エコノミスト 2012年7月10日号
オキュパイ!ガゼット編集部編
『私たちは“99%”だ――ドキュメント ウォール街を占拠せよ』
肥田美佐子訳、岩波書店、2012年、2000円+税
99%”の人々は何を訴え、どう行動したのか
あのリーマンショックから3年経った昨年9月、ニューヨーク市のウォール街に近いズコッティ公園でこの運動は始まった。座り込みや集会やデモの先頭に立ったのは、トップ1%の富裕層だけが優遇される金融資本主義の政治と経済に抗議する若者たちである。
本書では、参加者にして観察者である人々が、公共空間の占拠運動とは何なのか、それはどんな希望を表し、どんな困難を抱えているのかを暖かくかつ冷静に語っている。
参加者の声を集めたウェッブで、一年前に大学を出たある女性は言う。私は40歳まで返済が続く5万ドルの学生ローンを抱え、日々失業におびえている。ローンと車の保険を払ったらガソリン代しか残らない。でも幸いしばらくは親元で暮らせる。私は“99%”だ。
運動のウェブの言葉は、どれも「私は“99%”」あるいは「私たちは“99%”」で結ばれている。自らの窮状を周りに訴えるこの人々がやっているのは、自分たちと周りの人々に「階級意識」をつくりだす言語を使った活動である。
この運動は投票で賛否を問うかわりに、皆が納得するまで意見を交わし、全員の合意によって決定する。
合意型の運動の困難もある。オープンスペースの運動のあるところにはドラムサークルが集まってくる。彼らも運動の参加者だが、絶え間ない打楽器の音は、集会の発言者をイラつかせる。集会がこの困難を切り抜けたのは、「人間マイクロフォン」の手法によってである。
ニューヨーク市警がマイクの使用を禁じたという事情もあって、発言者が「マイクチェック!」と叫ぶと、集会の参加者は、体でリズムを取りながら発言者の言葉を復唱して、いわば聴衆全体がマイクロフォンのような存在になるのである。
占拠という抵抗形態は、労働組合がストライキで行う座り込み戦術にさかのぼる。しかし、労組と運動の間には距離がある。労組は物質的支援を得るうえで頼もしい存在でありながら、運動は労組が嫌いである。しかし、運動は、労組との距離を縮めて、自らを「労働運動」と称してもよいのかもしれない。
本書には、瞬く間に全米主要都市に拡がった占拠の風景を日記風に綴った記録も収録されている。運動の始まりから2ヵ月後、ニューヨーク市警は公園のテントを強制撤去した。だが、本書の「まえがき」にあるように、終わったのではない。
「花を引き抜くことはできても、春の到来は止められない」。