「不死身の特攻兵」鴻上尚史(講談社現代新書)を読んで

 鴻上尚史と言えば、私達世代にとってオールナイトニッポンなどで、一世を風靡した人物である。その鴻上尚史が特攻兵に関する本を出したという。出版されたのが2017年であるから既に5年になる。3年前、この本を手に取る機会があった。

 この本に関する書評などは流布されており、今更、感想を書いてどうなることでもないような気がする。しかし、歴史というものは、語り継がなければ、繋がらないものである。

 この本の中で取り扱われているのは佐々木友次さんである。彼は、9回の特攻出撃で、9回とも生きて帰還している。

陸軍特別攻撃隊は海軍神風特別攻撃隊に対抗する形で指揮された、という視点で史実が語られている。その中で、特別攻撃隊に選ばれた飛行兵が特別攻撃を強制されていた事実が淡々と書かれている。

 本書の中に「技術を磨くことが、自分を支え、国のために尽くすことだと信じてきた。だが、「体当たり攻撃」は、そのすべての努力と技術の否定だった。」「なおかつ、与えられた飛行機は、爆弾が機体に縛り付けられていた。参謀本部は、(中略)体当たりするしかないように改装したのだ。」とある。そのような状況で、爆弾を落とす方法があることを、佐々木さんの上官・岩本隊長が共有していた。爆弾攻撃を敢行し、生きて帰る、兵士として当然の行為を行うことが、参謀本部が立てた命令に違反することになる、そのような状況であったのだ。

 佐々木さんは、敵艦船に対し爆弾攻撃を行い、帰投する。大本営は、戦果を割増し、そして、佐々木さんは戦死したことになる。故郷では、葬儀が行われ、軍神として崇められた。軍神の家との道標が立てられ、伝記の編纂が計画された。「特攻隊」が社会システムに組み込まれていたということがよく分かる。

 9回目の出撃も計器不調で、佐々木さんは帰投する。その佐々木さんが将校に罵られていたのを見た、池田さん(伍長)は「ぼくはこの時、はっきりと、特攻隊という言葉から来る重圧感から解放されて、命のある限り戦うことを固く心に決めました。」「池田伍長は、翌21日、特攻隊として出撃した。が、体当たりすることなく、生還した」。つまり、特攻隊として出撃しても、生還しようとした人がいた。

その後、飛行機がないことから、地上で過ごすことになった佐々木さんは、そのまま敗戦を迎えるが、捕虜収容所で新聞記者から、敗戦直前に佐々木さんに殺害命令が出ていたことを聞かされる。特攻隊で死んだことになっている佐々木さんが生きていては困る、ということだったのだ。そもそもこのような理屈が成り立つ事自体が、組織として体をなしていない。

 戦争が終わって、戦後の組織になっても、間違った組織の決定であっても決められたこと、既に行われたことに対して、組織のメンツを守るために過ちを繰り返していることはよくあることだ。本書は後半で、現代日本社会が持っている矛盾を論じている。戦争中の特攻隊という組織の中で矛盾を感じ、指摘し続けた航空兵の問題提起を、現代社会の問題としてリアルに提起した鴻上尚史氏の視点は、私たちの社会を見る目を活性化してくれるのではないか、と思う。

 ちなみに、2021/8/15(日)のヤフー記事で、「これだけあった〝特攻隊員に覚醒剤〟外道の証拠 「チョコ包むの見た」証言から元教員が追跡」という記事が出ていた。ここには特攻隊の出撃前に食したとされる「機能性食品」について書かれている。特攻隊の本質を知る手がかりとなるのではないだろうか。
https://news.yahoo.co.jp/articles/ec2358d65039c2cabb217440f3db353ff6a15628

この記事を書いた人

伏見太郎