長男の持病理由に転勤拒否し解雇 元社員がNEC子会社を提訴 (7/1)

長男の持病理由に転勤拒否し解雇 元社員がNEC子会社を提訴

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2019/7/1 19:49 (JST)7/1 22:39 (JST)updated

©一般社団法人共同通信社

 

〔写真〕提訴後に記者会見する原告の中正司光幸さん=1日午後、大阪市の司法記者クラブ

 

 小学生の長男(11)に持病があるため転勤に応じなかったことで懲戒解雇されたのは不当だとして、NECソリューションイノベータ(東京)の元社員中正司光幸さん(53)=大阪府岸和田市=が1日、同社に慰謝料100万円の支払いや解雇の無効確認などを求め、大阪地裁に提訴した。

 

 訴状などによると、中正司さんは1990年に入社。主に大阪市中央区のビルで勤務していた。2018年にNECグループが3千人をリストラ目標とする経営計画を発表。中正司さんは川崎市の事業所への転勤か早期退職を求められた。

 NECは「本人の意向などに最大限の配慮をした」とのコメントを出した。


 

父子家庭・子の持病・転勤拒否→解雇 私が提訴したわけ

朝日デジタル 内藤尚志 2019年7月1日18時54分
 
〔写真・図版〕 解雇されたNEC子会社を提訴後、代理人の弁護士とともに記者会見する中正司光幸さん(中央)=1日、大阪地裁
 
 父子家庭で持病を抱える子どもを養いながら、働いていくつもりだった。それが突然、クビに――。
 
 大阪市から川崎市への転勤を拒み、4月に懲戒解雇された中正司光幸さん(53)が7月1日、勤め先だったNEC子会社を相手取り、解雇の無効などを求めた裁判を大阪地裁に起こした。「会社の合理化は必要だが、社員にも事情はある。法律、人権の範囲内で対処すべきだ」。記者会見を開き、提訴にこめた思いを語った。
 
 1日午後、大阪地裁の一室。代理人の弁護士2人と会見にのぞんだ中正司さんは、赤いポロシャツ姿だった。
 
 「大きくて有名な会社なのに、社員が邪魔になったといって解雇した。許せない気持ち」。冒頭でこう批判した。
 
 大阪府内で11歳の一人息子、75歳の実母と3人で暮らす。息子は自家中毒の持病があり、学校でも月3〜4回は頭痛や嘔吐(おうと)などの症状が出る。白内障などを患う母に、息子が発症したときの対応を任せきりにはできず、単身赴任は考えられない。一方、家族での引っ越しは、環境の激変から息子の病状が悪くなりかねないと、担当医に指摘されている。こうした状況から、川崎への転勤には応じられないと、会社側には説明してきたという。
 
 訴状や本人の話によると、中正司さんは大学卒業後の1990年に、関西日本電気ソフトウェア(現NECソリューションイノベータ)にシステムエンジニア(SE)として入社した。最初の転機は04年、病院のシステムを主に担当するチームにいたときだ。トラブルの兆候があれば、すぐに駆けつけ、対応する。患者の命にもかかわる職場だけに常に緊張を強いられ、病院のコンピュータールームで寝泊まりすることもあった。激務で体調を崩す同僚らを見て、当時の社長に働く環境の改善を直訴した。すると、SE職から経営企画を担う部署へと異動になった。
 
 次の転機は、12年に訪れた。NECがグループで計1万人を減らす大リストラに着手したのだ。当時は国内の携帯電話事業が米アップルのiPhone(アイフォーン)に押され、成長を見込んだ海外事業も円高で苦しんでいた。経営企画の担当としてリストラを推進する立場にあったが、特定の社員に「希望退職」を勧める手法に納得がいかず、上司らと対立。気がつくと、自らが退職を勧奨されていた。退職を拒むと、12年10月に人事総務の部署に異動になり、社員の交通費の伝票処理を命じられた。
 
 その後も、似たような仕事を続けてきたという。16年からNEC系の企業に出向し、解雇の直前までは郵便物の仕分けを担当していた。この間、SEや経営企画の経験が生きる業務は、ほぼなかったという。
 
 今回の転勤のきっかけも、NECグループのリストラだった。国内の従業員3千人を減らす計画の一環として、職場だった大阪市内の拠点の閉鎖が昨夏に確定。上司からは、退職金が上乗せされる希望退職か、川崎への転勤を選ぶよう求められた。50代で家庭の事情への配慮を条件に再就職先をさがすのは、ハードルが高い。そのため希望退職にも応じられないと回答したが、上司らは何度も面談し、選択を求めてきた。
 
 それを拒み続けていたら、今年2月に会社側は医療系のSEへの復帰を持ちかけてきた。ITの進展はめざましく、15年ものブランクがあれば、慣れるまで時間がかかる。子どもの病気を考えれば、緊急時の呼び出しには応じられない。そのため当面は補助的な業務しかできないと答えたら、代わりにNEC系の清掃会社への出向を提案された。この会社は、職場が入居するビルの清掃を請け負っている。多くの顔見知りがいるなかで、トイレなどを掃除することになる。「退職勧奨に従わなかったことへの見せしめだ」と感じて拒むと、人事担当幹部から「応じないのであれば、転勤の辞令を出す。あなたが自分の意思で選んだ結果だ」と通告されたという。
 
 結局、3月に川崎への転勤が発令された。入社以来、勤務地はほぼ大阪市内。引っ越しをともなう転勤の命令は初めてだ。着任日は3月中旬から1カ月延期されたが、無視して元の職場に通い続けた。
 
 4月17日が最後の出勤になった。この日の朝、人事担当者が職場にあらわれ、十数人の同僚がいる前で持参した文書を読み上げた。「会社秩序を著しく乱すものとして到底看過できるものではない」。懲戒解雇の通知書だったという。こうして30年近い会社員生活に終止符が打たれた。
 
 「転勤には応じられないから、勝手に辞める。そう思っていたのでしょう」。中正司さんは、そう振り返った。
 
 訴状では、転勤命令を「退職に追い込むという不当な動機・目的によるもの」とし、育児・介護休業法で義務づけられた転勤時の配慮も「尽くしていない」と指摘して、人事権の乱用を主張している。
 
 一方、NECも子会社への提訴を受け、「本人の事情や家族の事情を確認し、最大限の配慮をした。訴状の内容を確認したうえで、対応していく」(広報)とのコメントを出した。NECは海外での成長をめざす経営戦略のもとで、国内の拠点を縮小している。それでも転勤を命じる直前に大阪でのSE職への復帰などを打診した点を、「最大限の配慮」と主張する考えとみられる。
 
 裁判では、原告と被告の言い分が真っ向から対立する見通しだ。中正司さんは解雇後は無職で、預貯金をとり崩して過ごしているという。「懲戒解雇されたという経歴だと、次の職にもつけない。この状態が長引くと、路頭に迷ってしまう」。会見ではそう述べ、裁判が長引くことへの不安もうち明けた。(内藤尚志)
 

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