第58回 東京五輪は働く人の健康を守るためにも中止すべきである

国内外で高まる中止論

 7月23日に開会予定の東京五輪(オリンピック)中止を求める世論が国内外で高まっている。Covid-19(新型コロナウィルス)によるパンデミックが収束せず、感染者数は世界的に増加を続けているが、オリンピックの主催者たち(IOC、JOC、日本政府、東京都)は、「安心・安全」な大会運営を強調するだけで、55日前(5月27日)の現在、まだ五輪強行の態度を変えていない。

 国内マスコミ各社の世論調査では「中止」ないし「延期」を求める回答が6~8割を占め、中止を求めるオンライン署名が短期間(5/5~5/26)で40万筆近くに達している。外国のマスコミは、IOCを批判してバッハ会長を「ぼったくり男爵」と酷評したり(ワシントンポスト5/5コラム)や、国内世論ではなく「ガイアツ(gaiatsu)」でしか中止できない日本の状況を批判的に分析した(BBC5/15、5/25記事)

 こうした中、地方紙では五輪中止を求める社説・コラムが見られたが(信濃毎日5/23西日本新聞5/25)、五輪公式スポンサーである朝日新聞が「中止の決断を首相に求める」という社説(5/26)を掲載して大きな注目を集めている。

保健医療の脆弱化と医師、看護師など従事者の過密・過重労働

 COVID-19感染が拡大したこの一年半、各国の保健医療の現場は未知のウィルスによる患者の急増で逼迫状態となった。最初の医療崩壊を経験したイタリアでは、最前線で働いた医師や看護師が犠牲となり、看護師だけで10万9千人が感染し、87人が死亡した(2021年5月現在)。

 日本では、80年代以降の医療政策に基づいて急性期・重症病床を支える医師・看護師が抑制され、さらに90年代以降、保健所と関連職員が大幅に削減されてきた。新型インフルエンザの後、改善が提起されていたのにもかかわらず、安倍政権は感染症対策がなおざりにし続けた。そのため、脆弱となった保健医療体制の下で、「検査→追跡→治療」とされる感染症対策において基本中の基本である「PCR検査」を実施することができなかった。一年を経た現在、日本のPCR検査は、依然として世界最低水準にとどまっている。→詳しくは、データでみる世界各国の新型コロナウイルスの検査状況!(外部リンク)参照。

 高橋洋一氏(菅内閣の元内閣官房参与)は、5月9日のTwitterで、欧米に比べて日本の感染者数は格段に少なく「さざ波」程度という信じがたい指摘をしたが、日本の保健医療が、その「さざ波」で沈没する「泥船」と言えるほどに脆弱であったこと、その脆弱化は、80年代以降の政府自身の保健医療抑制策がもたらした結果であることにこそ注目しなければならない。

 2021年3月以降、イギリス型の変異株が増える中で、大阪府で感染者数が急増した。大阪では、政府の医療抑制政策を維新府政がさらに加速化したこともあって、平常時でも弱体化していた急性期医療体制が逼迫し、重症病床が国内でも突出して厳しい状況になっていた。そうした中での変異株による感染急増で重症病床が溢れる状況となり、感染者の10%しか入院できない深刻な状態に陥った。その結果、まもとな医療も受けられないまま自宅で死亡するという悲惨な医療崩壊状態が現出した。大阪府では5月(5/1→5/26)に720名以上が死亡したが、これは昨年3月21日以降の累計死者2217人の約3分の1に相当する(下図)。(→大阪府の状況について詳しくはEssay第56回参照)

 このように変異株による感染が急増するなかで大きな問題になったのは、東京五輪組織委による看護師500人派遣要望であった。4月25日の新聞報道があった当時、逼迫した医療現場で治療にあたっていた医師、看護師たちは、心身共に疲労蓄積が極限に達していた。この一年間の政府による不十分な対策の結果、医療現場は、人員不足の上に装備や定期的PCR検査も保障されず、日常的な感染危険の中で奮闘せざるを得ない状況であった。実際、病院内だけでなく、入院できない患者を抱えた高齢者施設で多くの感染クラスターが発生していた。政府の医療軽視の対策の結果、最前線の病院は経営難に陥り、2020年末には、医師・看護師に過酷な労働に対して特別手当や賞与を出すどころか、逆に賞与を例年より引き下げざるを得ないという信じがたい状況になっていた。過酷な労働が長期に続く中で、心身ともに限界を超えて退職する医療従事者の例が続出した。東京五輪組織委の要望は、こうした現場の状況をまったく無視する無理難題であった。

