連載 硬派経済ジャーナリスト「イソヤマの眼」
吉本が所属芸人と契約書を交わさない理由
だから2010年に上場廃止を選んだ
PRESIDENT Online 企業経営 2019.7.26 #サービス #吉本興業
経済ジャーナリスト 磯山 友幸 〔写真〕https://president.ismcdn.jp/mwimgs/d/f/-/img_df5ba674a5fc7bacb914595dad1c93a03514.jpg
なぜ芸人への業務発注が「口頭」なのか
所属芸人による「闇営業」問題の矛先が、吉本興業に向かっている。
「闇営業」を行って反社会勢力から金銭を受け取ったとして所属先の吉本興業から契約解除などの処分を受けた宮迫博之さん(雨上がり決死隊)と田村亮さん(ロンドンブーツ1号2号)が7月20日、「涙の謝罪会見」を強行した。
これに対して、吉本興業の岡本昭彦社長が7月22日に5時間半にわたる「長時間ダラダラ会見」を行ったことで、多くの人の関心は吉本興業という会社と芸人の「契約関係」や「ギャラ」の実態へと移り、吉本興業のコンプライアンスやコーポレートガバナンスが問われる事態になっている。
2019年7月22日、記者会見で頭を下げる吉本興業の岡本昭彦社長(写真=写真=時事通信フォト)https://president.ismcdn.jp/mwimgs/1/8/-/img_18061b139fb6f86cceb1dba38e5e3cc9477832.jpg
多くの視聴者を驚かせたのは、吉本興業と芸人の間には「契約書」が存在せず、業務発注などは口頭で行われているということ。岡本社長は記者会見でこの点を追及されると、「どういう形が模索できるかやっていきたい」と回答した。
しかし、朝日新聞デジタルが7月13日に報じた大崎洋会長のインタビュー(「芸人との契約、今後も「紙より口頭で」吉本興業HD会長」)では、大崎会長はこう答えている。
「結論から言うと変えるつもりはない。吉本に契約書がないと言っているのは、つまり専属実演家契約のこと。それとは別に口頭で結ぶ諾成契約というものがあり、それは民法上も問題がなく成立する」
「所属」なのに、実際には「雇用」していない
つまり、出演依頼を口頭で行い、それを口頭で承諾すれば、契約が成立しているので、その方式を変えるつもりはない、というのだ。
吉本興業の仕事を受ける芸人は個人事業主という扱いで、「吉本興業所属」という言い方がされるにもかかわらず、雇用契約は存在しない。吉本興業自身もホームページで「吉本興業には総勢6000人以上の才能豊かなタレントが所属しており、テレビ、映画、舞台など幅広いメディアに送り出しています」としているが、実際には「雇用」していないのである。
大物タレントのビートたけしさんは、自身のレギュラー番組でこの問題についてこう発言していた。
「闇(営業)って言っているけど、それをやらなきゃ食えないような事務所の契約がなんだ。家族がいて食えないようにしたのは誰なんだと。だったら雇うなよ。最低保障くらいしろよということですよ」
そう怒りをぶつけた。「所属芸人」として使うならば、雇用契約を結び、最低限の賃金を払えというわけだ。雇用契約となればもちろん、国が定める最低賃金は保証される。だが、吉本興業の説明に従えば、芸人と吉本興業の間の関係は「雇っている」わけではない、ということになる。だから「個人事業主」である芸人が直接仕事を取ることも黙認してきた。
問題発覚以降、ことさら「闇営業」という言葉が使われ芸人が悪いというトーンで語られているが、実際は当たり前に行われてきたことなのだろう。
「ファミリー」で済む時代ではなくなった
こうした事務所と芸人の「関係」は100年にわたる吉本興業の歴史の中で生まれてきたものに違いない。昔は文字の読めない芸人もおり、紙の契約など他人行儀と見てきたのだろう。だから、会見で岡本社長の口からは「ファミリー」「家族」という言葉が何度も飛び出した。
だが、時代は大きく変わっている。
7月24日に公正取引委員会が開いた定例記者会見で記者から契約書を交わしていない点について問われた山田昭典事務総長はこう答えた。
「契約書面が存在しないということは、競争政策の観点から問題がある」
実は、公正取引委員会は有識者会議を開いて芸人などの「個人事業主」と発注側企業の関係について2018年2月に報告書を公表している。「人材と競争政策に関する検討会報告書」がそれだ。
その中で、「発注者が役務提供者に対して業務の発注を全て口頭で行うこと、又は発注時に具体的な取引条件を明らかにしないことは、発注内容や取引条件等が明確でないままに役務提供者が業務を遂行することになり」「代金の支払遅延,代金の減額要請及び成果物の受領拒否、著しく低い対価での取引要請、成果物に係る権利等の一方的取扱い」といった行為を「誘発する原因とも考えられる」としていた。
法的に問題の多い「口頭契約」を続けるリスク
実際、ここ10年ほどの間に「下請法」が改正され、親事業者が個人事業主に役務提供委託する際には、下請法3条に定める書面を発行する義務がある。
いわゆる「3条書面」と呼ばれるもので、発注する業務内容や金額、支払期日などが記載される。吉本興業と芸人の会計でもこの下請法が適用されるが、芸能事務所が主催するイベントへの出演を個人事業主に委託する場合は、「自ら用いる役務の委託」に該当して3条書面を交付する義務が発生しないとされる。これがテレビなどに芸人を出演させる場合などにも適用されるのか、微妙なところだとされる。
一般の人には関係のない話と思われるかもしれない。だが、フリーランスで仕事をする人の増加や、「副業・複業」の解禁などで、いわゆる「個人事業主」として仕事を請け負うケースが急増している。吉本興業の芸人のような「立場」に立たされる働き手が増えているのだ。
