マタハラで終業式5日前に小学校を去った41歳女性教師 教員志望者減少の背景にある悪しき慣習〈dot.〉
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Aera dot.2020/1/12(日) 11:30配信
「お母さんに3時間ちょうだい。学校のものを全部片づけてくるから」
ある土曜、そう言い残して子どもに留守番をさせ、北野香織さん(仮名、41歳)は都内にある勤め先の小学校に向かった。第3子を妊娠中、おなかの強い張りに耐えながら勤務していたが、産婦人科医から切迫早産(早産しかかる状態)の診断書が出たことで、「もう限界だ」と、産前休業の前倒しを決意。机を整理している間、携帯電話が鳴っても一切出ず、業務引き継ぎの書類を職員室に置いて逃げるようにして学校を去った。
香織さんは、はじめは東北地方で教員になった。就職氷河期と重なるように、教員の世界でも当時は新卒採用が手控えられ、非正規雇用しかなかった。結婚後は夫が転勤の多い職業だったこともあり、そのまま非正規で働いた。最初は、産休・育休の教員の代替えとしての採用だった。
非正規雇用といっても、6カ月ごとの雇用契約で「6・6(ろくろく)」教員と呼ばれた。4〜9月、10〜翌年3月の6カ月を区切りに契約を更新する。翌年度の採用が決まっていても、3月30日で雇用契約を終了させて1日の空白期間を作って4月1日から新たに雇用するということが繰り返された。これにより、通年採用より1回当たりの雇用期間が短くなることで賞与が低く抑えられるという仕組みを香織さんは後から知った。
32歳で第1子を出産。第1子の出産では、「非正規は育休が取れない」と言われ、いったん退職。教員の仕事が好きだった香織さんは、生後7カ月で認可外保育所に子どもを預け、また非正規で職場復帰した。本来、非正規でも一定の要件を満たせば育休を取ることはできるが、「地方公務員の育児休業法」で6カ月ごとの雇用の非正規雇用である「臨時職員」は最初から育休の対象外になっているなど、非正規公務員の状況は厳しい。授乳しながらの勤務を経験したこの時、「2人目を産む時は育休を取ることができる正職員でありたい」と強く思った。
夫の転勤で東京に引っ越し、教員の職を探すと「明日からでも来てください。今日の午後からでもよかったら来てほしい」と、すぐに正職員としての採用が決まった。第2子、第3子に恵まれて、育休は取れたが、復帰後の育児と仕事の両立は至難の業だった。
第3子を妊娠中、保育園に通う第2子の体調が悪くても、細かく病状を説明して懇願しないと、法で認められているはずの看護休暇を取らせてもらえない。高熱でも出ない限りはいったん保育園に預け、保育園から子どもの体調が悪いとお迎え要請の電話を学校にしてくれたほうが子どもの看護をしやすいという状況だ。保育園からの電話を取り次ぐことの多い副校長は授業中、「お子さん、お熱ですって」というだけで、香織さんが抜けた後の授業をどうするか助けてくれるわけではなかった。
そもそも、この小学校で勤務が始まった初日、「ここは、子どもがいる人のくる場所じゃない」と上司からマタハラ発言があった。クラスで何かあればすべて担任の責任。他の教員とチームで解決、協力し合おうという雰囲気はなかった。働いている保護者に連絡をとるため、夜まで残業しながら電話をかける教員が多いが、香織さんには保育園のお迎えがある。やむなく、自宅から保護者に連絡をとるが、子どもが夕飯を食べているすぐ隣で、学校であったトラブルについて保護者に平謝り。そんな時に限って子どもが「ママ、ママ」と話しかけてきたり、ご飯をこぼしたり。きょうだい喧嘩が始まる。ついつい「静かにしなさい!」ときつくなると、子どもが泣いてしまい、収拾がつかなくなる。
仕事を持ち帰り、子どもに夕飯を食べさせ、風呂に入れ、寝かしつけたらあっという間に夜9時を回る。ここでも、焦っている時に限って子どもはなかなか寝ない。イライラすると、余計に子どもが眠れなくなり、どんどん仕事をする時間が遅くなる。土曜も子どもを保育園に預けて仕事をすると、子どもが疲れて熱を出して出勤できず仕事が溜まる、という完全な悪循環に陥った。香織さんの元気のない様子を心配した教員は悪気なく「田舎に帰って実家に助けてもらって教員を続けたら」とアドバイスするが、帰ったところで非正規の採用しかない。
校長は毎日授業を監視して回り、気に入らない教員には「授業案」を出すよう求めるパワハラ気質があった。通知表も校長がすべてチェック。所見欄の記入を2〜3回ダメ出しすることは珍しくない。書類作成のやり直しで土日に出勤することが常態化。個人情報保護の関係で、児童の名前が入っているような書類は持ち帰ることができない。平日の夜に残業できない分、香織さんは土日に学校に行って仕事をせざるを得なかった。
