<研究者目指したけれど 大学非常勤講師らの嘆き>(上・下) 1年契約、弱い立場 (7/10・15)

 <研究者目指したけれど 大学非常勤講師らの嘆き>(上) 1年契約、弱い立場

https://www.chunichi.co.jp/article/living/life/CK2019070802000002.html

中日新聞 2019年7月10日

 

子ども2人を大学の春休みに合わせて出産した非常勤講師の女性(右)=東海地方で

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 「長女も長男も計画的に妊娠した。講義がない春休み期間にかけて生まれるよう計算しました」。一月に長男を出産した四十代女性は打ち明ける。女性は東海地方の私立大二校で人文系の非常勤講師を務める。そうまでしても、大学での仕事は失いたくなかった。

 

 女性が大学院に入ったのは二〇〇二年。奨学金約六百万円を借りて博士課程まで進んだ。業績を残そうと、年に一〜二本、論文を書いては学会で発表を続けた。九年後、無事に博士号を取得。だが、それからずっと、非常勤講師のままだ。

 

 「大学で教えている」といえば聞こえはいいが、要はパート。大学専任の教員と違い、研究費はおろか健康保険や厚生年金の保障もない。契約は一年単位だ。

 

 女性の収入は月に十五万円ほど。週に三日しか仕事がないため、長男は認可保育園に入れられず、月四万円を払って無認可の託児所に預けている。「何のために働いているのか、分からなくなる」と苦笑いする。

 

 結婚後は、夫の稼ぎがあれば食べてはいけた。しかし、仕事はやめなかった。もともと研究者を志したのは「性の違いで生じる不利益など社会の構造的な問題を変えたい」と思ったからだ。周囲の女性研究者は独身が多かった。学問の世界でも、一般企業と同じように、キャリアか、それとも家庭かを迫られる女性特有の境遇を、率先して変えようと決意していた。

 

 「一年契約の任期途中で休むと、大学に迷惑がかかる」と、第一子の長女は一六年一月に出産。大学が春休みに入って講義がない二〜三月は育児に専念し、次年度の四月から再び講義を受け持った。長男も、長女の時と同様、春休みをめがけて出産する計画だった。しかし、予期せぬことが起きた。切迫早産で、予定より四カ月早く、十月から仕事を休むよう言われたのだ。

 

 担当教授は「穴があいてしまう」と頭を抱えた。思わず「代わりが見つかるまで、講義を続けます」と言ってしまい、十一月上旬まで働いた。結局、契約は十一月限りで終了。運良く本年度も、二つの大学と契約を結べたものの、不安定な立場に変わりはない。

 

 文部科学省によると、全国の十八歳人口は、ピークだった一九九二年の二百五万人から、二〇一七年には百二十万人に激減。つぶれる大学も出始めるなど、専任教員の間口は狭まっている。加えて、研究者の世界は男性中心だ。一八年度の大学院博士課程の在学者七万四千三百六十七人の三割は女性。しかし、大学の専任教員に占める女性の割合は二割にとどまる。

 

 大学院時代の仲間には、研究者に見切りをつけ企業に移った人、行方が分からない人も。悔しいのは、博士号も持っていない女性が、顔が広い指導教官に気に入られてポストを獲得したことだ。「研究者も結局、コネが大事なのかと」

 

 大学院時代、同居していた母親が脳梗塞で倒れた。トイレの介助や食事の用意…。介護に追われながら、ようやく取った博士号。「いつか専任教員になれる」と信じて、頑張ってきた。でも、今は半分あきらめている。「転職をしてでも、正規の仕事に就きたい」

 

        ◇

 

 末は博士か大臣か−。かつては子どもの将来を楽しみにして使われた言葉だ。しかし、今、研究者を目指し、大学院で博士号まで取った高学歴の人たちが苦境にあえいでいる。正規の職に就けず何年も非常勤講師の地位に甘んじていたり、雇い止めの恐怖にさらされていたり…。不安定な立場から抜け出せない彼らの窮状を二回に分けて見る。

