周燕飛さん「(インタビュー)「貧困専業主婦」のワナ」 (10/10)

(インタビュー)「貧困専業主婦」のワナ 労働政策研究・研修機構主任研究員、周燕飛さん
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14212718.html?ref=mor_mail_newspaper
朝日新聞デジタル 2019年10月10日05時00分

〔写真・図版〕「貧困専業主婦は、母子世帯の貧困とつながっています。離婚でより貧困になるリスクを高めます」=飯塚悟撮影

 かつては中流家庭の象徴だった専業主婦。経済の低迷により給料が下がるなどして共働きが増えると、「勝ち組」などと称されるようになった。だが一方で、「貧困専業主婦」と呼ばれる人たちもいるという。新たな格差問題につながると指摘する周燕飛さんに聞いてみた。「貧しくても専業主婦」の何が問題なのですか?

 ――「貧困専業主婦」とは、耳慣れない言葉です。

 「私が名付けたのですが、状況は様々です。5人家族で世帯年収170万円の女性の場合、中学卒業後、パートとして短期間働くことを繰り返し、出産後、専業主婦になりました。必要な食料や衣類を買えないことがよくあるといい、働きたいという意思はあるものの、子どもが保育園に入れず、就労をあきらめていました」

 「一方、自ら専業主婦を選ぶ人もいます。世帯年収300万円で3人の子育て中の女性は、『子どもを保育園に入れようとは思わない』と、安い食料の買いだめをしたり、ママ友から家庭菜園の野菜を分けてもらったりしながら節約に励んでいます。私たちの調査では、4人に1人が前者の『不本意型』ですが、残りは自ら専業主婦を選ぶ『選択型』でした」

 ――定義はあるのですか。

 「年間の手取り収入を世帯ごとに並べ、真ん中にあたる世帯の収入の半額を『貧困線』といいます。厚生労働省が公表している2015年の貧困線は、3人世帯で211万円、4人世帯では244万円です。この貧困線を下回る貧困世帯のうち、妻が無職で18歳未満の子どもがいる夫婦世帯を貧困専業主婦世帯と定義しました。16年時点で、専業主婦世帯の5・6%、約21万2千人が貧困専業主婦と推計されます」

 ――「不本意型」は仕方ないとは言え、なぜ自ら選ぶ人も?

 「子どもが小さいうちは経済的に苦しくても、専業主婦でいることが『子どものためになる』と信じている人が多いのです。『就業したら、子どものしつけが行き届かなくなる』と思っている専業主婦は、6割を超えます。『保育所は子どもを野放しにするところ』など、保育園に対する偏見や無理解があり、自分で子育てすることにこだわりがあるようです」

 ――多くが自ら選んでいるのに、何が問題なのでしょうか。

 「親が家にいるほうが子どものためになるという客観的な証拠はありません。私たちの調査では、『行き過ぎた体罰』や『育児放棄』など虐待行為をしたことのある貧困専業主婦の割合は9・7%で、それ以外の専業主婦より約4割多かった。特に、育児放棄は2倍以上の差がありました。また2割が、必要な食料を買えないことがあったと回答しました。子どもの健康状態が『おおむね良好』である割合も低く、子どもの6人に1人に病気などがあります」

 ――驚きました。

 「貧困専業主婦は、教育にお金をかけることもできません。およそ半数が、子どもの学習塾代を『負担できない』と答えています。『負担するのは厳しい』を合わせると4分の3に達します。塾などの教育投資が不十分で子どもの学力が低くなれば、貧困が子どもに連鎖し格差が拡大します。こうした問題を完全に放置してしまうことはできません」

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 ――その存在に目が向けられてこなかった理由は何でしょう。

 「本人が自ら進んで専業主婦を選び、大きな不満を持っていないため、当事者からの訴えが少ないからでしょう。専業主婦の主観的な幸福度は高いという結果も出ています。調査では、貧困専業主婦の3人に1人が、とても『幸せ』と感じています」

 ――なぜ幸せなのですか。

 「日本の女性はお金よりも、自らの手で子育てすることに大きな価値を見いだす傾向があります。貧困状態でも、子どもと過ごす時間を十分に持ち、夫婦関係などが良好であれば、幸福度が高いという結果が出ています」

 ――本人が幸せなら問題ないのではないでしょうか。

 「もちろん、余裕があれば幸せです。ただ、貧困専業主婦はうつ傾向が強いという結果もあります。自宅で育児を一人で抱え込んでいるという背景もあるでしょう。厳しい職場で働いていた過去の経験と比べて幸せだと感じている可能性もあり、客観的なものではないといえるかもしれません」

