今井佐緒里さん「元旦に休んで何が悪い!少しはフランスのストを見習うべき。元日は労働禁止でどうか:コンビニ営業問題」 (12/30)

元旦に休んで何が悪い!少しはフランスのストを見習うべき。元日は労働禁止でどうか:コンビニ営業問題
https://news.yahoo.co.jp/byline/saorii/20191230-00157153/
今井佐緒里 | 欧州研究者・物書き・編集者 2019/12/30(月) 21:02

(写真:Natsuki Sakai/アフロ)

元旦のコンビニ影響が問題になっている。

セブンイレブンでは、コンビニの24時間営業問題の議論のきっかけをつくった店のオーナーの、契約解除を決定。ファミリーマートでは、本部本部社員が店舗業務を代行する制度をつくった。

怒りが収まらない。元旦に休んで何が悪い! 元日にすら休めないなんて、家族と一緒にお雑煮を食べてお屠蘇を飲んでゆっくりできないなんて、会社は鬼である。非道である。人権侵害である。元日だけじゃない。3が日は、有無を言わさず全部休みにするべきである。

もちろん、例えば神社やお寺の門前町などが「ぜひとも、かきいれ時の元旦に営業したい」というのならすればいい。でもそうではないのに、なぜ元旦に開ける必要があるのだろうか。利用者の便利? 「正月3が日くらい我慢しろ〜っ!」と叫びたい気持ちだ。

ここで問いたい。

利用者の方々、「あなたの『不便』は、人様のお雑煮とお屠蘇のお正月を犠牲にしなければならないほどのものなのですか?」。

非道な企業の方々、「あなたは、人様のおせちを囲む家族団らんを犠牲にしてまで、『金もうけ』が大事なのですか?」。

筆者は今、再放送していた「おしん」のビデオを見ているが、まるで「おしん」の時代に逆戻りである。労働者が資本家に搾取されていると言わざるをえない。今21世紀のはずなのに、なぜこんな「資本家と労働者」とか「搾取」とか、100年も前の言葉を使わなければいけないのか。元旦を休むのは人間の超初歩的な権利であり、日本の伝統であり、人手不足の問題じゃないでしょう!と言いたい。

ここで、目下ストライキ中のフランスと比較せずにはいられない。

フランスのストライキとは
フランスは今ストライキをやっている。年金改革に反対しているのだ。

目玉はあまりにも複雑化した年金制度を一本化すつためであり、フランス人の7割以上が制度の調整には賛成している。この制度改革で今までの恩恵を受けられなくなる人達や労働組合が、主に反対運動をしている。

ストライキでは、毎日大変不便な目にあっている。なにせ大半の列車や地下鉄が運休したり、運行時間や運行本数を制限したりしている。通勤通学には、いつもよりも2倍か、それ以上の時間がかかるので、朝早く家をでなければならない。

パリの街では、歩いている人が圧倒的に増えた。自転車やキックボードの数も増えた。見知らぬ人同士の自動車の乗り合いも増えている。

フランス人の偉いところは、みんなこの不便さに耐えて、じっと我慢しているところである。

人々もメディアも同じである。このような「労働者が権利を求める運動」そのものを、表立って批判することは、日本人から見たら「無い」といっていい。そういう社会なのだ。「権利を求める運動は必要だ。そのためには、自分に関係なくても、不便は我慢する必要がある」というのが、社会のコンセンサスなのである。

そして、デモやストなどを行った後に、政府と代表者が交渉を始める。こういう形が定着している。いわば儀式のようなものだ。

すごいなあと関心している。

批判はないのか?
批判の形は、表立っては「ぼやき」と「商業に与える影響が大きい」というものとなる。

人々のインタビューでは「自分はこんなに不便を強いられている。疲れました」というのはOK。しかし「他の人のことも考えてほしい」「ストは迷惑だ」「ストをするな」とは決して表立っては言わない。

このストのせいで、客足が響き、店舗は大幅な収入源となっている。筆者は、クリスマス前の土曜日に外出したが、パリのど真ん中にあるショッピングセンターは、すごく空いていて「やっぱりね」と思いつつ、びっくりした。普段なら、人々の目は血走っていて「何が何でも絶対に今日プレゼントを買わなければ!!」という焦りと殺気が充満している。一部の品物は壊れ破れるなかで、品物争奪戦で混んでいる時なのに。

