河合薫さん 「パワハラ自殺送検で問われた「プロの上司」という仕事」 (12/18)

パワハラ自殺送検で問われた「プロの上司」という仕事
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2019/12/18(水) 6:00配信 日経ビジネス

パワハラ自殺送検で問われた「プロの上司」という仕事
文/河合薫

 ついに、パワハラをした男性会社員(30代)が、書類送検された。

 罪状は「自殺教唆の容疑」。亡くなったのは三菱電機の20代の新入社員の男性で、書類送検された会社員は教育主任だった。報道によると、新入社員の男性は、今年8月下旬に社員寮近くの公園で自らの命を絶った。現場には教育主任から「死ね」などと言われたことや、会社の人間関係が書かれたメモが残されていていたそうだ。

【関連画像】三菱電機は「パワハラが日常的で自浄作用はない」と話す社員もいるという。(写真:shutterstock)

 教育主任が、8月下旬に行われる技術発表会に使う資料の書き直しを新入社員に求める際、かなり厳しい口調で迫っていたのを複数の社員が目撃していることが社内調査で明らかになっている。また、同僚たちの中には、亡くなった男性が「教育主任から『死ね』と言われた」と話しているのを聞いたと証言した人もいた。

 三菱電機の技術職や研究職では2014〜17年、長時間労働などが原因で自殺者2人を含む5人が労災認定されている。「パワハラが日常的で自浄作用はない」と話す社員もいるという。

 ……いったい何度、このような悲劇が繰り返されるのだろう。

●社員の自殺を責任者はどうとらえているのか

 自殺教唆は「もともとそうしようと思っていない人に自殺を決意させて、自殺させる」という犯罪で、自殺教唆罪の法定刑は、「6月以上7年以下の懲役または禁錮」(刑法202条)。

 今回書類送検された会社員は、「死ね」とは言ってないが、類似する言葉は言ったかもしれないとの趣旨の説明をしているそうだ。

 神戸地検は、刑事責任の有無を慎重に判断するとされているけど、起訴されようがされまいが亡くなった新入社員は戻ってこない。過労死は長時間労働の削減で防げるけど、過労自殺は長時間労働だけでなく、パワハラや仕事のプレッシャー、職場での人間関係などいくつかのストレス要因が重なり、生きる力が萎えた末の死だ。本当はもっと生きたい。もっとやりたいことだってある。その生きる力のエネルギーを劣悪な職場風土が奪うのだ。

 三菱電機は「新入社員が亡くなったことは事実だが、それ以上は捜査中なので差し控える」としているようだが、「会社の責任者出てこい!」と率直に思う。繰り返される過労死や過労自殺を、会社の責任者はどう考えているのか? ぜひとも意見を聞かせてほしい。

 そして、何よりも残念なのは多くの社員がパワハラを目撃しながらも、新入社員を救えなかったこと。

 「報復が怖くて、コンプライアンス委員会に告発できなかった?」

 そうかもしれない。実際私は何度もその手の相談をされてきた。

 「そこまで深刻だと思わなかった?」

 その可能性もある。

 「暴言を吐かれて彼が悩んでいたのは知っていた。でも、最初の頃は、その上司と飯を食いに行ったりしてたし、上司に暴言を吐かれても、言われたことをちゃんとやって認めてもらって。普通に元気だったときもあったんです。まさかうつになるまで、彼が追い詰められてるとは思いもしませんでした」

 これは上司のパワハラで同僚が精神疾患になり、自責の念に苦しむ男性をインタビューしたときに話してくれたことだ。

 世の中の人は、うつ病の人はいかにも憂鬱な表情で、口数も少なく、うなだれていると考えがちだ。だが、実際にはそういう状態になるのは、かなり重症のうつ病のみ。多数を占める軽症のうつ病者は、苦痛に耐えながらも相手に悟られぬよう努力して、なめらかに話し、にこやかに笑顔を浮かべて対応する場合がほとんどだ。

 人は内面に苦しみを抱えていても、それを悟られないように取り繕う。だからこそ早い段階で周りがパワハラを止めなきゃならない。ところが、その「止め方」が一筋縄ではいかない現実がある。

