第302回 いまこそ河上肇に学んで貧困の解決について考えよう

昨年12月7日の朝日新聞デジタル版に<(今こそ河上肇)「貧困と格差」論、まるでピケティ>というタイトルの記事が載っています。https://hatarakikata.net/modules/data/details.php?bid=1751

いまから100年前の1916年、大阪朝日新聞に夏目漱石「明暗」とともに、河上肇の「貧乏物語」が連載されていました。連載中は「洛陽の紙価を高からしむ」と言われるほどに、朝日の購読者が増え、翌年刊行された単行本はベストセラーとなりました。先の朝日の記事は、「テーマといい、論の進め方といい、まるで今年話題になったトマ・ピケティ『21世紀の資本』ではないか」と書いています。

この記事は河上肇の<足あと>をこう記しています。

1879年、山口県生まれ。東京帝大卒業後、講師などを経て、1908年に京都帝大へ。16年に新聞連載した「貧乏物語」はベストセラーになる一方、厳しい批判も受けた。以降、マルクス経済学に傾倒し、28年、京大教授を辞して労働農民党に参加。32年からは共産党の地下活動に参加し、翌年、治安維持法違反で収監される。37年、刑期満了で出獄、戦後の活動再開を期したが、46年死去。

また、<かく語りき>で、『自叙伝』の「御萩〈おはぎ〉と七種粥〈ななくさがゆ〉」から次のようなことばを引いています。

「人間は人情を食べる動物である。少くとも私は、人から饗応を受ける場合、食物と一緒に相手方の感情を味うことを免れ得ない」(『自叙伝』「御萩〈おはぎ〉と七種粥〈ななくさがゆ〉」から)

食べるということでは、河上肇は甘い餡の入った饅頭が大好きでした。彼は敗戦の日の1945年8月15日に「あなうれしとにもかくにも生きのびて戦やめるけふの日にあふ」と平和の時代が来たことを喜び、「大きなる饅頭蒸してほほばりて茶をのむ時もやがて来るらむ」と歌っています。ほかにも「分厚なる黒飴つつむ饅頭にまされる味は世にはあらじと」など、饅頭の短歌をいくつも作っています。これらの短歌では饅頭は平和の象徴であり、貧困と不自由からの脱却の象徴です。饅頭を想うときにも貧困の解決を生涯考え続けた経済学者であったといえます。

今年は河上肇没後70周年、秀夫人没後50周年です。私も参加させていただいている河上肇記念会では、戦前の日本を代表する経済学者を偲び、河上肇と私たちの生きる時代を見つめて、本年1月30日に以下のような記念座談会(公開シンポジウム)を開催します。参加無料、予約不要です。ふるってご参加ください。

2016年1月30日(土)、13時半〜17時
京都大学楽友会館2階講演室
東山通り近衛東入ル 電話075-753-7603

河上肇没後70周年記念座談会
河上肇の人と時代

第1部: 肇さんの思い出を語
今井香子  河上肇と立野正一
対   話  鈴木洵子・中井郁子

第2部 河上肇と時代を語る〜貧困、沖縄、大学自治〜
阿知羅 隆雄  沖縄舌禍事件と「経済史」ノート
池 上   惇    『貧乏物語』と『21世紀の資本』
〜能力貧困・所得貧困を中心として〜
森 岡 孝 二  「雇用身分社会」と働き方の戦前回帰
西牟田 祐二  大学の自治と河上肇の生き方

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