こうしたフリーランスへの仕事の委託に関して今でも「口約束」や事前に条件を示さないで依頼するケースがままある。だが、こうした行動は、大企業はもとより、一定以上の規模の会社にとってはコンプライアンス上、重要な事項になっている。つまり、6000人ものタレントを擁しているかつては上場企業だった吉本興業が、法律的にも問題が多い「口頭契約」を続けていることは大きなリスクなのだ。
事実なら「下請けいじめ」と言われても仕方ない
報酬についても世間の常識からかけ離れていることが白日の下に晒される結果になった。
岡本社長は記者会見で吉本興業とタレントの「取り分」について、「ざっくりした平均値で言っても5対5から6対4です」と述べた。これに対してツイッターなどSNS上でタレントたちが猛反発する事態になった。
吉本所属の芸人、キートンさんはTwitterで、「ギャラ5:5だったのか てことは、私が海外に約1週間行ったあの仕事は、吉本は2万円で引き受けたのか! 優良企業」と投稿。今年6月に解散したお笑いコンビ「御茶ノ水男子」の佐藤ピリオド.さんもTwitterで、「品川で初単独やった時。445席即完して。グッズも完売して。ギャラ2000円だったなぁ。御茶ノ水男子2人で4000円。9割9部9厘:1厘の間違いでは。それを社員さんに抗議に言ったら仕事減らされて。いい思い出だなぁ」と書いた。
キートン (元、増谷キートン)
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@masuyakeaton
ギャラ
5:5だったのか
てことは、私が海外に約1週間行ったあの仕事は、吉本は2万円で引き受けたのか!
優良企業。
63,013
16:29 – 2019年7月22日
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@fugashiou
9:1じゃなく5:5?ほほう。
品川で初単独やった時。
445席即完して。グッズも完売して。
ギャラ2000円だったなぁ。
御茶ノ水男子2人で4000円。
9割9部9厘:1厘の間違いでは。
それを社員さんに抗議に言ったら仕事減らされて。
いい思い出だなぁ。
11,923
16:54 – 2019年7月22日
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事実だとすれば、独占禁止法で禁止されている「優越的地位の濫用」に該当、“下請けいじめ”と認定されかねない事例ではないか。
上場時には「反社と付き合いのある人」がいた
もう1つ、最大の問題は、反社会的勢力との関係だ。吉本興業は2010年に上場を廃止したが、反社会的勢力と決別することが大きな狙いだった、という。前出の朝日新聞デジタルのインタビューで驚くべきやりとりがされている。
「2010年の上場廃止とともにコンプライアンスがうまくいき、それを機に『反社会勢力との付き合いのある人には出て行ってもらった』というが、上場企業の方がコンプライアンスは厳しいのでは。上場時に反社会勢力と付き合いがある人が吉本にいたのか」という質問に対して、大崎会長はこう答えている。
「そうだ。具体的に誰かは言えない。亡くなった人もいる。非上場にして、それまで一般に紛れていた反社会の人や株主は排除できたと思っている。現在ではテレビ局や銀行などが株主なので、反社会の人たちが入る隙はない。もちろん、だからといっていい加減な経営をするというわけではない。そのために監査法人も日本で一番と言われているあずさ監査法人に変えて、コンプライアンスの小冊子も作った。非上場にしたからこそ、しっかりやってこれた」
「グレーな客」を芸人に押し付け、吉本は責任回避
2010年ごろは東京証券取引所が反社会的勢力を市場から退出させようと規制を強化していた時期と重なる。上場廃止基準にも「反社会的勢力の関与」という一文が書き込まれた。反社と付き合いのある会社は資本市場から退出させるという強い意志が示されたわけだ。
それに対して吉本興業は資本市場から自ら退出する道を選んだ。経営者や大株主に暴力団などとつながりのある人がいたということなのか。上場廃止でその株主と縁を切ることができたというのは、その株式を買い取ったということなのか。
吉本興業は「反社」とは縁を切ったと言いながら、芸人がいわゆる「闇営業」をやり、その中には「微妙な客」がいることも薄々承知していたのではないか。暴力団に詳しいジャーナリスト伊藤博敏さんは「反社認定は難しい」と指摘している(現代ビジネス「闇社会を長年取材をしてきた私が「吉本興業騒動」を笑えない理由」2019年7月25日)。自ら暴力団と名乗ったりする人は激減し、すべての問題人物や会社を「反社」だと警察が認定しているわけではない、というのだ。そうしたグレーな客との付き合いを、契約関係が曖昧な芸人に押し付け、会社としての責任を回避してきたのではないか。
非上場に比べ、上場企業の方がディスクロージャーやコンプライアンスに対する要請も厳しい。「非公開にしたからやってこれた」という吉本興業の言い訳はあまりにも空虚だ。
磯山 友幸(いそやま・ともゆき)
経済ジャーナリスト
1962年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。日本経済新聞で証券部記者、同部次長、チューリヒ支局長、フランクフルト支局長、「日経ビジネス」副編集長・編集委員などを務め、2011年に退社、独立。著書に『国際会計基準戦争 完結編』(日経BP社)、共著に『株主の反乱』(日本経済新聞社)などがある。