2018年1月14日20時59分
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自殺したソニー社員の男性の母。関西の自宅で子どもの頃のアルバムをめくり、ため息をついた(写真省略)
上司の叱責(しっせき)や職場の人間関係に苦しんで心の病を発症した後で、より深刻な長時間労働やパワハラで症状が悪化し、自殺に至った――。こんなとき、今の労災認定基準ではなかなか労災が認められない。病気が自然に悪化したのか、仕事が原因なのかが判然としないというのが主な理由だが、遺族や専門家は労災認定基準の見直しが必要だと訴えている。
ソニーのエンジニアだった男性(当時33)は2010年8月20日、神奈川県内の自宅で自ら命を絶った。関西に住む両親は、前日まで続いた「人事面談」が自殺の引き金になったと考えている。両親によると、男性は同年2月以降、人事部の担当者と十数回の面談を重ねていた。退職を促す意味がある面談で、人事担当者が面談時に書いたメモには、男性に伝えたとみられる内容が列挙されていた。
〈1週間、将来について考えてもらう。社外もけんとう のこりたいなら、気づきを説明せよ〉〈本当に自分の将来を決めるタイミングです〉
自殺前日の面談時のメモによると、男性はキャリアを振り返ってリポートを書くよう命じられていた。リポートの文末に「最後のチャンス」と書くよう指示もされていた。
男性は6歳の時に脳腫瘍(しゅよう)が見つかった。左半身などに障害を抱えながら勉強に励み、大阪大大学院に進学。04年春にソニーに就職した。上司から「子どもでもできる仕事しかしていない」などと叱責(しっせき)を受けたこともあったが、男性は耐え、エンジニアとして成長することを目指していた。
母は嘆く。「ソニーへの入社は息子にとって勲章でした。それなのに入社からわずか6年余りで命を絶ってしまった……」。両親は労働基準監督署に労災を申請したが、認められなかった。神奈川労働局や国の労働保険審査会に再審査を求めても結果は同じだった。行政の判断を不服として東京地裁に提訴したが、16年12月の判決も国の結論に異を唱えなかった。
労災が認められない主な原因は、厚生労働省が11年に作った労災認定基準にある。基準は、心の病の発症前6カ月間の心理的な負荷のレベルを「弱・中・強」の3段階で評価し、「強」の場合に労災を認める内容。たとえば「1カ月に80時間以上の残業」は「中」、「3カ月連続でおおむね100時間以上の残業」なら「強」と評価される。
だが、心の病を発症後に症状が悪化した場合、認定のハードルはさらに高くなり、「強」より深刻な「特別な出来事」が必要になる。長時間の残業なら「1カ月で160時間超」が目安だ。
地裁判決は、上司の叱責(しっせき)の影響もあり、面談で退職を強要される前の10年6月ごろには心の病の一つの適応障害を発症していたと認定したが、適応障害を患う前の負荷のレベルを「中」と判断。10年7月以降の面談での人事部の対応を「退職強要にあたる」と指摘し、この際の心理的負荷のレベルは「強」と判断され、どちらも認定基準を満たさないとされた。
判決に納得がいかない男性の両親は東京高裁に控訴。父は「健康な人でも病気になるような過酷な退職強要を受けたのに、なぜ労災が認められないのか」と憤る。代理人の平本紋(あや)子弁護士は「適応障害の発症前にもかなりの心理的負荷が認められている。発症時期で区切らずに総合的に評価すれば、労災が認められるべきなのは明らかだ」と指摘する。高裁判決は2月22日の予定だ。
基準見直し、求める声
11年に基準を作る際に厚労省が開いた検討会の報告書は、心の病を患っていた人はささいな心理的負荷に過大に反応することがあり、仕事以外の影響で症状が悪化するケースもあることを基準を厳しくする理由に挙げていた。
だが、検討会の委員の中には「たまたま事前に業務外の理由で発症していたためにカウント(認定)されなくなるのは、法律家の判断では不公平かなという気もする」などの異論もあった。国の認定基準を覆した裁判例はある。清掃関連会社に勤め、10年3月に自殺した男性のケースだ。
自殺の約半年前、新規事業を任された重圧などでうつ病を発症していた。名古屋地裁の判決は、発症前の負荷を「『強』にやや近接する『中』」と認定。発症後も「特別な出来事」にあたるほどの負荷は認めなかったが、長時間労働などがあったことを重視。「特別な出来事がなければ、一律に業務起因性を否定することには合理性がない」と指摘し、労災を認めた。名古屋高裁は16年末に国の控訴を棄却した。
心の病の労災認定に詳しい精神科医の天笠崇氏は「発症後の負荷で症状が悪化して亡くなる事例は少なくない。11年にできた認定基準の最大の課題だ」と話す。過労死弁護団全国連絡会議は昨夏、塩崎恭久厚労相(当時)に認定基準の改正を求める意見書を出したが、厚労省補償課は「現在の認定基準が適当と考えているため、改正する予定は今はない」としている。(牧内昇平)