ニュースでも毎日「いかに経済に与える影響が大きいか」を報道している。でも、収入源で困っている業界の人も「こんなに困っている。このままでは店が立ち行かない」「雇用に響いてしまう」とは言うが、「ストをやめてくれないと本当に困ります」「他の人のことも考えてほしい」「いくらなんでもやりすぎです」とは決して言わない。

こうして労働者側には人々の無言の支援が常にあり、政府(や資本家)に圧力が加わっていき、交渉の力となる。政府側は、ストが長引くことによる世論の微妙な変化(「いくらなんでも、そろそろストをやめてほしい」という気持ち)を見ながら、どこまで妥協するか、どこを妥協しないかを探っていくのである。

表立っては言われない批判とは
筆者がストが始まったころ、すぐに友人たちから聞かれた、あまり表立っては言われない人々の不満は、「あのひとたち、ストをしたって仕事に行かなくたって、給料は減らないもんな」という皮肉であった。

特に今回年金削減の対象となるのは、今まで優遇されてきた公務員(またはそれに準じる立場の人)が多い。フランスは公務員天国で、ストをしている立場の人ですら、フランスの公務員は恵まれているとわかっている。

普通の人は、最初の数日はともかく、ストがあって会社に行かなければ、その分給料が減らされてしまう。あるいは有給を使うことになる。だから行かなければならないのだ。(ただしフランスでは、病欠の場合は3日を越えると国民保険から保証金が出る)。

だからやっぱりというべきか、最近のニュースでは「あの人達はどうやって仕事を休んでストをしているのか」という内容が報道されている。何でも「病欠」扱いの人が結構いて「ただでさえ大赤字の国保が、さらに出費を強いられている」という論調となる。これは直接の批判ではなく、間接的な批判という形である。

今回のストは大変大きく、不便はいつもの比ではない。ストは長引き、来年も続けるという。クリスマスと年末年始で、人々は帰省したり旅行したり移動の多い時期である。ニュースは毎日、「今日の運行状況」を報道している。

しかし、それでも「労働者の権利」のほうが大事なのだ。それを要求する人々には、自分には直接関係ないことでも、社会は黙ることで理解を示す、そして黙って耐えるのがデフォルトなのだ。

日本と比べずにはいられない。日本はなんと労働者の弱い国なのだろうか。

元旦すら休めないなんて、なんて非人間的なのだろう。元日を休む権利を要求しただけで契約終了だなんて、搾取にもほどがある。

どれほど不便な毎日か
フランスでは労働者の権利を大事にすると言ったが、実際にはどれほどストで不便を強いられているか、一例をあげよう。

こんなに不便でも、それでも権利を重視していると理解して頂きたい。

筆者は、パリからベルサイユに仕事に行く日があった。通常なら1時間半程度でつくのだが、3時間半かかった。それでも仕事だから行かないわけに行かない。

普段はパリの地下鉄から郊外に伸びる急行列車みたいので行くのだが、ストで完全運休していたので、国鉄でしか行けなかった。しかも国鉄も大幅に本数が少なくなり、9時くらいが朝の終電という始末である(昼間の運行はなく、16時半時くらいまで運休)。

ちなみに、国鉄のローカル線の運休は地方で影響が大きく、地元列車を使って通学する高校生は、やはり2−3時間前に家を出る子ども達がいるという(今はもうクリスマスの冬休みに入っている)。

無人自動運転のために通常通り運行している1号線は満員で(でも東京レベルで筆者には大したことないが、フランス人には地獄レベル)、乗り換えのシャトレ駅では入場制限がなされていた。地下鉄通路を埋め尽くして、じっと我慢して待つ人々。

しかも、国鉄接続駅のモンパルナスの地下鉄駅は閉鎖されており、一つ手前で降りなければならない。ここまで思ったよりも時間がかかり、国鉄駅まで猛ダッシュである。通勤ラッシュ時というのに、1本逃すと、次は15分とか30分とか待たないといけないのだ。

車は混んでいて渋滞だったが、道路を渡るには、自転車に注意が必要だ。ひかれたら死にそうだ。なにせ自転車は、止まって動かない車の間を信号を無視して抜け、ちょうど時間的に焦っているのか猛スピードで、それがばらばらと大群でやってくるのだから。

