WEBRONZA[34] 残業規制の政府案で過労死は減るか?

「過労死促進改革」にならないよう、今後の関係会議の動きを監視していく必要がある。

                                                                             竹信三恵子

WEBRONZA 2017年02月07日
http://webronza.asahi.com/business/articles/2017020300001.html

 政府が残業時間に初めて罰則付きの上限規制を導入する案を示し、2月1日から「働き方実現会議」で検討が始まった。電通過労自殺事件などで、労働時間の規制強化を求める声が高まる中、これを前進と評価する声もある。だが、これで本当に過労死は減るのか。今後のよりよい改正論議へ向け、その問題点を考えてみよう。

過労死時間まで働かされる?

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過労自殺で揺れる電通の本社。月最大100時間の残業上限規制は、こうした悲劇をなくせるか

 これまでの日本の残業時間は、事実上、青天井といわれてきた。労働基準法では1日8時間、週40時間という労働時間が決められている。だが、同法36条で、過半数を組織する労組、または過半数の社員の代表と協定(36協定)を結んで労基署に提出すれば、厚労省の指導基準である週15時間、月45時間、年に360時間までは残業が認められ、繁忙期を理由に特別条項を付ければ、これらの規制も超えて働かせることができるからだ。

 人間の生命にかかわる基準が、個別企業の労使間で決められてしまうことに対し批判が盛り上がり、今回の案では、どの企業にも年間720時間(月平均60時間)、忙しい時は1か月最大100時間、前後の月との2カ月間の平均で80時間を超えたときに罰則を課す政府案が示された。

 労働時間に罰則付き上限の枠がはめられたことは、一見、前進のように見える。だが、わが身に引き付けて考えてみると、この基準はかなり怖い。

 厚労省の目安では、病気の発症前1か月か6か月にわたって月当たり45時間程度を超える残業があったときは業務と発症との関連性が強まり、発症前1か月間に100時間程度を超える残業があった場合か、発症前2か月か6か月間にわたって、月あたり80時間程度を超える残業が認められる場合には業務と発症との間の関連性が強いとされている。いわゆる「過労死ライン」だ。

 つまり、今回の上限設定は、下手をすれば働き手を「過労死ライン」すれすれまで働かせていいとするお墨付きにもなりかねない。

 また、新聞報道では「月60時間」との見出しを掲げているものが多いが、これも誤解を招く。

 「月60時間」というと、過労死などの認定基準よりずっと少ないかのように錯覚しがちだ。だがこの数字は、年間720時間を12か月で割ったものにすぎない。月80時間を超える過労死ラインの労働が続いても、年間を通して平均で60時間におさまっているならいい、ということだ。

 「2016年度ブラック企業大賞」で業界賞を受賞した印刷会社「プリントパック」の社員は、今年1月の授賞式あいさつで、長時間労働が体に与える影響を次のように語っている。

 「お客様に喜んでもらえる仕事がしたい、そんな熱い思いがあって、毎日何台印刷できるのかどれだけ美しく印刷できるのか、真剣に考えていました。しかし毎日12時間を超える労働に体は正直に反応しました。内臓に違和感をおぼえるようになり、ついには血便が出ました。それでも感覚がマヒしていた自分ではおかしいということに気づきませんでした。しんどいという感覚すらにぶっていたからです」

 「毎日12時間を超える労働」ということは、残業は1か月で80時間程度。今回の基準は、血便も出るような働き方を招く可能性があるということだ。

 過労死を防ぐには、週、月、年間ごとの規制が必要で、現在の指導基準である週15時間、月45時間、年間360日の上限を法律に盛り込み、ここに罰則をつける必要だ。

そもそも労働時間の把握ができない構造

 ただ、仮にそのような規制が導入されたとしても、各企業に対する労働時間の把握義務がなければ実効性は薄い。いま労働時間は、企業が各社員の月ごとの労働時間数を賃金台帳に記録しておくこととされているが、各社員ごとに毎日の始業・終業時刻を把握・記録する義務は規定されていない。このため、入退館の際にコンピューターを通じて記録が残るようなシステムやタイムカードを導入している企業以外は客観的な労働時間の把握は難しい。まじめに労働時間把握措置をとっている会社ほど罪に問われやすいといったことにもなりかねない。

 加えて、これを監視する役割の労働基準監督官についても、増員しているといいながら、一方で、安全衛生や労災補償などを担当する労働基準行政の技官や事務官の採用はストップしている。このため、増やした監督官をその補充に回さざるを得ず、現場の監督官はさほど増えないという事態も起きている。

 今回の政府案をスピード違反に例えるなら、制限速度45キロの道路で80キロ、100キロ、150キロで飛ばす車を規制するためとして、「80キロ、100キロを超えたら罰金」と立札は立てたものの、監視装置も沿道の警察官も増やさないようなものだ。これでスピード違反を取り締まれるのだろうか。

 規制だけでなく、全企業に罰則付きの客観的な労働時間の把握・記録義務を課し、監督官だけでなく労働行政の担当官全体も増やさなければ、実効性は担保できない。

月80時間、100時間残業は想定ずみ?

 長時間労働が一向に減らない原因としては、割り増し残業代の在り方も挙げられている。基本給と一部の手当に割増率がかける仕組みなため、ボーナスなどの算定基礎から除いてもよい賃金の比率を上げれば残業代は少しですみ、人ひとり新しく雇うより社員を長時間働かせた方が安くなる。

 加えて、恒常的な残業を前提にした固定残業代制度は野放し。さらに、今の国会では、専門的で高収入の働き手は労働時間規制から除外され、代わりに法律ではなく省令による、しかも労基法より大幅にゆるい「健康・福祉確保措置」を要件とした「高度プロフェッショナル制度」が提案されるなど、過労死防止の本気度が問われる仕組みがあちこちに張り巡らされている。

 森岡孝二・関西大学名誉教授は、2016年6月に閣議決定された政府の「ニッポン一億総活躍プラン」や、高度プロフェッショナル制度の「健康管理時間」の上限時間論議などで「月80時間まで」「月100時間まで」が繰り返されてきたことを挙げ、実はこれらの過労死ラインすれすれの残業規制は規定の路線だったのではないかと指摘。「大山鳴動してネズミ一匹」と皮肉っている。
(https://hatarakikata.net/modules/morioka/details.php?bid=340)

 労基法で規定された週40時間労働の基準が、「働き方改革」の名の下、知らぬ間に月80時間・100時間残業の基準へとすり替えられていくおそれはないのか。

 「総活躍」とは、だれもがそうした残業を前提とする働き方で目いっぱい働かされることにならないか。

 「働き方改革」が「過労死促進改革」にならないよう、今後の関係会議の動きを監視していく必要がある。
 

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