 4月28日、現場を支えている看護師の中から、「#看護師の五輪派遣は困ります」というハッシュ・タグでのTwitterデモが呼びかけられた。このTwitterデモは、短期間に51万にも達することになり、日本国内での五輪への批判の取り組みとして国内外から大きな注目を浴びることになった。(→詳しくは、看護師の五輪派遣は困ります Twitterが爆発的に広がる)この取り組みは、政府や五輪組織委が軽視してきた現場で保健医療を支える主体である労働者自身が声をあげたという点で、新自由主義の「利益=カネ優先」の思潮を「生命・生活優先」、「労働尊重」の方向へ大きく転換させる新たな画期として歴史的な意味を持っている。

エッセンシャルワーカーの過重労働 無策の日本・特別保護の米・加・韓

 2020年2月以降、コロナ対応にあたる保健所関係職員を中心にした職員が、過労死認定基準(月100時間または6ヵ月平均80時間以上)を大幅に上回る長時間残業をしている実態が多くの報道で明らかになってきた。さらに、厚生労働省を筆頭に霞が関の国家公務員の職場でも、月300時間を超える信じがたい長時間労働をする職員が存在することが報道されて注目されている。(→詳しくは、Essay第57回参照)

 国や自治体は、2014年の「過労死防止法」によって過労死を防止する先頭に立ち、「模範使用者」として民間企業に範を垂れなければならない。その国や自治体が、過労死認定ラインを大幅に超える長時間労働を職員に強いる状況は、以前からも指摘されていたが、「コロナ禍」でその状況が深刻化することになっている。これらの労働者は、住民、国民の生命・生活を支えるという意味で、きわめて公共性の高い業務を担っており、エッセンシャルワーカー(Essential Worker, =不可欠業務労働者)と考えるべきである

 世界的には、コロナ禍で社会を支えるのに不可欠な業務を担当する労働者を特別に保護する政府が少なくない。医療従事者以外にも、多くの不可欠業務担当者(essential worker)として、教師、保育、食料品店員、スーパーマーケット労働者、配達員、工場、農場労働者、レストランのスタッフなど、 在宅業務が難しい業務は、コロナ禍による移動制限措置の中でも社会を支える労働として、労働者自身と家族に大きな危険があることを認め、その担当者を特別に尊重する考え方が重視されている。具体的には、個人用感染からの保護具(PPE)、消耗品などの支給がされている。

 特別な支援策を採用する国として、カナダは、医療・介護従事者、交通・物流従事者などを不可欠業務労働者(essential worker)と定義し、政府が賃金を補助するなど賃金引き上げ策を進めている。米国も、医療・教育・交通など18分野の従事者を不可欠業務労働者に定めて、安全手当支給、雇用維持保障などを推進している。韓国は、雇用労働部が、2021年12月14日、「コロナ19対応のための必須労働者の保護・支援対策」を発表して、感染の危険を冒して、労働現場で対面業務を担当する労働者を「必須労働者」と定義し、特別な保護を図ろうとしている。

 これらの諸国の動向と比較したとき、日本政府は、不可欠業務を支える現場労働者を尊重する姿勢がきわめて乏しく、保健医療労働者やを手厚く保護することもなく、国・自治体の職員の削減政策の結果、過労死ラインを超えた異常な長時間労働を強いたまま、抜本的な対策を示していない。国・自治体職員を含む不可欠業務従事者(essential worker)の労働は、社会を支える公共サービスそのものに直結している。

五輪精神に反して労働人権を尊重しない五輪の強行は止めるべきだ

積極的意義のない2020東京五輪

 1940年、戦争を理由に中止された東京五輪は、1964年に開催されたが、敗戦国日本が国際社会に復帰する契機としての積極的な意義があった。しかし、2020年東京オリンピックには、積極的な意義を見いだすことができない。安倍前首相は、東日本大震災からの「復興五輪」を標榜したが、福島の原発被害は放置されて「復興」と言うことができず、いつの間にか「人類がコロナを克服した証としての東京五輪」に変わった。感染拡大を抑制できず、死者が昨年秋から倍増した現在、「コロナを克服した証」ということできなくなった。

 他方、1964年以降、オリンピック自体が、商業主義、金儲け主義に堕落した。「五輪貴族」が牛耳る五輪は、利権、賄賂が蠢く怪しげな組織に変貌した。米国の新聞が「ぼったくり男爵」と呼ぶほどに批判を受ける現在のIOCは、国際的には無邪気な日本国民が思う、崇高なオリンピズムを謳う輝かしい国際組織とは大きく異なる怪物的存在になっている指摘されている。国威発揚を目指す独裁的な国家や新興国家を別にして、五輪開催によって住民は大きな負担を強いられて、大きな社会問題を引き起こしている。引き受け手が少ない中、日本政府は手を挙げたが、その影には一部企業との癒着があると指摘されるように、それ自体が大きなボタンの掛け違えであった。(→本間龍「IOC」と「五輪貴族」を支える商業的システムの実態