行きのことばかり考えていたが、問題は帰りであった。動いている電車ですら、ほとんどがパリ市内で18時半くらいに終電となっているのだ。ベルサイユでいつもどおり17時すぎに仕事が終わると、パリに戻ってこられないかもしれない。

毎日17時くらいに、翌日の正確な運休が発表される。大体は規則性があるのだが、それでも予断は許さない。特に今回のようにあまり知らない郊外地域となると、よくわからなかった。「どうにでもなれ」「まあフランスだから何とかなるだろう」と思って行った。

やっぱり仕事は早く終了となり(当たり前か)、今まで存在を知らなかった国鉄の線がベルサイユ方面の郊外にあることを知り、このおかげで18時前にはパリのちょっと郊外に戻って来られて、終電の3本くらい前に乗れた。

日頃は慣れてしまって、動いている電車と歩き(とたまにバス)で何とかしているが、このようなイレギュラーな日には汗だくであった。

それでも、不思議なもので、労働者の権利を守るのが当たり前の国にいると、ため息つきながらも「こんなもんでしょ」という気になっていく。不便でも慣れてしまう。共通の話題(苦労)ができたせいか、なぜか普段話さない人との「ほやき」コミュニケーションが増える(笑)。このあたりは、根がラテンだからかもしれない。

社会全体が「ストだから遅れても仕方がない」と思っているので、ある程度の遅れは気にする必要がなく、やりやすいというのもある。

元日を労働禁止に!
筆者はフランスが絶対に良いとは思っていない。

「ここまでじゃなくてもいいんじゃないか・・・」「もうちょっと経済に配慮してもいいのではないか」と思う。日本とフランスを足して3で割って、2がフランス、1が日本くらいがちょうどいいのではないか、と思っている。

それでも、元旦すら休めないなんて。元日を休みたいと声を上げた人が、契約を打ち切られて露頭に迷うなんて。日本という国の労働状況には、何か極めて大きな欠陥があると思わずにはいられない。

といっても、社会を変えるのはそう簡単に出来るものではない。

そこで(ちょっと極端な)提案である。

◎元日は法律で労働禁止。
◎2日と3日を国民の祝日にする。

ただし働きたい場合は、届けと許可を得なければならないことにする。元日を休みたい人が許可を得るなんて、逆だと思う。デフォルトが間違っている。

「コンビニ加盟店ユニオン」は24日にセブン本部に嘆願書を提出して、年末年始の営業時間を加盟店が柔軟に選択できるよう見直すことを求めたという。まるで「おしん」だ。働いている側は、おしんのかあちゃん(泉ピン子役)みたいに「正月に働かんですまねえ。休ませてけろ」と思わなくてはならないのだろうか。というより、おしんのかあちゃんだって、お正月は休んでいただろうに・・・。21世紀の今、「お正月に休みを!」と労働運動や法廷闘争をしなくてはならないとは・・・あまりにも日本の労働状況はひどすぎる。

もう一度書いておこう。

利用者の便利について、あなたの『不便』は、人様のお雑煮とお屠蘇のお正月を犠牲にしなければならないほどなのですか?

非道な企業については、あなたは、人様のおせちを囲む家族団らんを犠牲にしてまで、『金もうけ』をしたいのですか?

企業は、金を搾り取りたいというよりも、サービスを減らしたら競争相手に負けてしまうのが怖いのはわかっている。だから「みんなで休めば怖くない」を実践するしか方法がないと思う。業界協定でもいいが、法規制するのが一番確実だと思うが、いかがだろうか。

今井佐緒里
欧州研究者・物書き・編集者
フランス・パリ在住。追求するテーマは異文明の出合い、EUが変えゆく世界観。社会・文化・国際関係などを中心に執筆。ソルボンヌ大学(Paris 3)大学院国際研究・ヨーロッパ研究学院修士号取得。日本EU学会、日仏政治学会会員。編著に「ニッポンの評判 世界17カ国最新レポート」(新潮社)、欧州の章編著に「世界が感嘆する日本人〜海外メディアが報じた大震災後のニッポン」「世界で広がる脱原発」(宝島社)、連載「マリアンヌ時評」(フランス・ニュースダイジェスト)等。フランス政府組織で通訳。早稲田大学卒業。日本では出版社で編集者として勤務。 仏英語翻訳。ご連絡 saorit2010あっとhotmail.fr
 

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