 実は最近、講演会などで増えているのが、「パワハラをしている人に、それはパワハラだと気づかせるにはどうしたらいいか?」という質問である。

 大抵、そういう質問をしてくるのは40代以上の方たちだ。

 「それ言ったらダメ、とか、そういう言い方はダメだという瞬間を目撃しても、その場で指摘したら部下の目の前でメンツをつぶすことになる」

 「感情が高ぶっているときだと、感情のぶつかり合いになってしまうので、少し時間を置いてから話すんですが……、本人には何が悪いの分わからない」

 「話した直後は穏やかになる。でも、また、繰り返す。怒りの沸点が完全に低くなっている」

 といった具合だ。

 パワハラが社会問題化しているので、パワハラをなくそうという意識はかつてないほど高まっている。ところが、パワハラの加害者は決して自分が「加害者になっている」と知覚できない。パワハラの加害者はすべての人に対して害を与えるわけではなく、ある特定の人物をターゲットにするので、「自分」ではなく「相手が悪い」という思いがとかく強い。

 「あいつのデキが悪いから」「あいつの性格が素直じゃないから」と、責任をすべて相手に押し付ける。実際にはデキが悪いわけでも、性格が悪いわけでもなく、ただ「自分の期待通りに動かない」「期待通りにできない」だけ。が、残念ながら加害者は決して自分を客観視できない。「自分がパワハラなんてするわけないだろ!」と信じているのである。

●「自分はできた」上司こそが危ない

 そもそも会社という階層組織では、仕事の成果の報酬として昇進する。であるからして、上司に抜てきされる人の中には、あらゆる意味でパフォーマンスの高い人もいる。

 仕事が手際良かったり、上司の意図をくむ能力、いわゆる「忖度(そんたく)」する力が高かったり、プレッシャーに耐える力があったり。こうしたパフォーマンスの高い人は、往往にして自分と仕事のスタイルが違う人を理解できないものだ。

 「俺は新人のときからできた」「こんなこと言われなくたって普通わかるだろ」「先回りして準備するんだよ」「ちょっと叱られたくらいで甘えてる」などと批判し、「あいつのために言ってるんだ」「あいつが困るだけだろう」と自分を正当化し、「自分がパワハラをしている」という認識には決してたどりつかない、パワハラのループにはまっていくのである。

 いったん始まったパワハラは、まるでスイッチが押された機械のように繰り返され、エスカレートする。最初は「何やってるんだ!」と大声を出すだけだった人が、一度「死ね!」という言葉を発すると、「死ね!」という言葉を使うハードルも下がる。

 理性でコントロールしていた「使ってはいけない言葉」が、理性を感情が凌駕(りょうが)すると、あらゆるものを打ち砕いていく。情けもなければ、知性もない。やがて、手が出て、足が出て、身体的な暴力にまで至ってしまうのだ。

 パワハラが激化すると、周りの人たちは恐怖を抱き、火の粉がかからないように息をひそめ、パワハラを受けている社員と距離をとるようになりがちだ。すると、パワハラの加害者とパワハラの被害者だけの世界が出来上がり、被害者は孤立し、いっそう追い詰められる。

 要するに、パワハラの自浄作用を社内で行うのは無理。パワハラのループを断ち切る「外の目」が必要不可欠だ。

 メディア、特に放送の世界で、下請けのプロダクションからのクレームでパワハラが発覚し、局員が降格されたり、飛ばされたりするケースが増えたと聞いている。派遣している社員が「つぶされる!」と危機感を抱いたプロダクション側が訴えを起こしたことで、それまで放置されていたパワハラ行為が問題視されるようになったのである。

 「心は習慣で動かされる」と言われる通り、私たちは職場に根付く組織文化に慣れる性質をもつ。外の目には「あれはやばいでしょ!」と知覚できることができなくなり、パワハラ体質が連綿と受け継がれていくのである。

 書いているだけで、暗澹(あんたん)たる気持ちになるのだが、パワハラがなくならない理由がもう一つある。上司という立場が、感情労働だということを認識できていないことだ。

