらかといえば増える」と答えた企業は46.9%に上る。
同一労働同一賃金に向けて「非正規社員の待遇改善」が必須となる(写真提供:ゲッティイメージズ)https://image.itmedia.co.jp/l/im/business/articles/1911/18/l_dk_part_0.jpg#_ga=2.214805973.356815516.1574120582-1547005178.1571179941
「ダブルコスト」に悲鳴上げる中小経営者
中小企業の施行は21年4月だが、すでに悲鳴が上がっている。日本商工会議所と東京商工会議所は10月17日に政府に対し「雇用・労働政策に関する要望」を発表。調査では、同一労働同一賃金について「対応済・対応の目途(めど)がついている」と回答した中小企業は36%にとどまり、48.0%が「内容が分かりづらい」と回答している。その上でこう述べている。
「日本商工会議所の調査では、コスト増加分の価格転嫁についてBtoC(企業対消費者)、BtoB(企業間)ともに転嫁に難航している中小企業が8割に達している中で、同一労働同一賃金は非正規社員の処遇改善により人件費増につながることから、『原資がなく対応に困っている』といった声も多く聞かれている」
実際に頭を抱えている企業も多い。パート・アルバイトを含めて1500人の非正社員を抱える飲食チェーンの人事部長はこう語る。
「今年4月に施行された残業時間の上限規制によってこれまで見過ごされてきたサービス残業も割増賃金を払うようになり、従来以上に人件費が増えました。今度は同一賃金同一労働の法制化で非正社員に支払っていなかったボーナスや諸手当も支給しなければいけなくなります。正社員と同じ手当を払えば、下手をすれば事業の存続にも影響します。今、正社員の賃金体系も含めて全体の制度を見直している最中ですが、それでもかなりの人件費増は避けられません」
企業にとっては働き方改革関連法の残業時間の上限規制に伴うコスト増と非正社員の処遇改善でダブルコストになる恐れもある。
では具体的にどういう影響を与えるのか、改めて法律の中身を検証してみよう。正社員と非正社員の間の均等・均衡待遇原則の判断基準となるのが20年4月の法律施行と同時に施行される「同一労働同一賃金ガイドライン」だ。
「不合理な待遇差」を解消するための規定が整備された(厚生労働省リーフレット「働き方改革〜一億総活躍社会の実現に向けて」より)https://image.itmedia.co.jp/l/im/business/articles/1911/18/l_dk_part_1.jpg#_ga=2.214805973.356815516.1574120582-1547005178.1571179941
「同一労働同一賃金ガイドライン」の中身
ガイドラインでは、基本給、賞与のほか、役職手当、特殊作業手当、特殊勤務手当、時間外労働手当の割増率、通勤手当・出張旅費、単身赴任手当、地域手当、福利厚生などについて判断基準を解説している。
例えば基本給については「能力・経験」や「業績・成果」、あるいは「勤続年数」に応じて正社員に支払っている場合は、非正社員も実態が同じであれば同じ額、違いがあれば、違いに応じた額を支給しなければならないと言っている。また、正社員は毎年、勤続による能力の向上に応じて昇給する場合、非正社員も同じ能力が向上すれば同じ額を昇給させ、能力に違いがあれば違いに応じた昇給をしなければならない。ボーナスも会社の業績への貢献度に応じて支給する場合、非正社員が同じ貢献をしていれば同じ額を、違いがあれば違いに応じた額を支給する必要がある。
正社員と非正社員の業務内容や責任の程度など働き方がまったく同じというケースは少ないだろうが、例えば正社員が年功賃金で毎年昇給していれば、非正社員を昇給させないのはダメだということになる。
すでに法律施行前の裁判でも正社員との基本給格差が不合理だとして支払いを命じた判決もある(「学校法人産業医科大学事件」福岡高裁平成30年11月29日判決)。
臨時職員として30年以上働きながら、同じ頃に採用された正規職員との基本給の額が約2倍も開いていたことについて均衡待遇の観点から裁判所は不合理と断定した。
また、ボーナスについても会社の業績貢献度に応じて支払っている場合、正社員だけに支給し、非正社員はゼロというのは許されない。労働問題に詳しい弁護士はこう指摘する。
「もちろんボーナスなしは許されません。似たような仕事をしている正社員に給与の4カ月分を払っているとすれば、ボーナスの査定期間に正社員と比べて非正社員がどれくらいがんばったのか、あるいはどれぐらい重い仕事をしていたのかを、貢献度の度合いに応じて支払うことになります。正社員10に対して8ないし7なのか。さすがに10対4や10対3の割合ではアウトでしょう」
待遇に関する説明義務が強化された(厚生労働省リーフレット「働き方改革〜一億総活躍社会の実現に向けて」より)https://image.itmedia.co.jp/l/im/business/articles/1911/18/l_dk_part_20.jpg#_ga=2.142508272.356815516.1574120582-1547005178.1571179941
同じ額を支給しなければならない手当
