松浦章 長時間労働肯定論者である八代尚宏氏の奇妙な長時間労働解消論

6月16日、NHKラジオ「私も一言!夕方ニュース」における、森岡孝二氏と八代尚宏氏(国際基督教大学客員教授)の「新労働時間制度」をめぐる議論を拝聴した。

私が怒りを禁じえなかったのは、八代氏の巧妙な論理のすり替えである。

八代氏は、現在の労働時間制度(特に時間外手当)は長時間労働の抑止力になっていない、だから今の制度を変えて、時間にとらわれずもっと短い時間で効率よく働くことのできる制度が必要だと主張した。一方で、労働時間の上限を決めるから、長時間労働が際限なく広がるわけではないとも述べた。

しかし、八代氏は本当に長時間労働を問題視し、その解消が必要だと真剣に考えているのであろうか。否である。八代氏はかつて次のように述べていた。

「不況期にも正社員の雇用を保障するためには、労働時間を削減する余地を残しておくことが重要であり、普段からの慢性的な残業を前提とした勤務体制が不可欠である。また、企業の費用で形成し熟練労働力を最大限に生かすためにも、頻繁な配置転換・転勤や、労働者の稼働率を高めるための長時間労働が必要である。その代わりに、企業は家事・子育てに専念する専業主婦の生活費もふくめた『二人分の賃金』を生活給として負担している」(『「健全な市場社会」への戦略』2006年、東洋経済新報社)

八代氏のこの考え方からすれば、恒常的な長時間労働が多ければ多いほど、雇用の安定につながることになる。これが本音であれば、「新しい労働時間制度」によって、多くのホワイトカラー労働者が効率よく短い時間で働くことが可能という発想は出てくるはずがない。

また、女性は家事・子育てに専念し、企業がその分の賃金をも払っているという。はたしてそうであろうか。日本の女性の就業率はOECD34カ国の中で24位と確かに低いが、それでも現在69%である。女性は家庭にという時代ではない。なんと古めかしい考え方であろうか。しかも、企業が専業主婦の生活費まで支払っているという「事実誤認」は、成果主義賃金によって質の高い労働が実現するという氏の持論のどこから生まれてくるのであろうか。

いずれにしろ八代氏の主張は、一度破綻した「ホワイトカラーエグゼンプション」導入の議論の焼き直しにすぎない。彼のラジオでの発言と、2005年6月21日に日本経団連が発表した「ホワイトカラーエグゼンプションに関する提言」とは驚くほど似通っている。この「提言」をあらためてひもといてみよう。

「裁量性が高い業務を行い、労働時間の長さと成果が一般に比例しない頭脳労働に従事するようなホワイトカラーに対し、一律に工場労働をモデルとした労働時間規制を行うことは適切とはいえない」

「ホワイトカラーは『考えること』が一つの重要な仕事であり、職場にいる時間だけ仕事をしているわけではない」

仕事が家まで追いかけてくるし、しばしば持ち帰り残業もあるという点では、そうも言えるだろう。しかし続けて、こうもいうのである。

「逆に、オフィスにいても、いつも仕事をしているとは限らない」

「出社時刻から退社時刻までの時間から休憩時間を除いたすべての時間を単純に労働時間とするような考え方を採ることは適切ではない」

労働者は会社にいても働いているとは限らないかのように言うのは、労働者を怠け者扱いするものでしかない。この考え方に立てば、労働時間に応じて賃金を支払うことは、業務の中断時間を含め、本来払わなくてもいい働いていない時間の分まで余分に賃金を払うことになるので、賃金は労働時間ではなく成果に応じて支払うようにすべきだということになる。

しかし、時間を成果に置き換えるという「新しい労働時間制度」がもたらすものは、結局のところ、労働時間の超長時間化とサービス残業の全面的な「合法」化である。ここには、森岡氏がきびしく指摘した労働者の「生命と健康」への配慮はかけらもない。

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