●部下を育てるには特別のスキルが必要

 生産性至上主義の上からのプレッシャー、心も身体も酷使される状況下で、部下を育てる、部下のパフォーマンスを高める、チームの成績を上げる、という至上命令を果たすためには、自分の感情を常にコントロールし、どんな事態になろうとも平静を保ち対処することが求められる。そのスキルを個人の責任に委ね過ぎなのだ。

 感情労働には2種類あり、ひとつは米国の社会学者のアーリー・ホックシールドが、1970年代に飛行機の客室乗務員たちの労働状況を分析し、提唱した概念「Emotional labor」。もう一つは、リーダー研究をベースにしたもので、「Emotional Management」あるいは「Emotional Work」と呼ばれている。

 Emotional laborでは、絶えず相手の要求や主張、クレームを受け止め、たとえそれが理不尽なものでも、自己の感情を押し殺し、穏便かつ的確なサービスを提供する労働。一方、Emotional Managementは、自分の感情を調整・利用することで、本来、自分が持っている能力を最大限に生かし、豊かな人間関係をつくり、マネジャーが職務を遂行する際に必要な能力だ。

 人は頭じゃなく、心で動くもの。上司の思いを部下に伝えて、好循環を創り出すには特殊なスキルや、専門的な知識の習得する教育が必要となる。

 上司が感情労働をうまく行えるためのコストを企業は払っているのだろうか。感情労働にコストもかかるという認識さえ、持ち合わせていない企業が多いのではないか。

 つまるところ、人の上に立ち、人に教育するという行為は、よほどトレーニングを積んだ人にしかできないってこと。時代も変わり、家族のカタチも、育ち方も、コミュニケーションの取り方も変わり、雇用形態も、働き方も多様化する中で、部下と向き合うのはとんでもなく難しい。

 「一つよろしく!」と上司に部下の育成を任せるのは、豚に木に登れと言ってるようなもの。人に教育するトレーニングなり、感情のコントロールなりを、身につけた上で、担当させなきゃダメなのだ。

 と同時に、職場という「人の集団」はさまざまな感情が蠢(うごめ)く場所。その感情の吹きだまりとならないように、風通しを良くする必要も当然ある。

 どちらも企業、いや正確には、トップの責任の下で進められるべきことであり、社員間の問題ではなく組織の問題。これまで繰り返してきたように、「パワハラをなくせば会社が元気になるのではなく、元気な会社にはパワハラがない」。

 そこで働くすべての人がイキイキと働く職場にするには、それぞれのポジションで求められるスキルを身につける教育が必要なのだ。おカネもかけず、手間もかけず、ただただ、「一つ、よろしく!」と、取り扱いの難しい部下たちを上司に任せる、いわゆる人に投資をしない会社は、トップが、ときに大切な命を奪い、ときに社員を犯罪者にしてしまう会社だと言えるのである。

●職場の自殺防止には組織的な取り組みが不可欠

 いつになったら「銃弾を放っているのは自分たちです」と認めるのだろか。何人の被害者が出れば、「銃弾を撃つのをやめます」と言うのだろうか。

 某大手企業に勤める知り合いから聞いた話では、ひと月に1、2回は「自殺告知」が職場にあり、公にはなっていないがうつを発症したり、自殺をしたりする従業員は後とを絶たないという。

 その対策としてトップが最も力を入れているのが、4次予防だ。つまり、環境の改善や健康教育による健康の増進=1次予防、健康問題が発生した際に行われる専門的治療=2次予防、再発防止策の対処=3次予防の裏で、自殺者が出た“後”の会社側の対応ばかりを心配する。

 遺族への接し方を所属部長や役員に周知し、どれだけ会社側が「そうならないような努力とケアをしてきたか」を主張する問答集を作るなど、“事件”が起こった後の対応を完璧にし、訴訟を起こされないように先手を打つ。

 「いや、○×クンのことは本当に残念ではありますが、会社は会社で、“彼のために”こんなケアをやっていたんですよ」と言いたいがための、完全な責任逃れが、労働状況の改善より優先して行われているのが現状なのだ。

 悲しい話ではあるけど、そういう会社の上の人たちは、他のやつらは普通にやってるじゃないかと「職場の銃弾に倒れた人=弱い人」と考えている。偉い人たちの人間を軽視した思考の結果が、弱い立場の社員の命を奪うのだ。

河合 薫

 

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