 

 (細川暁子)

 

 =次回は十五日

 

<研究者目指したけれど 大学非常勤講師らの嘆き>(下) 減る職を奪い合う

https://www.chunichi.co.jp/article/living/life/CK2019071502000002.html

中日新聞 2019年7月15日


〔写真〕大学で非常勤講師を掛け持ちして生計を立てている天池洋介さん。年収は200万円に届かず「生活が苦しい」=岐阜市の岐阜大で


 きょうはこの学校、明日はあの学校…。岐阜大や私立大、短大、専門学校の計四校で非常勤講師を務める天池洋介さん(39)の一週間は忙しい。給与は講義をいくつ受け持つかで決まる。対価は一コマ九十分当たり約一万円。本年度は前期は週六コマ、後期は五コマを担当するが、困るのは講義のない春休みや夏休みだ。収入がなくなるため、年収は二百万円に届かない。


 自宅での授業準備やリポートの添削、テスト作りなどへの手当はない。専任教員になるには、論文を発表するなど研究業績を残していくことが重要だが、本の購入や学会に出るための交通費は自腹。もちろん、健康保険や厚生年金などの社会保険はない。生活は苦しい。「一日一食でしのいだり、見かねた知人が送ってくれた米を食べたり」。白菜を丸ごと買って漬物を作っては、おかずにする。「コンビニ弁当なんて高くて手が出ない」と話す。


 次年度の契約について大学側から打診があるのは、毎年秋ごろだ。「次も仕事をもらえるかどうか、その時期はいつも不安」。しっかり契約を交わすのは新学期の講義が始まる直前、四月に入ってからだ。


 大学を卒業したのはバブル崩壊後の景気低迷期に当たる二〇〇二年。一度は企業に就職したが、勤務は一日十二時間、昼食を取れないほど忙しく、体調を崩して退職した。転職しようにも就職氷河期で、あるのは非正規の仕事ばかり。福祉政策や就労支援を学んで社会を変えたいと心機一転、〇八年に名古屋大大学院に入学。奨学金四百五十万円を借りて博士課程まで進んだ。


 非常勤として働く今、岐阜大では労働組合に入れたが、私立大では「非常勤講師の加入は規約で認められない」として加入できなかった。「非常勤講師の立場は、すごく弱い」。結婚もしたいけれど「こんな不安定な立場では無理」と嘆く。


 少子化に伴い、大学の専任教員の採用はどんどん減っているのに、奪い合う人の数は増えている。背景には、欧米並みの研究レベルを確保しようと、国が一九九〇年代、大学院重点化策を打ち出し、大学院生の数が急増したことがある。


 文部科学省によると、大学院博士課程の修了者は重点化策以前の八九年度は五千五百七十六人。ところが、昨年度は一万五千六百五十八人と三倍近くに増加。それと比例して増えたのが、所属する大学を持たず、非常勤講師などを掛け持ちしながら働く人の数だ。八九年度は一万五千六百八十九人だったが、二〇一六年度は九万三千百四十五人と六倍に増えた。


 今はフリーの文筆業で生計を立てる舞田敏彦さん(43)=神奈川県横須賀市=も、非常勤講師として働き続けた一人。〇五年から五校の私立大で非常勤講師を務めてきたが、四十歳になった三年前の秋、雇い止めにあった。「若い人に職を譲ってほしい」と学科長らに言われたという。


 教育学の博士号を持ち、これまで四十校以上の正規教員の職に応募してきた。学生減少で大学の経営は厳しさを増す。「非常勤講師は使い捨てにされやすい。人件費を抑えるための調整弁になっている」と話す。


 就職先の見込みもないまま、国の重点化策で大学院にいざなわれた若者たち。社会に広がる正規と非正規の処遇の違いは、学問の世界も同じだ。今後ますます高齢化する彼らをどう生かすか、本気で考えるべき時が来ている。


 

 (細川暁子)

 

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