 ――この問題が注目されるようになったのはなぜですか。

 「日本の人口と経済構造が変わり、『夫は外で働き、妻が家庭を守る』という専業主婦モデルが崩れつつあるからです。大卒男性の生涯賃金は、1996〜97年のピーク時の8割程度に減っています。世帯の消費額から算出すると、片働きでやりくりするには、およそ年収480万円以上が必要です。しかしこの基準を満たす男性世帯主は約4割しかいません」

 「同じ学歴の男女が結婚する『同類婚』が増えていることもあります。初婚年齢が低かった時代は、中学の同級生など、高学歴と低学歴の人が結婚することも多くありました。今は晩婚化で、高学歴・高所得同士の『パワーカップル』が増えています。低学歴同士の結婚で、専業主婦を選ぶと、貧困世帯に陥りやすくなります」

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 ――とはいえ、今では専業主婦は少数派では。

 「確かに、夫が働いている世帯に占める専業主婦の割合は37%で、約40年前に比べて28ポイントも下がっています。しかし働いている妻の約半数はフルタイム勤務ではなく、短時間パートの『準専業主婦』です。6歳未満の子どものいる家庭に限っていえば、75%が専業主婦、または準専業主婦です」

 ――その中で、貧困専業主婦は増えているのですか。

 「実は調査を始めた11年当時の約54万人に比べると、16年は半減しています。ただ、これは、景気が良くなったことによる一時的な現象ではないかと思われます。短時間パートに出る人が増え、貧困専業主婦は減りましたが、一方で妻が非正規・パートである共働き世帯の貧困率は上昇しているのです。不況になると、再び貧困専業主婦に戻る懸念があります」

 ――貧困の連鎖を断ち切るためにはどうすればいいのでしょう。

 「貧困世帯の子どもは、保育園を利用したほうが健康状態もよくなり、就学後の学力も上がるという研究結果がいくつもあります。保育士が子育ての相談にのることで、親の『しつけの質』を高めるという効果も期待できます。収入が少ない世帯は無料または低料金で保育園を利用できます。ただ、保育園の利用手続きは煩雑です。そこで、簡単に利用できる一時利用券を配って、お試しで利用してもらうのも一つの方策です」

 ――できれば働きたくないと考えている人が多いという現実があります。

 「確かに、今の日本の制度は、所得税の配偶者控除や年金の第3号被保険者制度など、一見、専業主婦の方が有利なようにみえます。でも実際は、女性が仕事をやめると、高卒では1億円、大卒では2億円もの生涯賃金を失うとの試算もあります。目先の利益にとらわれず、長期的な視点を持つことが重要です。たとえば政府が持つビッグデータを活用し、女性一人一人に、専業主婦を選んだ場合と子育てしながら働き続けた場合を比べ、10年後、20年後にどれだけ収入が違ってくるのかを通知すれば、人生の選択が違ってくるかもしれません」

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 ――国が、個人の生き方に介入してもいいのでしょうか。

 「問題は、本人だけでは気づきにくい『欠乏のわな』があることです。100グラム58円の豚肉をまとめ買いするために、自転車で30分かけてスーパーに行くという女性がいました。こうした生活を繰り返していると、金銭的な欠乏のほかに、時間の欠乏が起こり、余裕がなくなり思考も欠乏します。目先のやりくりで精いっぱいになると、長期的なことが考えられなくなってしまいます。このような貧困専業主婦については、意識と現実のズレをなくすために、軽い政策誘導が必要だと思います」

 「今の日本社会は少子高齢化で労働力が不足し、社会保障制度の維持も危うくなっています。配偶者控除など、経済的地位が低い女性を守るために作られた制度が、皮肉にも女性を労働から遠ざけているのです。このような制度を改正し、女性も働いて社会保障の支え手が増えれば、女性が生きやすい社会にもつながると思います」

 ――仕方なく専業主婦になっている人もいますね。

 「この問題の解決には保育園の整備も必要です。私自身、10年前に米国での研究を終えて帰国後、当時3歳だった長男が待機児童になりました。認可保育園はもちろん、無認可保育園にも10カ所以上断られました。一時保育を転々とするか、劣悪なベビーホテルかを選ばねばならなくなり、その時は専業主婦になることしか思い浮かびませんでした。似たような状況の中、専業主婦になっている人もたくさんいます。政府が解決しなければならない課題は、まだまだ多いですね」(聞き手・杉原里美)

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 しゅうえんび 1975年、中国生まれ。専門は労働経済学、社会保障論。2004年から労働政策研究・研修機構の研究員。著書に「貧困専業主婦」。
 

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