「就職氷河期世代」仕事続かず、親の年金が「生命線」 「独りぼっちの未来が怖い」
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2020/01/16(木) 15:31配信 中国新聞デジタル
「就職氷河期世代」仕事続かず、親の年金が「生命線」 「独りぼっちの未来が怖い」
「就職氷河期世代」親の年金が頼り
就職氷河期世代の中には、老いた親の年金に頼って生活している人たちもいます。安定した職に就こうにも、30代半ばを過ぎて「年齢の壁」に阻まれているのが一因です。親の死で経済的な「生命線」が断たれたらどうしよう―。不安にさいなまれています。
▽私の人生、ほぼ真っ白。独りぼっちの未来が怖い
■広島市の無職女性(41) 高齢の母親と2人暮らし。母の国民年金月4万円と父のわずかな遺産が頼り。
大学卒業後は実家の工場で働いただけで、ほとんど社会に出たことがありません。この前、履歴書を作ろうとしたら、職歴欄もアルバイト欄も書くことがなかった。私の人生、ほぼ真っ白です。若い頃、将来を深く考えなかったことを後悔しています。
年を重ね、弱っていく母(78)から「私が死んだ後どうやって生きていくの」と心配される毎日。独りぼっちの未来を想像するのが怖くて、布団に潜り込み、目を閉じて何も考えないようにするんです。このまま目が覚めなくてもいいかもなって思いながら。
父のわずかな遺産を使い切ったら終わりです。不安になるとつい、ネットで「パラサイトシングル」と検索してしまう。抜け出すヒントがないか探しても、あるのは「末路」とか「共倒れ」とか、ネガティブワードばかり。見なければよかったと落ち込みます。
大学卒業はITバブルがはじけた2001年。先輩たちは100社以上受けて全滅していました。社交的で優秀な同級生すら内定をもらえない時代です。私なんか到底無理だと、就活から逃げてしまいました。
実家が小さな自動車整備工場をしていたので事務を手伝っていました。孫請けのような立場で経営状態は厳しかった。父の糖尿病が悪化し、認知症の症状も見られるようになって、廃業しました。
それから数年間は、母と一緒に父の看病と祖母の介護をして、ほとんど家から出ていません。肩書はずっと「家事手伝い」。女性もバリバリ働く今の時代、絶滅危惧種ですよね。
働く意欲はあるんです。介護系の資格を取るために学費を稼ぎたくてもどこも雇ってくれません。一度だけ、病院の短期パートをしたことがあるけど要領が悪くて失敗ばかり。「あの人使えない」という陰口もありました。でも、腹も立たない。その通りですから。「どうせ私なんて」って、ずっと思ってきました。ただただ、消えてしまいたくなります。
▽母から現金受け取り「ありがとう」。ぼそっと言うのが精いっぱい
■広島県西部の無職男性(46) 1人暮らし。収入は障害年金と母の国民年金の計11万円。
仕事や人間関係のストレスで30代でうつ病を発症しました。睡眠導入剤が手放せず、日中ぼーっとすることもあります。心療内科にも定期的に通わないといけないし、職探しに苦労しています。正社員と非正規を含め、職歴は10社以上。でも労働基準法(労基法)を守らない悪質な企業が多かったですね。
70代の両親にはあきれられていて。うちは典型的な昭和のサラリーマン家庭で、大企業の正社員が成功者という価値観です。努力が足りないとか、自己責任とか言われて針のむしろでした。「介護や清掃は駄目」と仕事の種類まで注文をされるのがしんどくて。
実家を出たものの、生活の大部分を依存している状況です。収入はうつ病の障害年金と、母の国民年金を合わせた月11万円。大手企業に勤めていた父の年金は潤沢で、両親は当面それだけで暮らしていけるので。月1回、母の年金をもらうために帰ります。銀行の袋に入った現金を受け取る時は、「ありがとう」とぼそっと言うのが精いっぱいです。
消費税も上がって生活は苦しいです。安アパートでも家賃を引いたら、ほぼ残らない。食費を月3万円以下に抑えるために毎日同じメニューです。白米、みそ汁、バナナ、ヨーグルト。「安くて体にいいもの」と考えてたどり着いた4品です。それでも赤字になると、前に趣味で買い集めた鉄道模型をネットで売って穴埋めしています。
アベノミクスって何だったんでしょうか。恩恵どころか、増えたのは税金と仕事の負担感だけです。仕事なし、お金なし、体力なし、希望なしの「ないない尽くし」。今頃、氷河期世代の支援って言われてもね。同情するなら仕事くれって感じです。
中国新聞社