今回の総選挙で、見過ごせない争点がある。憲法改正の是非である。
かねて改正を唱える自民党に加え、日本維新の会、みんなの党、国民新党、新党改革も改正を提起している。
戦後、改憲が争点となった選挙はいくどもあるが、これだけ多くの政党が正面から憲法を取りあげるのは異例だ。
もっとも論点は、自民党の国防軍設置から維新の会の自主憲法制定、首相公選制など多岐にわたる。スローガンの域を出ていないものも多い。
それが、日本の抱える課題の解決につながるのか。大いに疑問と言わざるを得ない。
そもそも憲法とは、国のかたちの大枠を定めるものだ。個別の政策を憲法に書き込めば、ただちにそれが実現するというものではない。
憲法改正が、世界にどのようなメッセージを発するかについても慎重な配慮が必要だ。
自衛隊を国防軍に改めることについて、アジアの一部には中国への牽制(けんせい)として理解を示す向きもある。だが、大半の国は、戦前の反省から抑制的な防衛力に徹してきた戦後日本の路線転換と受け取るのではないか。米国から日本の「右傾化」への懸念が出ているのも気がかりだ。
歴史認識や領土問題で近隣諸国との摩擦が高まるなか、それが日本の安全を高める結果をもたらすとは思えない。
自民党などが主張する集団的自衛権の行使を認めるか否かでも、こうした観点が不可欠だ。
しかも、改正には、衆参各院の総議員の3分の2以上の賛成で国会が発議し、国民投票の過半数の賛成が必要だ。総選挙後、衆院がどのような勢力比になろうと、このハードルを乗り越えるにはたいへんな時間とエネルギーが要る。
内外の難題を抱えるなか、そんな政治コストを払ってまで優先すべき憲法改正の課題があるだろうか。まして、土台から作り直す自主憲法論は、気が遠くなるような作業になる。
改憲論の広がりは、国民の間に中国の大国化や北朝鮮の核・ミサイル開発に対する不安、さらに混迷を続ける日本政治への不満が強まっていることと無縁ではあるまい。
内外の環境が大きく揺れ動くなか、国のあり方を根本から議論することには意味がある。だが、すべてをリセットできる便利なボタンなど存在しない。
こんなときこそ、じっくり腰をすえ、現実の課題にひとつひとつ取り組む。それが政治の王道ではないか。