貧困に陥った人を保護から遠ざける結果を招かないか。国会審議を通じて、現場への影響を慎重に見極める必要がある。
安倍内閣が生活保護法の改正案を閣議決定した。今国会での成立を目指す。
懸念が二つある。
一つは、生活保護を申請するときのハードルである。
改正法案では、申請時に収入や資産を記した書類を本人が提出することを明記した。
当たり前のように思えるが、厚生労働省は08年に「保護を申請する権利を侵害しないこと」を求める通知を出し、事情があれば口頭の申請も認めた。
というのも、福祉事務所では過去、保護費の膨張を抑えようと、色々と理由をつけて申請を受け付けない「水際作戦」が横行したからだ。困窮者の餓死事件を引き起こしたとされ、大きな社会問題になった。
今回の改正案は、下げたハードルを再び上げたように映る。
厚労省は「運用は変わらない。口頭での申請も認める」と説明する。書類が必要なことは施行規則に書かれており、それを法律にしただけという。
現場からは疑問の声も聞こえてくる。
年金や医療保険は、本人が保険料を支払うことが給付の要件になる。一方、「最後のセーフティーネット」である生活保護では、保護の必要性を証明する最終的な責任は行政側にあるとの認識が浸透してきた。
しかし、申請書と生活困窮を証明する書類の提出が明記されることで、その立証責任が本人に移り、支給をめぐるトラブルの際、申請者側に過重な負担がかかりかねないという。
もう一つの懸念は、役所が親族に収入や資産の報告を求めるなど、扶養義務を果たすよう働きかけやすくしたことだ。
昨年、人気お笑い芸人の母親が生活保護を受けていたことなどをきっかけに、世間には怒りの声が満ちた。それを受けた措置だが、親族の勤務先まで連絡がいく可能性があると知れば「迷惑がかかる」と、申請をためらう人も増えそうだ。
こうした引き締め策は、悪意のある申請の抑止より、保護が必要で誠実な人を排除する弊害のほうが大きくならないか。
自民党の議員からは「生活保護は運用を厳しくすれば減らせる」という声も上がる。
だが、「水際作戦」で餓死が発生したら、世間の怒りはまた行政に向くだろう。バッシングの矛先が、受給者と行政を行き来する。不毛な繰り返しは、もう見たくない。