『不安な経済/漂流する個人――新しい資本主義の労働・消費文化』大月書店、
リチャード・セネット著、森田典正訳、2415円
(『週刊エコノミスト』2008年4月1日号)
新資本主義の不安の正体
“文化”から暴く
著者は小説も書く社会学者として知られる。日本では本書を含め6冊の著書が翻訳出版されている。前に出た『それでも新資本主義についていくか』(斎藤秀正訳、ダイヤモンド社、1999年)は、効率とフレキシビリティーを志向する新資本主義は労働者を先の見えない不安に陥れ、人間性を腐食すると説いて、広く読まれた。その不安の正体を新資本主義の文化から論じたのが本書である。
考察は企業の組織文化を特徴づけてきた「官僚制度」から始まる。マックス・ウェーバーが分析したように、官僚制のピラミッドは、規則によって職務を各担当者に配分するようなかたちで「合理化」されていた。軍隊や行政のみならず企業に取り入れられた官僚制は「鉄の檻」であったが、官僚制を取り込んだ従前の「社会資本主義」は、包摂と安定を志向していた。
しかし、新資本主義は檻を解体した代わりに、包摂と安定を葬り去った。同一組織に生涯を捧げる習慣が衰微し、終身雇用が消滅した。社会福祉や政府によるセーフティーネットも、より短期的・暫定的になった。以前は、人生の「物語」を紡ぐこともできたが、今では人々は物語を持てない孤立した宙づり状態で漂流させられる。
大企業の権力は、巨大余剰資本が地球規模の投資に回り始めて、経営者から株主に移った。新たに権力を得た株主は配当より株価を基準に短期的利益を追う。フレキシブルな組織は、業務の外部委託、雇用の非正規化、細切れ化を促して、労働者の間に強いストレスと不安を生みだす。労働者は「不要とされる不安」につきまとわれる。
その結果、組織へのロイヤルティーの低下、労働者間の相互信頼の消滅、組織についての知識の減少という3つの社会的損失が生ずる。
では活路はどこにあるか。セネットは最後に物語性、有用性、職人性という3つの「文化的な錨」を対置する。物語性とは人々が長期的展望を持って生きていくこと、有用性とは労働において自己が社会にとって有用と感じられること、職人性とは、それ自体を目的として何事かを行い、経験を積み上げていくことである。
セネットは、これらの錨を社会に打ち込む手掛かりについても論じているが、議論は文化や価値に重きが置かれ、総じて具体性に乏しいという不満が残る。とはいえ、表題さながらに不安な経済のなかで個人が漂流させられている日本でこそ、本書は読まれなければならない。