第50回 労働市場を弱肉強食の場に変えたのは誰か

このところ締め切りの厳しい雑誌原稿に追われ、そのうえ5月10日刊行予定の拙著『貧困化するホワイトカラー』(ちくま新書)の校正が重なって、連載がとぎれがちでご迷惑をおかけしています。今日は3月3日付けの「しんぶん赤旗」学術文化蘭に掲載された拙稿を転載して責めを塞ぐことをお許しください。

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アメリカ発の世界恐慌の直撃を受けて、製造業では派遣切りがすさまじい規模と勢いで行われています。派遣労働者のなかには、仕事と同時に住居を失った人も少なくありません。年末年始の派遣村の光景が大きなニュースになり、大企業の冷酷さや政府の無策に対して世論の批判が一挙に高まりました。

しかし、その一方、『WILL』などの一部のメディアには、派遣村に集まった失業者たちを、何時切られても仕方がない派遣という働き方を自ら好んで選んだのだから、文句をいえる立場にはないと非難する論調も見られます。

こうした意見に共通しているのは、派遣の歴史や現実をほとんど無視していることです。戦前の日本においては、親方が人夫を配下において工場や鉱山に送り込んで、奴隷のように働かせてピンハネ(中間搾取)をする労働者供給業事業がはびこっていました。戦後の職業安定法は、そうした悪習を絶つために、労働者供給事業を営むことも、利用することも禁止しました。それだけに1985年の労働者派遣法の制定に際しては派遣の是非をめぐっていろいろな議論がありました。最近では派遣をめぐって二重派遣や偽装請負や労災隠しなどの違法行為が多発していますが、いま問題になっていることの多くは、戦前の苦い教訓から、派遣法の成立過程ですでに予想されていたことです。

派遣法が03年に改定され、04年から製造業の現場作業への派遣が自由化されたことはよく知られています。しかし、製造業の派遣が05年度から07年度の間に7万人から47万人に増えたことや、派遣労働者の労災被災者が04年から07年の間に667人から5885人に増えたことはあまり知られていません(数字はいずれも厚生省発表)。

5年ごとに実施される総務省「就業構造基本調査」でみると、02年から07年のあいだに製造業の正社員は800万人から744万人に減少していますが、派遣労働者は逆に20万人から58万人に増大しています。

製造業の大手企業は、この間、正社員を絞り込み、派遣などの非正規労働者を急増させて、人件費を引き下げ、大きな利益を上げてきました。トヨタやソニーなどの日本を代表する製造業大手16社だけで、08年9月末現在の内部留保は約34兆円にも上ります(「東京新聞」08年12月23日)。その結果、付加価値に対する人件費の割合を示す労働分配率はどの産業よりも大きく低下しました。

2008年の「労働経済白書」もそのことを認めて、「製造業のうち、特に、輸出の拡大によって業況を改善させてきた素材関連製造業と機械関連製造業で労働分配率の低下が大きく、従業員(正社員)の削減による人件費の削減が際だっている」と述べています。

私たちは、今日大きな社会問題になっている製造業における派遣切りについて考えるとき、政府が財界のいいなりに派遣の規制を撤廃し、大企業がわずか数年のうちに派遣労働者を何倍にも増やして搾れるだけ搾ったあげく、弊履を棄つるがごとく切り捨てているという事実を見失ってはなりません。

『ワーキング・プア』(岩波書店、07年)の著者のデイビッド・シプラーさんが言うように、工場で携帯電話や液晶テレビを作ったり、スーパーでレジを打ったりして、私たちの便利で快適な生活を支えている低賃金労働者の存在は、ふつうは人々の目に映らず無視されています。それが悲惨なかたちで多少とも見えるようになった今こそ、私たちは、誰が、そして何が、労働市場を文字通り弱肉強食、弱者切り捨ての場に変えたのか、考えてみるべきときです。

 

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