「親の介護が終われば路頭に」 55歳独身、描けぬ未来
https://www.asahi.com/articles/ASN3352KVN2PULZU00B.html?iref=pc_rellink_01
朝日新聞 編集委員・清川卓史 2020年3月5日 17時00分
〔写真〕90歳の母親と2人分の食事の支度をする渡辺紀夫さん。「目標は30分以内です」=2月、東京都
「母さんの介護が終わった将来、自分はどうなるのか。路頭に迷ってしまうんじゃないかという不安はありますよ」。90歳の母親と2人暮らしの男性(55)は真顔で言った。10年目を迎えた息子介護。不安は「介護後」の自分の未来にある。
2度の介護離職
東京都の渡辺紀夫さんは、東北地方のホテルで正社員として働いていた。認知症で腎不全を患う父の介護のため離職し、東京に戻った。10年前のことだ。母と一緒に要介護5の父を自宅で介護した。朝4時前に起きて腎臓病の父専用の食事の準備をした。
生活のため、福祉施設の調理を請け負う会社に再就職した。介護のため定時帰宅していると「仕事を覚える気がない」と嫌みを言われるように。法で保障されているはずの「介護休業」について上司に相談しても「ウチの会社では使えない」と突き放された。「介護休業なんてとれるのは安定した大きな企業の人だけなのか……」
職場で孤立し、精神的に追い詰められた。「父親さえいなければ、この状況がまっさらにリセットできる」との黒々とした思いがよぎったことも、自らの死を考えたことも、一度や二度ではなかった。昼休みに「認知症の人と家族の会」に電話して話を聞いてもらい、平常心を保つのが精いっぱいだった。2年後に退職。2度目の介護離職だった。
〔写真〕介護者カフェで介護体験を語る渡辺紀夫さん。介護離職した人への経済的支援の重要性などを訴えた=1月、東京都葛飾区の香念寺
貯金は40万円切る
6年前、父を82歳で看取(みと)った後、うつ病の診断を受けた。いまも朝晩の服薬が欠かせない。宅配弁当配達のアルバイトなどをへて、いまは障害者雇用の枠組みで老人ホームの調理補助の仕事をしている。
転職のたび収入は落ち込んだ。…
有料会員限定記事 残り:1527文字/全文:2182文字