 五輪は、莫大な予算を浪費し続けて、今となっては遅きに失した感が強いが、東京五輪開催強行は、以下の点から、無理であり、その弊害がきわめて甚大であると考える。とくに、働く人々が人間らし働き、暮らすという視点からは、その中止以外に選択肢はない。その理由は次の5つである。

パンデミックと五輪は矛盾

 第一に、国際的にCovid-19によるパンデミックは終わっていない。5月24日、WHO(世界保健機関)総会で、アントニオ・グテレス国連事務総長が、世界がCovid-19との「戦争状態」にあり、340万人余りが死亡し、約5億人の雇用が失われ、最も弱い立場にいる人々が最も苦しんでいると指摘した。富裕国がワクチン接種で経済を開放する一方、最貧国ではウイルスが変異を起こして深い苦難をもたらし続けている不公平な状況について強い憂いを表明した(AFP2021.5.24)。また、WHOのテドロス事務局長も、米国、欧州、イスラエルなど10ヵ国が、世界のワクチン接種の75%を占めており、これを「恥ずべき不公平」だと批判した(読売新聞2021.5.24)。実際、5月22日現在、世界の感染者は毎日約60万人、死亡者は約1万2千人を数え、インドは約4千人の死亡者、南米、アジア、アフリカでは感染の波はきわめて高いままである。このような状況下では、代表選出や事前練習でも国・地域による格差が過度に大きく、公平・平等な競技会にならず、あえて五輪を強行することは不適切である。開催を強行することは、「人間の尊厳の保持に重きを置く平和な社会の推進を目指す」ことを目的とし、「すべての個人はいかなる種類の差別も受けることなく、オリンピック精神に基づき、スポーツをする機会を与えられなければならない」とするオリンピズムの根本原則に反している。

感染拡大を抑えられない日本

 第二に、日本の感染症対策や公衆衛生体制の不備である。看護師や医師など、医療現場からきわめて深刻な状況についての指摘と改善の要望があるのに、政府与党は逆に、①病床削減を内容とする医療法改悪を推進し、②看護師の労働者派遣を拡大し、③医師・看護師の増員でなく、過労死認定水準をはるかに超える長時間労働の現状を容認する姿勢を変えていない。感染症についての無策を反省するのでなく、従らからの医療抑制策を維持し、感染症や公衆衛生対策を本気で見直す姿勢を示していない。このような本気での感染症・公衆衛生対策をとらない、とれない日本政府が、「イギリス株」、さらにはより危険とされる「インド株」といった変異株が広がりつつある状況で、十分な対応ができるのかきわめて心許ない。

 実際、欧米のマスコミや科学者は、日本政府の無策を見逃していない。そうした日本での五輪開催による感染拡大の不安を払拭していない。最近、アメリカ・国務省は5月24日、感染者が急増した日本について、「渡航警戒レベル」を4段階とし、最も厳しい「渡航中止の勧告」に引き上げ、同国・疾病対策センター(CDC)は、「日本の現状を踏まえると、ワクチン接種を完了した旅行者でも変異種に感染したり、それを広めたりする危険性がある」と警告した(BBC2021.5.26)。さらに、アメリカの医学誌は、IOCの五輪開催方針は最善の科学的根拠に欠けることを批判したという(日経新聞2021.5.27)。

 日本政府は、今になってワクチン接種を急いでいるが、この一年間、PCR検査の拡大にきわめて消極的な態度に終始した。今年になって、変異株が広がっているのに必要な検査を実施せず、その発見が遅れて感染拡大を止められなかった。そして、逼迫した保健医療の現場を改善にすることをせず、むしろ、逆方向の政策を進めている。このような現状では、菅首相をはじめ五輪推進の関係者がいくら「安心・安全」を叫んでも、とても信頼することはできない。朝日新聞の社説が指摘する通り、五輪強行することは「賭け」である。東京五輪で万が一にも、3月の大阪府のように感染爆発が発生して、医療崩壊が東京だけでなく日本全体、さらには外国にまで広げて「変異株五輪」、「感染五輪」、「クラスター五輪」となることは許されない。

公共サービス後退を浮き彫りにした五輪強行

 第三に、未曽有の「コロナ禍」が明らかにしたのは、公共サービスの脆弱性である。本来、五輪を引き受けるには、平時を上回るだけの国・自治体の現場を担う労働力を確保する必要がある。しかし、日本政府や自治体が、長年進めてきた新自由主義政策では、「小さな政府」論に基づいて「公務員削減」「民間委託化」が重視された。その結果、国・自治体が公共サービスを担う、経験ある公務員や不可欠業務労働者を過度に減らすことになった。つまり、日常的に増加する業務に対応する人員が不足する現場で、さらに五輪が負担を増やし、並行して「コロナ禍」が発生したのである。「人員削減」「五輪」「コロナ禍」の三重苦の厳しい現場の実態を直視しなければならない。大阪府・市が、医療崩壊に至った原因としては、三重苦に加えて、さらに他自治体にはない「都構想住民投票」「カジノ」「万博」関連の独自業務まで加わった「六重苦」が、人員不足に輪をかけ、その結果、悲惨な医療崩壊が生じ、給付金事務でも全国最悪の停滞状態を生んだ。

