チョンテイル(全泰壹)記念館を初めて訪問して
2019年11月15日(金曜日)、関空からソウル・金浦空港に到着しました。民弁(民主社会のための弁護士の集い)労働委員会と大阪労働者弁護団の定期交流会(翌16日)に参加するためです。民弁と大阪労弁の交流は1999年に始まり、日韓で毎年交互に開催して、今年で21回目になりました。私も最近約10年間、欠かさず参加するようになりました。ただ沖縄開催の昨年の交流会は手術後で体調を優先して、残念ながら不参加でした。今年は2年ぶりの参加です。
15日、ソウルは気温はかなり低く、防寒着を用意したのが正解でした。自由参加の企画ですが、夕方、多くの労弁の皆さんと一緒にチョンテイル(全泰壹)記念館を訪問しました。仁寺洞の定宿ホテルに荷物を置いて、強くなった雨の中を15分程歩いてチョンゲチョン(清渓川)前の記念館に到着しました。チョンテイル記念館は、自治体として独特な労働行政を進める朴元淳・ソウル市長の下で建設された、「労働尊重都市ソウル」を象徴する施設です。2019年3月に完成したばかりで、「ソウル市労働権益センター」のほか、アルバ・ユニオンなど青年関連の団体も入る「労働ハブ」となっており、会議、集会、教育などを目的とする、労働関連複合施設という位置づけです。
過酷な状況にある青年のための記念館
少し早く着いたので建物の入口前でウロウロしていると、民弁の若い弁護士の皆さんが待っておられたので挨拶をした後、一緒に労弁の皆さんが到着されるのを待ちました。記念館の入口には、チョンテイル(全泰壹)青年とチャングレの二人が肩を組んでいる看板がありました(写真)。
チャングレは元々は劇画のようですが、韓国人気TVドラマ「ミセン(未生)」*(2014年)の主人公の青年です。このドラマは、囲碁のプロを目指していた若者が挫折してサラリーマンになって大変な苦労を重ねていく物語です。囲碁では相当な能力があるチャングレは学歴も資格もなにも持たず、非正規職として本採用(正規職)になるために周囲の同僚や上司・先輩と様々な葛藤をしていきます。
〔*ドラマ「未生」は日本でも2015年に放映され話題となりました。https://www.facebook.com/ミセン未生-1640809432828165/?ref=hl)
「未生」は、韓国企業の厳しい競争主義の環境で働いている人々、とくに青年の状況を等身大で描いた珍しい劇画・ドラマです。舞台となる大企業職場は、成果が乏しい者、能力のない者を振り落としていきます。そこで余裕なく働く社員、若年者、非正規職、女性、低学歴者に対するいじめやパワハラ等の現実が描かれます。このチョンテイルとチャングレの看板が正面にあるのは、この記念館が、厳しい労働社会で苦悩する青年たちを対象にしていることを端的に示しているのだと思いました。
民主労組設立の先駆者=チョンテイル
韓国の過酷な労働社会の中で、働く者のために真剣に活動する「民主労組(ミンジュノジョ)」を作るきっかけになったのが、まさにチョンテイル(全泰壹)青年でした。記念館には、チョンテイルが「民主労組」の先駆けとなる組織を作り、抗議の自殺をするまでの経過と、亡き息子に代わって労働者のために活動する母・イソソン(李小仙)さんの足跡と記念の文書や品物が陳列されていました。説明をしていただいたのは、チョンテイル財団のキム・テヨンさん*、日本語通訳は、民弁のチョン・ミンギョン弁護士でした。
〔*偶然ですが、キム・テヨンさんが民主労総の政策局長をされていた約10年前にシンポジウムでお会いしたことがありました。〕
極貧の少年時代
20年もの長い軍事独裁政権が続いた韓国は、1960〜70年代に「漢江の奇跡」と呼ばれる経済成長を果しました。独裁政権から資金や需要を得た財閥大企業が中心でした。労働者の状況は悲惨でした。労働組合は、企業内外で自由な活動を厳しく禁止されたのです。チョンテイル(全泰壹)は、1948年、テグ(大邱)で生まれました。私と同い年です。お父さんの事業が失敗したために一家は釜山、ソウルと転居を重ねます。チョンテイル少年は極貧の家族を助けるため小学校を中退して新聞売りなどをして働き始めます。何とか小学校に戻れて中学に入学しますが、再び働くために中退します。そして、色々な仕事を経験して、1965年、ソウルの平和市場(東大門)にある屋根裏の縫製工場で働き始めました。
平和市場の過酷な縫製工場
縫製は、お父さんの仕事だったので、チョンテイル(全泰壹)は、幼いときに見慣れていたこともあって早く仕事を覚えてすぐにテーラー(裁断師)になりました。その職場には、高さ1m半しかない作業場で朝8時から夜23時まで1日15〜16時間も働く女性たちがいました。妹のように幼い女性労働者たちを助けようとチョンテイル青年は悩みます。そして、勤労基準法の存在を知り、勉強を始めました。当時は、パクチョンヒ(朴正煕)大統領の独裁政権の時代でした。勤労基準法は、大部分が漢字で書かれていたので、まともに学校に通えない貧しい労働者のほとんどは条文を読むことさえできませんでした。
チョンテイル青年は、パボフェ(바보회=直訳は「バカの会」*)という集まりを作りました。そこで勤労基準法の勉強会を始めました。労働者たちの働かされ方は、勤労基準法とは大きく異なっていることを知ることになりました。
〔*注 「バカの会」というのは、?勤労基準法について全く知識がなかった、?使用者に嫌われることが明らかなのに労働条件の改善を求めるからという2つの意味がある、という説明でした〕
勤労基準法違反を告発する闘い
