1.総括
経団連は、2012年1月24日に「経営労働政策委員会報告」(以下「報告」)を発表した。 全文はこちら
「報告」は、日本経済が復活と転落の明暗を分ける崖っぷちに立っている危機感に欠ける。こういった時期だからこそ経営者団体として傘下企業に対し、「経営者の確固たる信念と明確なビジョン」を示し、指導力を発揮すべきである。経団連が策定している「企業行動憲章(2010年9月14日)」の前文では「企業は、公正な競争を通じて付加価値を創出し、雇用を生み出すなど経済社会発展を担うとともに、広く社会にとって有用な存在でなければならない」と宣言している。是非とも、この精神を広く指導し・実践してもらいたい。そうでなければ、社会の信認を受けることは到底できず、経団連の存在価値を問われかねない。
また、従前からの総額人件費抑制に拘泥し、定期昇給制度といった長年労使で積み上げてきた制度にまで踏み込んだ主張をしている。これは、労働条件の不安定化をもたらし、労使の信頼関係をも揺るがすものであり、断じて認められない。「経営者と従業員が力を一つにあわせる」ことが必要であるとするならば、戦後の先達の血の滲むような努力と積み重ねによって確立された産業民主主義の在りようを踏まえた主張をする必要がある。しかし、「報告」は短期的な、しかもコスト削減といった短視眼的な経営しか考えていない。これまで組合員は、復旧・復興のために苦労し、努力もしてきたところである。そしてこれからもその努力を続けていかなければならない。この状況でそのことに報いなければモチベーションはどうなるのか。中長期的に人を育成していかなければどうなるのか。額に汗して働く人々の労働と生活の改善の意欲に応えるととともに中長期的なスパンのなかで構造的な問題の解決や、社会的水準到達のための格差是正などについて、きちんと交渉するという当たり前の姿勢こそが尊重されなければならない。にもかかわらず、「報告」は、ミクロレベルの賃金抑制だけに埋没した主張を繰り返している。「競争力の源泉が人材にある」と自覚しているのならば、「コスト削減」一点張りの頑なな態度は変えるべきである。以下、今次闘争において具体交渉を展開する観点から、看過できない点について見解を付しておくこととする。
一つ目は、「報告」には、「デフレ」イコール「労働者への分配不足」と「円高」の犯人であることの認識がされていない。東日本大震災からの復旧・復興、欧州のソブリン問題等、厳しい環境のなかで、何よりも今年こそは日本経済がデフレから抜け出せるような経済政策・社会政策を総動員することが必要である。このことは労使共通の課題であると言える。しかしながら、「報告」では、日本再生=企業活性化と断定し、(経営側の主張する)六重苦の解消を社会全体で切り抜けていくとしているが、厳しい経営環境のなかで経営側が自らの努力で克服しようとする意気込みが感じられない。しかも、総額人件費抑制の姿勢を変えず、相変わらずコスト削減、短期的利益に執着するばかりである。これでは配分の歪みを生み出し、格差を拡大した「失われた20年」を繰り返すだけである。
この間に積みあがった課題は、わが国経済社会の再生という切り口で捉えなければ解決できない。「わが社だけがうまくいけばいい」という発想で対応をしても、それらの課題は根本的に解決しない。社会への貢献を果たす社会の公器という自覚があるなら、企業はそれを体現する行動をとるべきである。何をもってGDPを増やし、デフレから脱却していくのかと言ったマクロの視点から課題に応えることなくして、何のために社会に対して「経労委報告」を提起するのかと言わざるを得ない。
二つ目は、「報告」には「格差社会」の現実に対する記述がほとんどなく、これまでの「雇用のポートフォリオ」にもとづく、行きすぎたコスト削減主義の経営姿勢についての反省がみられないことである。「格差社会」の原因の一つは、この間の企業行動にあり、雇用形態による処遇の格差が解消されないままに非正規労働者が増大したことにある。経営者は労働者の犠牲の下にバブル崩壊後の経営危機を乗り切ってきたのである。その意味においても、格差社会の是正を図り、応分の負担をしなければならない責任を持っている。非正規労働者の処遇を改善するとともに、正規労働者への転換を積極的に進めていくことが、経営側としての社会的責任である。経営者団体として、これまでの経営姿勢について反省するどころか一顧だにしていないのでは、社会の信認を受けることは到底できない。
三つ目は「報告」は「企業人材の育成」を掲げているが、安定的な雇用関係を通じた「人的資源投資」こそが、日本企業の強みであり、経団連が盛んに主張する「国際競争力」の源泉であることを肝に銘じるべきである。しかし、「報告」は一方で雇用の流動化についても主張しており真意が図りかねる。
「報告」は「生産性向上」「チームの強み」と労使協調の必要性を強調しているが、企業社会では市場原理主義指向が強まる中で、雇用関係、労働関係の個別化、個人化が進み、「連帯と相互の支え合い」といった協力原理が働かなくなっている現状もある。
「長期的な視野」に立った「人間尊重」の経営を主張するのであれば、これまで労働者をモノ扱いし、労働の尊厳や人間性とは無縁の「働かせ方」をしてきた経営姿勢を改め、人間らしい、ぬくもりのある経営へと転換していく必要がある。危機感を煽り、自分に都合のよいときだけ労使の協調性をことさら訴えるようなやり方に同調することはできない。
今次労使交渉でどこまで踏み込み、そしてどういった結果を引き出すのかが、今後の日本経済のカギを握る。経団連は、雇用と労働条件を長期的に安定させ、積極的に人への投資を行い、きちんと「人材」を育てあげていくことの重要さを政府に対し、また、世の中に向けて発信していくことが重要である。経団連は財界代表として主導力を発揮すべきである。そうでなければ経営者団体としての鼎(かなえ)の軽重を問われることになる。