『神々と男たち』/「死」、この絶対的なもの

★1996年にアルジェリアで実際に起こった、修道士の誘拐・殺害事件を題材にしたフランス映画である。2010年にカンヌ映画祭でグランプリを受賞している。監督はグザヴィエ・ボーヴォワ。

★アルジェリアの山間部にあるカトリックの修道院が舞台。戒律の厳格なシトー派に属する、8人の修道士(フランス人)たちの日常の姿を、カメラは映し出す。修道院の裏に畑を作り、それを糧(かて)として自給自足の生活を営む。彼らは、礼拝と聖歌を歌う以外は沈黙し続け、神への儀式をこなしていく。しかし、修道院のある村の、貧しい人々への奉仕は、優しく話しかけ、微笑みながら行う。修道士の中には、医師免許を持った人もおり、無償で治療にあたる。村人はイスラム教徒だが、心から修道士を頼っている。静寂に満ちた修道院と、アルジェリアの荒涼とした景色が奇妙なほど溶け合う。

★こうした平穏無事な日々も、1990年初頭に勃発(ぼっぱつ)した内戦によって、修道士たちに身の危険が迫ってくる。物語の前半、イスラム原理主義と思われる武装集団が工事現場に現われ、そこで働く12人クロアチア人を鋭利な刃物で惨殺する。そこから一気に緊張感が高まる。アルジェリア政府は県知事を介して、帰国を命ずる。村人は行かないでほしいと懇願する。彼らを見捨てることはできない。しかし、残れば、確実に「死」が、そこにある。修道士たちは迷う。残るべきか否か。彼らは、苦悩ながら修行を続ける。

★アルジェリアは19世紀初頭(1830年)から、フランスに植民地にされていた。1954年、アルジェリア国民の中に、「民族解放戦線」が結成され、独立戦争を起こす。戦争は約7年に及び、1962年に独立を果たし、「民族解放戦線」が政権の座につく。しかし、同政権は、旧ソ連型の一党独裁を強め、国民に政治的自由を認めなかった。こうした政治が続く中で、政治は腐敗し1980年代後半に経済政策は失敗する。約50%の失業者率となり、貧困が拡大する。国民の、政治に対する怒りが一気に高まる。1989年、政府は、この国民の怒りをかわすために複数政党制を認めた。同年、貧困層と都市知識層を中心に「イスラム救済戦線」が結成される。この「救済戦線」は、イスラム教を基礎(イスラム原理主義)にした国づくりをかかげ、1991年末の選挙では第1党になる。ところが、1992年始めに、政府と軍部が結託して選挙を無効にし、「イスラム救済戦線」の指導者たちを逮捕する。そして、同「戦線」を解散させてしまう。これを契機にして、貧困層の青年たちを中心にテロ組織(武装イスラム集団)が結成され、政府要人や軍の幹部を暗殺する。それが外国人にも及ぶ。とくに異教徒であるキリスト教関係者が標的にされる。1992年以降、アルジェリアは内戦状態が続く。

★クロアチア人が襲われて以後、聖職者たちに身の危険が迫り、彼らの心は揺らぐ。カメラは彼らの表情を直視する。克明に、容赦なく。歴史大作といわれる映画にありがちな、殉教死する信者たちの、その晴れやかな表情のまま、「死」を迎えるというような、そんな甘さは微塵もない。

★修道院に残るかどうかを決める会議をする。この国を去るか、それとも残るか。何人かの修道士は、それを決めかねる。リーダーは言う。修道士としての日々の務める中で。もう一度、自らの心に問うてみよう、と。その自問自答に耐えかねた修道士が夜中に泣き叫ぶ。その声を他の修道士が各人の部屋で聞く。泣き叫ぶ者、それを聞く者の顔が映し出される。そして彼らは意思を固めていく。

★数日後、全員は残ることを決める。その夜、チャイコフスキィーの「白鳥の湖」のテープをかけながら食事をとる。それを聴き、食事をする一人ひとりの笑顔が、やがて涙に変わっていく。そして、真夜中にテロ集団が乱入してきて、彼らは拉致される。

★強く印象に残ったところがある。知事が修道士を呼びつけ、帰国命令書を渡すときだ。知事は言葉を荒げて言う。テロや内戦状態になった、その根本原因は、「フランスのせいだ」と。この言葉の意味は重い。他国を侵略し、植民地化しするなど、その国の人々を蹂躙してきた本質を暴き、それをズバリという映画は、少ない。
2011.4.27 月藻照之進

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