チョンテイル(全泰壹)青年が非凡であったのは、労働者を対象にアンケート調査を実行したことです。労働者の実態を明らかにして、勤労基準法違反を告発するためです。しかし、それが理由で企業主に嫌われ、1969年に解雇されてブラックリストに載ったため縫製の仕事ができなくなってしまいました。数年間、建設現場などで働きますが、平和市場に戻って今度は「三同親睦会」を組織します。再び屋根裏工場での労働実態の調査を実施し、以前より多くのアンケートを集めて労働庁(日本の労基署に当たる国の行政機関)に労働環境改善の陳情闘争を行ないました。
しかし、国(労働行政)は何の改善もしませんでした。そこで、1970年11月13日、勤労基準法は形骸にすぎないとして、その「火刑式」*を行おうとしました。しかし、その集会とデモも警察によって封じられました。そこでチョンテイルは、「勤労基準法を守れ」「私たちは機械ではない」と叫んで自らの身に火をつけ「焼身抵抗」を行なったのです。病院に運ばれましたが、14日未明に死去しました。享年23歳(満22歳)の短い生涯でした。
〔*「火刑式」というのは形骸に過ぎない勤労基準法の本を燃やすこと)
先駆者=チョンテイル精神を受け継ぐ韓国労働運動
チョンテイル(全泰壹)の死から17年も経過した1987年民主化運動まで、独裁政権が続きました。国や企業に対抗する「民主労組(ミンジュノジョ)」結成は、独裁政権時代から現在まで、韓国労働運動の最大の目標となっています。チョンテイルの活動は、独裁政権初期に「民主労組」作りを目指すきわめて先駆的なもので、韓国労働運動の出発点となったのです。
チョンテイルの母であるイソソンさんは、亡くなった息子の代わりとなって各地の労働者の闘いを励まし続けました。そのため、韓国政府(警察、裁判所)からも厳しく抑圧され、数多くの逮捕と拘束、獄中生活を繰り返しました。そのため、イソソンさんは「労働者のお母さん(オモニ)」と呼ばれ、息子と並んで韓国労働運動の象徴的な存在となったのです。
韓国では、チョンテイルの亡くなった日を記念して、毎年、11月13日に全国から労働者大会がソウルで開催されます。私も、この時期に訪韓して、チョンテイルと母イソソンさんの墓地がある南楊州市のモラン(牡丹)公園での追慕祭に何度か参加しました。民主労総や韓国労総だけでなく、保守政治家を含めて各界からも参加があります。
文在寅大統領も、今年の11月13日、次のようなTweetを発信しています(訳文責:脇田滋)。
(https://twitter.com/moonriver365)
チョン・テイル烈士を考えます。
平和市場、劣悪な屋根裏部屋の作業室での労働と幼い女工のお腹を満たしたタイ焼きを考えます。勤労基準法と労働者の権利、人間らしく生きるのが何かを考えた美しい青年を考えます。彼の叫びで国民は初めて労働の価値について考えることになりました。
大韓民国の今日は、無数の汗の雫が集まった結果です。戦場に捧げた命と田畑を作った皺だらけになった手、工場の残業と徹夜が積もって、私たちはこれほど良い暮らすをすることになりました、誰一人例外なしに尊敬を受けなければなりません。
烈士の意志は「共に良く暮らす国」だったと信じます。烈士が散華して49年、まだ私たちが抜群の大きな成長をしたほどに差別と格差を減らすことができずにいて残念です。労働が尊重される社会、皆が公正な社会への烈士の意志を継承します。
このように韓国では、現在もチョンテイル青年と、イソソン・オモニが敬愛され続け、手厚い追慕が続いているのです。
私から見て、チョンテイル精神を最も強く継承しているのは「民主労総」だと思います。その今年の最優先課題は「労働組合をする権利」*の実現です。韓国の労働運動は、企業や政府から真に独立した労働組合(=民主労組)を作り、活動する権利を第一の目標に挙げているのです。
〔*日本では「団結権」に当たる表現ですが、韓国語では、”노조할 권리(ノジョハルクォルリ)”、直訳すれば「労働組合をする権利」です。〕
韓国では、労組組織率が11%しかなく、労働組合活動の結果である労働協約の適用を受ける率が欧州諸国と比較して余りにも低いことが常に反省的に指摘されています。とくに、非正規職や中小零細業では組織率はゼロに近いことが弱点とされ、民主労総は企業別・正社員組織でなく、産業や地域で最も弱い立場の労働者を含めて全体労働者を代表する組織を目指しています。この3年間に50%近くも組合員を増やして70万人から100万人を超えた民主労総は、それで満足せず、一層の組織拡大を目指しています。さらに、労働団体からの推薦を受けて3選し、この11月に任期9年目に入った朴元淳(パクウォンスン)ソウル市長は「ユニオン・シティ」ソウルを目指しています。
韓国の労働社会は決して良い状況にあるとは言えません。過労死、パワハラ、正規・非正規差別、男女格差、低賃金、不十分な社会福祉・社会保障など、日本とも酷似した状況があります。しかし、企業別組織に安住することなく、産別組織や非正規撤廃など、全体の底上げを図ろうとしています。「初心忘れず」(韓国語では、처음처럼=初めのように)という言葉が、韓国民主運動でよく聞く標語です。まさに、チョンテイル精神を堅持し続けていること、そこに韓国労働運動の原点があり、未来があるのだと思います。韓国の労働運動に関心のある人は、一度はチョンテイル記念館を訪問されることを勧めます。
ただ、記念館を初めて訪問して大きな感動を覚える一方、私個人は、「日本では、チョンテイル精神に相当するものがあるのだろうか」と、日本の労働運動について考え込むことになりました。