第196回 9.11にあたって物事のモメンタム(勢い)について考えました。

2001年9月11日のアメリカにおけるあのテロアタックから11年経ちました。前回も書きましたが11年前のこの事件に、私は滞在先のニューヨーク市で遭遇しました。カナダのビクトリアを経由して9月末に帰国した後に知ったことですが、アメリカの戦後外交の高名な立案者、ジョージ・ケナン(1904〜2005)は、イラク侵攻間際の情勢のもとで、つぎのように語っています。

「戦争にはそれ自身のモメンタム(momentum  勢い、はずみ)というものがある。戦争に入ると、思慮深い意思はいっさい働かなくなってしまう。今日、もし、われわれが、大統領がわれわれにさせたがっているように、イラクとの戦争に入るなら、始めはわかっているが最後はわからない」。

モメンタムということばでもう一つ思い出すことがあります。それはシュンペーター(1883〜1950)という経済学者が『資本主義、社会主義、民主主義』という本のなかで書いていることです。

「社会経済的な事柄は、それ時自身のモメンタムによって動く。そして、その結果現れてくる事態は、個人や個人の集団をして、彼ら自身の望むところがどうであるにせよ、ある特定の方向に行動させる。それは、彼らの選択の自由を失わせることによってではなく、選択を能動的におこなう精神状態そのものを形づくり、また選択の対象となる可能性のリストを制約することによってである」。

当初イラク戦争を支持したアメリカ人の精神状態もこれによって説明できます。この見方はアメリカ人同様に新自由主義的な政策選択を支持してきた近年の日本人の精神状態にも当てはまります。

日本の他の都市以上に経済の衰退と格差の貧困が進んだ大阪では、政治不信がどこよりも広がり、悪代官捜しと見紛うような教員狩りと公務員狩りが横行し、自民党、民主党、共産党などの既成政党が埋没し、一人橋下維新が政治的支持を伸ばしてきました。この動きはいま国政に広がろうとしています。これも「社会経済的な事柄は、それ時自身のモメンタムによって動く」という論理から説明できます。

一度動き出したら容易に留まらないのがモメンタムです。それは回るコマのように、消耗と摩擦によってやがては力を失いますが、惰性の勢いという意味では簡単には止まりません。走っている車を外から止めるには、止まっている車を動かす以上に大きな力と知恵や工夫が必要です。

しかし、9.11ならぬ3.11の後では、余りに大きな犠牲を払ってではありますが、動いている原発を次々と止めさせました。いま、再稼働した関西電力の福井原発を止めろという世論が大きく広がっています。核エネルギー政策のモメンタムのベクトルは、3.11以前とは180度違っています。私たちは、核エネルギーの流れを止めた経験よりもっと短い時間で、日本維新の流れを止めなければ、それこそ最後はどうなるかわかりません。

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