過労死の責任、役員一人ひとりに 遺族が株主代表訴訟へ

朝日DIGITAL 2016年9月3日
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 過労死や過労自殺を生じさせた企業が負った賠償責任は、役員一人ひとりが負うべきだ――。4年前に自ら命を絶った銀行員の遺族が、株主の立場で当時の役員11人を相手取り、2億6千万円余りを銀行に賠償するよう求める株主代表訴訟を起こす。訴訟を通じ、過労死防止の責任は経営陣にあることを明らかにし、意識改革を促したいという。

 原告は熊本県内の地銀最大手・肥後銀行の男性行員(当時40)の妻(46)。代理人の松丸正弁護士(大阪弁護士会)によると、過労死・過労自殺問題をめぐる株主代表訴訟は全国で初めて。

 男性は為替・手形システムを改める作業の責任者を務めていた2012年10月、本店から飛び降りて亡くなった。熊本労働基準監督署は死の直前4カ月間の残業時間は月113〜207時間と推計。13年3月、働き過ぎで重いうつ病になったのが自殺の原因として、労災と認定した。

 妻ら遺族5人は同年6月、肥後銀行を相手取り、損害賠償を求めて提訴。熊本地裁は14年10月、従業員の健康に注意する義務を怠り、漫然と過重な長時間労働をさせたとして、慰謝料など計1億2886万円の支払いを命じた。銀行側は控訴せずに判決が確定し、賠償金を支払った。

 妻は男性が保有していた株式を相続しており、今回は株主の立場で株主代表訴訟を起こす。訴訟では、役員が過労死を防ぐ有効な体制作りを怠ったため、賠償金を支出することになり、銀行に「損害」を与えたとしている。さらに過労自殺で銀行の信用も傷つき、少なくとも1億円の損害が生じたなどと主張している。

 訴状では、男性の実労働時間が自己申告を大幅に上回っていたことを踏まえ、こうした実態は行内全体の問題だった▽役員は労働時間を適正に把握し、長時間労働があれば直ちに正す体制を作るべきだった−−と指摘。会社に対する注意義務を怠ったと訴える。

 一方、妻が6月、役員に賠償を求めるよう銀行に提訴請求したところ、銀行側は当時の役員に賠償を求めない考えを8月10日付で妻側へ通知。その中で、男性は上司や同僚にもわからないように残業を重ねていた▽銀行では午後11時以降の勤務を原則禁じるなど長時間労働を防ぐための様々な措置を講じていた−−などとし、役員に義務違反や賠償責任はないと反論した。

 松丸弁護士は「役員が最終的に賠償責任を負うことになれば、企業の経営陣が本気で過労死対策に取り組む土壌ができる。訴訟を通じ、個々の役員に応じた責任を明らかにしたい」と話している。

 肥後銀行は「現段階では何もコメントできない」としている。(阿部峻介、阪本輝昭)

 

  「上司の心の中を問きたい」

 「夫がどういう仕事をしていたのか、上司は責任を感じているのか。会社の意見ではなく、個人の心の中を聞きたい」。妻は裁判に込める思いをこう舞った。

 亡くなる直前の変化は、ささいなものだった。いつもは布団からはみ出た小学生の長男の体を戻して寝ていたのに、しないまま眠っている。朝刊を持って出勤するのが習慣だったが、置いたままになっている……。そして2012年10月18日、会社から電話があった。「本店から落ちた」。

遺書には家族や銀行への謝罪の言葉が並んでいた。中学1年になった長男は今でも父親と興じたブロックで飛行機を作り、遊ぶことがある。自分なりに心の隙間を埋めようとしているように見え、胸が締め付けられる。当時2歳の末娘には、まだ父親が亡くなった理
由を伝えていない。

 なぜ夫は追いつめられたのか。真相を知るために損害賠償請求訴訟を起こしたが、求めていた上司らの証人尋問は実現しなかった。勝訴したものの、むなしさが残った。そんな中、個々の経営陣の責任を問株主代表訴訟にたどりついた。

 「夫は戻らないけど、この裁判で過労死や過労自殺を減らせるならうれしい。こんな悲しみは私たちで最後にしてほしい」(阿部峻介)

<コメント>真の再発防止へ一石

 過労死問題に詳しい関西大学の森岡孝二名誉教授の話 過労死・過労自殺をめぐって企業が賠償を命じられるケースは少なくないが、経営者個人の責任にまで踏み込む司法判断は極めてまれ。今回の訴訟は「企業が負けても役員の懐は痛まない」という現状に一石を投じ、裏の再発防止につなげようという新たな手法だ。個人の責任を立証するハード
ルは高いが、訴訟の中で新たな資料や証言が出てくる可能性もあり、企業経営者らが過労死問題を真剣に受け止めるきっかけにもなるだろう。
 

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