第171回 井上ひさしの「日本の樹木」――すとらい木とえねる木

今日(4月9日)はわが敬愛する井上ひさしの3回忌です。彼が旅立って以来、毎晩床に入って
眠たくなるまで、よく彼の随筆を読んでいます。いま読んでいるのは、『にっぽん博物誌』(朝日
新聞社、1983年)です。そのなかで言葉遊びの名人ならではの地口の傑作がありましたので、
場違いを承知で一部紹介します。

日本の樹木

うわ木 別名よろめ木。その日の出来心で四方八方に枝を伸ばして発展するが、金肥をくう上に、
厄介な実を結び、大騒ぎになる。しかし魅力のある樹木であることはたしかで、だれでも一度は
種子をまいてみたいとおもう。花はたいていラブホテルと称する巨大な有料温室で咲く。一種の
出世木で、発育段階に応じて、おとこず木・おんなず木、くど木、しげ木、そしてうわ木と呼び名
がかわる。

まんび木 書店やデパートやスーパーなどに瞬間的に生える店員泣かせの木。駅などに発生する
おきび木はこのまんび木の別種。

すとらい木 春になると主として国鉄や私鉄の線路に生える。ビラとかハリガミといった白や赤の
花をつけ、根や枝の先が利用者の足や首にからみつくという。わたしは名もない三文植物学者
であるが、この木には親愛感を抱いている。もっとも世人はこの木を嫌い、良識液だの、常識粉
だのの薬をかける。ただし種子は働く者の心の底にこっそりと残る。

えねる木 わが国がもっとも重視しているたき木の類の総称。その多くを外国から移植している。
放射線処理による科学的育種法で、いま全国の海岸にげんしりよくはつでん木という巨木の移
植が行われているが、高知県窪川町が住民投票でこの木を拒否したことは記憶に新しい。溶出
する樹液はとくに危険だとされる。政府はこういう拒否の態度をあれる木にすぎぬ、といっている
が。

(以下省略)

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