第201回 集合離散の右合の党に日本の未来を託するのはまっぴらごめんです

石原都知事辞任と国政復帰・新党立ち上げが大きなニュースになっています。

今回の新党構想については、自らが唱えた尖閣諸島の購入構想が野田政権による国有化でぽしゃった、自民党総裁選で長男の石原伸晃前幹事長が敗北したために面目が潰れた、オリンピック誘致再チャレンジが成功しそうになくなった、等々で弱り目に祟り目になってきたなかで、国政復帰と新党立ち上げしか浮かぶ瀬がなくなったという見方があります。

自民党新総裁に党内最右翼の安倍晋三元首相が選ばれた、地域政党だった橋下・維新の会が国家主義と復古主義の旗印を強めて全国政党に名乗りを上げた、尖閣問題と竹島問題でナショナリズムが吹き出している、といった政治情勢のなかで、今年80のおじいさんとしては新党右合(別名烏合の党)の立ち上げしか元気を示す選択肢がなくなったという見方もできます。

しかし、石原新党立ち上げ騒ぎの背景はこれらの事情だけではありません。より大きな背景としては、ここ四半世紀の間に、日本の政治も経済もガタガタになったり、国民の政治不信と経済幻滅がかつてなく強まったという状況があります。

戦後日本の政党政治の分解と無節操化は、1996年に小選挙区制にもとづく衆議院選挙が初めて実施されたときから始まりました。現在の日本には、国会に議席を有している政党にかぎっても、大小17の政党があります。そのうち1996年以前から存在している党は、自由民主党、公明党、日本共産党、沖縄社会大衆党の4政党だけです。

1994年、自民党、新党さきがけ、社会党の連立で、日本社会党委員長の村山富市氏が首班指名され、村山内閣が誕生しました。しかし、その2年後には社会党が消滅し、社民党が発足しました。社会党のほかに90年代以降に消滅した党は、自由党、民社党、日本新党、新党さきがけ、新政党、新進党、民政党、新党友愛などがあります。公明党も新進党に合流していったんはなくなりました。

小泉純一郎氏は「自民党をぶっ壊す」と言って2001年、首相の座につきました。2007年の参議院選挙と2009年の衆議院選挙で自民党が大敗して民主党が圧勝したのは、小泉元首相の自民党壊しの結果です。その流れとは別に、大阪では自民党が壊れ、自民党脱出組が主力の橋下・維新の会が府市会で多数の議席を占めました。今回の安倍晋三自民党総裁選出は、壊れた自民党の右翼バネの究極の選択ともいえます。

民主党は、自民党の離党議員、旧社会党の出身議員、新進党や新党さきがけからの合流議員などの寄り合い世帯として1998年にスタートしました。いまだにまともな綱領もないという点では、政党の体を成していません。2009年の総選挙では、自民党に幻滅した有権者の期待を背負って圧勝し、政権獲得に成功しました。しかし、その後の3年間はマニフェストを棚上げした裏切り政治の連続で、今では国民の支持をすっかり失っています。民主党は、公約に掲げていなかった消費税率の10%への引き上げも自公と野合して強行しました。3.11以降の原発ゼロを決められない政治でも、有権者の支持を失っています。沖縄の基地問題やオスプレイ配備問題では、県民の怒りを無視して、アメリカの顔色を窺ってばかりです。

二大政党の自民党と民主党がガタガタになっているもとで、政治不信を煽り、戦後議会政治の根幹である民主主義を否定して、既成政党打破と官僚支配打破を唱え、憲法改正や武力行使を叫び立て、独裁政治実現の覇を競っているのが橋下氏と石原氏です。しかし、すでに全国政党として旗揚げした橋下新党も、これからお船を漕ぎ出す石原新党も、、強いリーダーのこの指とまれに集まる烏合の党でしかありえません。

本ブログのテロップニュースには「東西の危ない暴言者二人が手をつなぎ、戦争国家と貧困社会への復古を競う道に、働く者の未来はありません」と出ています。二人は互いに牽制したり、あるときは違いを際立たせたりして、有権者の支持を取り付けようとするでしょうが、いずれは全政党が解散し、改憲推進党に大合流することを目指している点で、体制翼賛会の先導者です。

こうした人物に日本の未来を託するのはまっぴらごめんだと言わなければなりません。

(いまひとつの背景であるガタガタになった経済については回を改めて書きます。)

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