東京社説 特定秘密保護法案 知らされぬ国民の悲劇

東京新聞 2013年12月6日

 特定秘密保護法は「知る権利」を脅かす本質を持つ。正しい情報を知らされない国民は、正しい判断ができない悲劇の主権者に落ちる可能性がある。

 <日本は、陸海軍ともに勝利をおさめたが、ロシア側は日本陸軍の兵力がロシア軍と対決できぬほど弱体化していることを察知し、強硬な態度で会議を推しすすめるにちがいなかった。しかし、日本の民衆は戦争継続を叫び、講和がむすばれた折には多額の賠償を得られると信じている>

 吉村昭の小説「ポーツマスの旗」では、日露戦争に勝利した当時の状況をそう描いている。

◆無知の民衆は暴徒に

 一九〇五年のポーツマス条約では北緯五〇度以南の樺太の割譲と、租借地であった中国の遼東半島の日本への移譲を認めたが、賠償金は得られなかった。

 国民の不満は高まり、東京の日比谷公園で行われた集会をきっかけに、各地で騒動が起こった。暴徒化した民衆は、内務大臣官邸や交番などを焼き打ちにした。

 新聞も「斯(こ)の屈辱」「敢(あえ)て閣臣元老の責任を問ふ」とし、軟弱外交だと責めた。国民新聞は条約容認の社説を掲載したため、数千の群衆に社屋が取り囲まれ、投石を受けた。戒厳令が敷かれたほどだ。

 吉村はこう記した。

 <人々がそのような感情をいだいたのは、政府が戦争の実情をかたく秘していたことに原因のすべてがあった>

 安倍晋三首相も著書「新しい国へ」で同じエピソードを引いた。

 <外務大臣・小村寿太郎の「弱腰」がそうさせたのだと思いこんで、各地で「講和反対」を叫んで暴徒化した(中略)こうした国民の反応を、いかにも愚かだと切って捨てていいものだろうか。民衆の側からすれば、当時、国の実態を知らされていなかったのだから、憤慨して当然であった>

◆三権分立からの逸脱

 正しい情報を与えられない国民は、正しい判断ができないことをよく示している。この状態は日露戦争にとどまらず、太平洋戦争に至るまで引きずる。

 国民主権原理とは、国家の在り方を最終的に決定する力のことだ。民主主義の土台で、憲法を貫いている根本の精神である。

 個人個人が政治や社会を動かしていくために、「表現の自由」が定められている。国民が正しい判断をするには、正しい情報を得る「知る権利」が欠かせない。報道もその一翼を担う。

 「報道は民主主義社会において、国民が国政に関与するにつき、重要な判断の資料を提供し、いわゆる知る権利に奉仕するものである」と、最高裁判例にある。

 特定秘密保護法は、この原理の基本である「知る権利」に絶対的にマイナスに作用する。いわゆる「沖縄密約」など、政府の違法秘密も隠蔽(いんぺい)できる。秘密にしておきたい「核密約」などの情報も意図して「特定秘密」に指定し、秘匿化できる。

 公正なチェックは受けない。「保全監視委員会」などが置かれても、政府の一機関にすぎないから、客観性が担保されないのは当然である。秘密の指定、保管、解除の重要なプロセスにいまだ欠陥を抱えたままだ。

 「安全保障上の支障」というだけで、国会への情報提供もブロックされる。司法権の監視も受けない。判断権はすべて行政府が握る仕組みは、三権分立からの逸脱に等しい。まさに行政権に白紙委任する“装置”である。重要情報を独占する官僚制はやがて独善に陥り、暴走する。

 中国や北朝鮮などを眺めても、正しい情報が伝えられない国民が悲劇的であるのは明らかだ。言論統制が敷かれた戦前の日本も同じ状態だった。治安維持法で検挙された事件のうち、裁判に至ったのは一割程度という。

 罰せずとも検挙するだけで効力は抜群だった。今回の法律も特定秘密に接近しようとしただけで処罰の規定がある。「話し合い」が共謀に当たるのだ。容疑がかかるだけで、家宅捜索を受け、パソコンなどが広く押収されうる。

 しかも、「主義主張を国家や他人に強要する」活動が、テロリズムと解せられる条文だ。どのように法律が運用されていくのか、暗然とするばかりだ。

 国連の人権高等弁務官が「表現の自由への適切な保護規定を設けずに法整備を急ぐべきでない」と懸念を表明したのに、政府は無視した。国内の研究者や文化人らの反対にも聞く耳を持たない。

◆空洞化する国民主権

 安倍首相は「民衆の強硬な意見を背景にして有利に交渉をすすめようとするのは、外交ではよくつかわれる手法だ」とも書いた。

 国家は民衆の声すら自在に操る力を持つわけだ。国民主権が空洞化する懸念を持つ。

この記事を書いた人