学校は朝8時が始業時間だが、実際には7時40分までの出勤が求められた。同僚はつわりがひどく、授業に間に合う8時15分の時差出勤を要望したが、ほんの15分の遅れも認めてもらえなかった。そして、子どものことで早く帰れば「仕事ができない」という烙印を押される。皆が当たり前のように夜9時過ぎまで職員室に残っている。9時半にセキュリティーで学校の門が閉まるため、9時27分に退勤するというなかで、夕方5時ごろに保育園のお迎えで帰宅するのは肩身の狭い思いをする。
担任する児童の間で喧嘩やいじめにつながるような問題行動があれば、放課後、保護者と面談が行われる。遅い時間になると内心「保育園のお迎えが……」と気持ちは焦るが、副校長からは「保護者にお迎えに行きたいと言ってはいけない」と禁止された。閉園間際の保育園に滑り込むと、保育室には、わが子がポツンと一人。そのたびに、香織さんの胸は痛んだ。
保育園の延長保育を使うこともあったが、夜8時15分まで預かってもらえても、預け先の保育園では夕食が出ない。帰宅してからご飯を食べ、風呂に入れ、となるよりは、意を決して5時には職場を出ることにした。そして、「この学校に戻ってつらい思いをしながら働くよりは、異動したほうがいい」と、思うようになった。
日曜や祝日に行われるお祭りなど地域の行事への参加も避けられない。香織さんが「日曜は保育園が開いていないので預けられない」と上司に告げると、「近所のママ友に預けられないの?」と当然のように出席を求めた。香織さんは「子どもを預けて何かあったら責任が発生してしまうから、安易に友達に預けられない」と反論して事なきを得たが、そんなささいな上司の理解のない言葉に、限界が来た。
そして冒頭で紹介したように産休の前倒しを決意。あと5日で終業式だという土曜に自分の机を片付けに行ったのだ。そして、異動願いを提出した。香織さんの知る限り、子育て中の教員が異動する場合、近隣の学校になるよう配慮されることが多かったが、育休中に行われた副校長との面談では「そんなの通るわけない」と一蹴された。異動希望の書類には自由記入欄があり、通勤路線や学校の規模の希望を書くことができるが、香織さんは「自由意思を書くな」とまで言われた。
香織さんの教員仲間のなかには、育休を取りたいと言うと校長から「代替の教員を自分で見つけてくるならいい」と無理難題を押し付けられたり、異動を希望した先の校長から「育休から復帰したばかりの教員はいらない」と言われたりするケースまであるという。
日本教職員組合が2017年8〜11月に行った「権利行使に関する調査」では、小・中・高校と特別支援学校の教職員に妊娠中の妊娠障害の症状の有無を尋ねており、小学校教職員の半数に症状があった。そのうち約3割が切迫流産(流産しかかる状態)、4人に1人が切迫早産だった(複数回答)。また、正規教職員の約4割が「労働環境が妊娠・出産に影響したと思う」と答えている。妊娠中に妊娠障害があり、休暇の必要があったが利用していない割合は小学校で約2割、出勤時間をずらすなどの「通勤緩和措置」の必要があったが利用していない人は同3割を占めた。さらに、「2015年度以降、育児短時間勤務制度の行使状況」は、該当者のうち、育児短時間勤務で働いたのは小学校でわずか8.4%にとどまった。業務の多さ、人手不足が影響している。
状況は悪化の一途をたどり、教員のなり手不足が深刻化している。12月23日に発表された、文部科学省「令和元年度 公立学校教員採用選考試験の実施状況」によれば、小学校の採用倍率は2.8倍で、前年度の3.2倍から減少。平成3年度と並ぶ過去最低をつけた。高年齢の教員が大量に退職した影響で採用数が増えており、小学校の採用者数は前年度比1094人増の1万7029人となる一方、受験者数が前年度比3536人減の4万7661人となった。同調査から、10年前の2009年度と2019年度の受験者数を比べると、新規学卒者は1万3410人から1万7371人へと増えている。ところが、既卒者が3万5233人から3万290人に減っており、既卒者の占める割合が72.4%から63.6%に低下している。
文科省は今回の調査結果で既卒者の受験が減った要因について、民間企業の採用が好転したことで、教員採用試験で不合格になった後で講師を続けながら試験に再チャレンジする層が減っていると分析している。ただ、改めて自分が子どもをもった時を考え、実情と照らし合わせると、とても教員を選択できないと考える人も決して少なくないだろう。教員の世界にもマタハラが起こっている。
文科省は働き方改革を進めるとしているが小手先の改革では効果はなく、人手不足が解決しないことには状況は好転しない。定年後の再雇用で人材確保を図る現場も多いが、定年前と同じ仕事量と責任で給与は半額というケースが多く、長くは続かない。現場からは、かねて少人数制のクラス編成、副担任をつける、音楽や図工など専門教員の配置などが求められている。教育の質を維持するには、それなりの予算を投じて教員の質を担保しなければならないのではないか。(ジャーナリスト・小林美希)