さらに厳しいのが正社員に支払われている諸手当も非正社員に同じ額を支給しなければならないことだ。ガイドラインでは以下の手当の同一の支給を求めている。
・業務の危険度または作業環境に応じて支給される特殊作業手当
・交代制勤務などに応じて支給される特殊勤務手当
・業務の内容が同一の場合の精皆勤手当
・正社員の所定労働時間を超えて同一の時間外労働を行った場合に支給される時間外労働手当の割増率
・深夜・休日労働を行った場合に支給される深夜・休日労働手当の割増率
・通勤手当・出張旅費
・労働時間の途中に食事のための休憩時間がある際の食事手当
・同一の支給要件を満たす場合の単身赴任手当
・特定の地域で働く労働者に対する補償として支給する地域手当等
この中には家族手当や住宅手当などは入っていないが、こうした生活関連手当は仕事の内容や出来不出来などの中身とは関係なく支払っている以上、正社員だけに支給し、非正社員に支給しないというのは合理性に欠ける。自社の正社員の就業規則に明記された支給要件に基づいて同額の手当を支払う必要がある。
ちなみに家族手当の支給要件は企業によって違うが、本人が世帯主であるかどうか、配偶者(妻)の収入、子どもの年齢、老親の有無などによって決まる。例えば配偶者手当の支給要件は「年収103万円以下」という税制上の「配偶者控除」が適用される基準と同じ要件にしている企業も多い。それから外れる主婦パートには支払う必要はないが、近年では家計を支える男性契約社員やシングルマザーなども増加している。正社員と同じ家族手当の要件を満たす非正社員に支払うことはかなりの負担となる。
さらにガイドラインでは金銭的処遇以外についても同じにしなければいけないと明記している。例えば「食堂、休憩室、更衣室といった福利厚生施設の利用、転勤の有無等の要件が同一の場合の転勤者用社宅、慶弔休暇、健康診断に伴う勤務免除・有給保障については、同一の利用・付与を行わなければならない」としている。
同一労働同一賃金を巡る労働者と使用者の争いは最終的には裁判で決着することになる。しかし、自社の非正社員は何も知らないからと放置しておくと、後で痛い目に合うことになる。今回の法改正では非正社員が「正社員との待遇差の内容や理由」などについて使用者に説明を求めたら、使用者は説明する義務があることが盛り込まれた。
しかも使用者の説明に納得がいかない場合は、都道府県労働局の個別労使紛争を解決するための「調停」の対象になった。事業主が十分な説明をせず、調停でも物別れに終わり、訴訟になったら裁判所から正社員との「待遇差」は不合理と判断される可能性が高くなる。
すでに大企業の中には、法律施行前に正社員と非正社員の待遇差を解消する動きも出ている。日本通運は全国の支店で働くトラックやフォークリフトの運転手や事務職など約6000人の非正社員の賃金を正社員の水準まで引き上げる制度を19年4月から導入している。給与の引き上げだけではなく、結婚や家族や親族が死亡した場合の慶弔休暇も正社員と同じにした。
行政による助言・指導や行政ADRの規定が整備された(厚生労働省リーフレット「働き方改革〜一億総活躍社会の実現に向けて」より)https://image.itmedia.co.jp/l/im/business/articles/1911/18/l_dk_part_30.jpg#_ga=2.210666327.356815516.1574120582-1547005178.1571179941
トヨタ、ブリヂストン、NTTの施策
ブリヂストンは国内工場の約1300人の契約社員に正社員と同水準の夜勤手当(一律2万円)の支給を18年4月から始めている。トヨタ自動車も18年4月から、2年以上働いている非正規の期間従業員に対し、子ども1人当たり月2万円の家族手当を支給している。
NTTも正社員に支給していた社員食堂などで使える月額3500円相当の電子マネーや食券の「食事補助」を廃止し、18年から仕事や生活面から支援する「サポート手当」(3500円)として有期雇用のフルタイム勤務者まで拡大して支給することにした。
法律の施行が来年の4月に迫る中で、労働組合がある企業を含めた労使協議も大詰めを迎えている。労使協議には直接の当事者である非正社員も当然加わる必要があり、その上で新たな賃金制度などの制度設計を行う必要がある。前出の弁護士は「労使でまず手をつけるべきは手当でしょう。非正社員から見ても顕在化しやすい職務関連手当、賞与、生活関連給付について優先順位をつけて確認することが大事です。手当が支給されていなければ、合理的理由が言えるかどうかを検証し、言えないとすれば施行までに制度の改定などの検討しておく必要があります」と指摘する。
一方、諸手当を巡る労使交渉において正社員の手当をなくして待遇を下げることで格差を是正しようとする企業が増えることが懸念されている。ガイドラインではそれを踏まえ、事業主が正社員と非正規社員の不合理な待遇差の相違の解消を行う際は「基本的に労使で合意することなく通常の労働者の待遇を引き下げることは、望ましい対応とはいえない」と釘(くぎ)を刺している。
企業は労使協議による合意や制度の変更などの作業に加えて就業規則の変更も来年4月までに完了しなくてはならない。不備な点があれば、今後訴訟リスクが高まることになる。残された時間は少ない。