 こうした人員不足があれば、欧州諸国では労働組合を通じた大規模な抵抗(ストライキなど)を生むが、日本の現実では労働組合が弱体化したこともあって、過度な長時間残業という形になって現れている。しかも、前述した通り、残業としての申告が行われない「サービス残業」という形になって潜在化している。この長時間労働は、まさに、日本労働社会における「宿痾(しゅくあ)」である。日本政府は、これを治すどころか、自らが使用者である公務員の長時間労働、サービス残業を放置し、さらに拡大し続けてきた。日本の「労働後進性」は、Karoshiなどで国際的にも広く知られるようになってきたが、東京五輪を通じて、さらにエッセンシャルワーカーを尊重せず、劣悪な労働を強いる実態が海外にも広く知られることになった。

過労死五輪は許されない

 第四に、働く者にとって安心・安全でない五輪になりかねない。これについては、既に国際的に問題となってきた。これまでのオリンピックでは、施設建設が急がされる中で労災・事故が多発した。東京五輪でも、作業員が複数死亡した事例、国立競技場の建設で極度の過労で男性が自殺した事例、熱中症での死亡例があって、「国際建設林業労働組合連盟(BWI)」が調査するなどの動きがあった。同労組は、五輪関連の建設現場で、期限に迫られて安全が軽視され、死亡事故が続いていたことから、東京五輪についても監視をしたのである。案の定、東京五輪でも心配された労災死亡が発生していたのである。

 東京五輪は、当初から猛暑時期の開催で、熱中症の危険が憂慮されていた。IOC自身、マラソン会場を突然、東京から札幌に一方的に変更した。しかし、最近になって(5/22)、五輪組織委内部で働く職員(弁護士)が「死ぬほどサービス残業している。23時過ぎても秒でメールの返信が来る。」とTweetをアップして、大きな反響を呼んだ。自らの職員を過労死ラインを超えて働かせ、サービス残業をさせている組織委に、安心・安全を守る姿勢があるとは信じられない。

労働人権無視の日本に五輪実施の資格はない

 本来、労働人権を尊重しない労働後進国日本には五輪開催の資格はなかった。過労死ラインを超える残業は、政府・自治体、民間大企業でも蔓延し続けている。マスコミも例外ではない。労働基準法などの最低法定労働基準さえ遵守できない「労働後進国」日本が五輪を開催すること自体が矛盾している。五輪実施を優先して、働く人を過労死させてはならない。過労死五輪となることは許されない。

 労働、社会権をめぐって世界は大きく変化してきた。1964年東京オリンピックの高度成長の時期を経て、80年代以降の新自由主義の労働規制緩和への各国の政策の大転換を経て、労働人権は世界でも停滞・後退の時期を迎えた。しかし、ILO、OECD、EUなどの国際機関・組織は、90代後半から社会的格差や不安定雇用の見直しへ再転換して、「雇用脆弱層」の保護や「社会権」保障へと大きく舵を切った。ところが、日本は、95年の日経連「雇用三分化」論などの規制緩和の考え方を局限化し、規制緩和見直しは2009~12年の短期間の中途半端なものにとどまった。

 その後現在まで、息を吹き返した労働規制緩和路線が、「働き方改革」を偽装して継続している。その結果、OECD諸国の中で日本は、「ガラパゴス化」したと言えるほどに労働人権を無視・軽視する「労働後進国」に転落した。日本における労働人権の低劣さは、①非正規雇用の割合(4割)、②長時間労働・サービス残業、③低賃金、④男女差別、⑤ハラスメント、⑥労働組合組織率・協約適用率低下、⑦不当労働行為の蔓延、⑧官公労働者の労働基本権制限、⑨名ばかり個人事業主化など、状況が酷似した韓国と最下位を争っている。

 日本政府、日本企業は、依然として時代錯誤的な人権無視の日本社会の現実を自覚していない。その日本が人権重視の五輪精神を踏まえた五輪を開催をすること自体に根本的矛盾が含まれている。商業主義のIOCと、人権無視の日本が利権目当てに五輪を通じて癒着したことは崇高な五輪精神とは裏腹に醜悪至極であり、余りにも欺瞞的である。今となっては「中止も地獄、実施も地獄」という指摘がある。しかし、最も優先される価値は人々の健康・生命であることを考えたとき、東京五輪は中止するしかないと考える。

この記事を書いた人