もし成立すれば、「貧困」という言葉を冠する初めての法律になる。その意義は大きい。「あってはならない状態にある子どもたち」の存在を日本社会が認め、国が政策課題として位置づけるからだ。
「子どもの貧困対策法」(仮称)の制定に向け、政治の動きが大詰めを迎えている。自民、公明両党と、民主党がそれぞれ法案をまとめた。
違いは「相対的貧困率」の扱いだ。これは、世帯所得をもとに、国民一人ひとりの所得を計算し、それを順番に並べ、真ん中の人の半分に満たない所得の人の割合をいう。
民主党が法律に、その削減目標を書き込むよう主張しているのに対し、自公両党は政府がつくる「大綱」に盛り込む程度にとどめる構えだ。
目標は、なるべく明確に示して欲しい。もっとも、この指標が十分な市民権を獲得できていないのも事実だ。そこをまず変えていきたい。
相対的貧困率は民主党政権時代の09年に初めて公表された。子どもの場合、最新の数値は15・7%。7人に1人が貧困となり、先進国の中では高い部類に入る。1人親に限ると5割強で、先進国で最悪水準だ。
腑(ふ)に落ちない人もいるだろう。この日本で、そんなに貧しい人たちが多いのか、と。
確かに、敗戦直後のように衣食住にも事欠く「絶対的貧困」はかなり解消された。
ただ、生活はできていても、社会の平均的な暮らしぶりにはとても届かない世帯が多いのは問題だろう。あまり違うと、教育や仕事、付き合いなどの社会参加が阻まれてしまう。
相対的貧困率は、所得について、とりあえず「真ん中の半分」というラインを決め、それ以下の人の割合を政策の指標にしようというものだ。
かつて日本は「一億総中流」といわれたが、過去にさかのぼった分析によると、相対的貧困率は全年齢、子どもとも上昇基調にある。
経済的な理由で進学できない子どもたちも少なくない。家庭環境という「自己責任」ではない要因で、才能を開花させる機会が奪われる。それが「あってはならない」ということに異論はないはずだ。
親の所得が低いと、子どもの学歴も低くなり、大人になっても低所得になる確率が高い。そんな貧困の連鎖、固定化は、社会の安定を失わせる。
この危機感を、連帯感へと昇華し、奨学金や様々な生活支援の充実につなげたい。