朝日DIGITAL 2017年8月23日
http://digital.asahi.com/articles/ASK8Q6FFBK8QIIPE02L.html
亡くなった男性の仏壇に手を合わせる妻
2015年12月に自殺した、小樽掖済(えきさい)会病院(北海道小樽市)の臨床検査技師の男性(当時34)は、直前の1カ月間の時間外労働が188時間だった。遺族の申請を受けた小樽労働基準監督署が労災認定。遺族は今年2月、損害賠償を求めて提訴した。遺族は「責任の所在をはっきりさせたい」と言う。
病院職員の過労自殺、労災認定 時間外が月188時間
訴状によると、男性は2005年に同病院に就職。15年7月ごろから、病院の新築移転に伴って導入される電子システムの構築作業などを任されて残業が常態化した。うつ病を発症し、同年12月に病院の屋上から飛び降りて自殺した。
小樽労基署の認定では、自殺直前の半年間で時間外労働が100時間を超えた月が4回あった。
遺族は今年2月、病院を運営する一般社団法人日本海員掖済会に約1億2566万円の損害賠償を求め札幌地裁小樽支部に提訴した。訴状で、原告側は「被告は過酷な長時間労働を把握していながら放置し、業務量を調整する安全配慮義務を怠った」と主張している。
小樽掖済会病院は取材に「労災認定を受けたことは真摯(しんし)に受け止めており、残業時間を短縮するなど労働環境の改善を進めている。詳細な主張などは係争中のためコメントできない」としている。
◇
月188時間にのぼった時間外労働。過酷な勤務で次第に食欲をなくし、やつれていく様子を妻(32)は見ていた。普段は弱音を吐かないのに、「仕事を辞めたい」と漏らしたこともあったという。幼い子ども2人を残し、自ら命を絶つまで追い詰められたのはなぜなのか。「裁判で責任の所在をはっきりさせたい」と妻は話す。
真面目で優しい夫だった。列車ではお年寄りに席を譲り、子どもが夜泣きをしたときは必ず起きてきて面倒をみてくれた。「責任感が強く、任された仕事を断れなかったのかもしれない」と思う。
帰宅はどんどん遅くなり、入浴中に寝てしまうこともあった。食事を残すようになり、ほおはこけていった。
子どものことをいつも一番に考えていた。夢は成長した息子と2人でキャンプに行くこと。テントも買っていたが、かなわなくなった。夫の棺とともに帰宅すると、自宅に手紙が届いた。夫からで、「結婚して子どもが生まれて幸せだった」「ごめんね。今までありがとう」と書いてあった。
自殺の数週間後、息子を叱ると、「パパー」と声をあげて泣き続けた。夫はもういないと実感し、悲しみがこみ上げた。「ごめんね」と息子を抱きしめた。
病院から謝罪はないという。「優しい夫が大好きで、ずっと一緒に生きていくと思っていた。幸せな時間だったのに奪われてしまった。とにかくその責任を取ってほしい」(布田一樹)
http://digital.asahi.com/articles/ASK8Q6FFBK8QIIPE02L.html
亡くなった男性の仏壇に手を合わせる妻
2015年12月に自殺した、小樽掖済(えきさい)会病院(北海道小樽市)の臨床検査技師の男性(当時34)は、直前の1カ月間の時間外労働が188時間だった。遺族の申請を受けた小樽労働基準監督署が労災認定。遺族は今年2月、損害賠償を求めて提訴した。遺族は「責任の所在をはっきりさせたい」と言う。
病院職員の過労自殺、労災認定 時間外が月188時間
訴状によると、男性は2005年に同病院に就職。15年7月ごろから、病院の新築移転に伴って導入される電子システムの構築作業などを任されて残業が常態化した。うつ病を発症し、同年12月に病院の屋上から飛び降りて自殺した。
小樽労基署の認定では、自殺直前の半年間で時間外労働が100時間を超えた月が4回あった。
遺族は今年2月、病院を運営する一般社団法人日本海員掖済会に約1億2566万円の損害賠償を求め札幌地裁小樽支部に提訴した。訴状で、原告側は「被告は過酷な長時間労働を把握していながら放置し、業務量を調整する安全配慮義務を怠った」と主張している。
小樽掖済会病院は取材に「労災認定を受けたことは真摯(しんし)に受け止めており、残業時間を短縮するなど労働環境の改善を進めている。詳細な主張などは係争中のためコメントできない」としている。
◇
月188時間にのぼった時間外労働。過酷な勤務で次第に食欲をなくし、やつれていく様子を妻(32)は見ていた。普段は弱音を吐かないのに、「仕事を辞めたい」と漏らしたこともあったという。幼い子ども2人を残し、自ら命を絶つまで追い詰められたのはなぜなのか。「裁判で責任の所在をはっきりさせたい」と妻は話す。
真面目で優しい夫だった。列車ではお年寄りに席を譲り、子どもが夜泣きをしたときは必ず起きてきて面倒をみてくれた。「責任感が強く、任された仕事を断れなかったのかもしれない」と思う。
帰宅はどんどん遅くなり、入浴中に寝てしまうこともあった。食事を残すようになり、ほおはこけていった。
子どものことをいつも一番に考えていた。夢は成長した息子と2人でキャンプに行くこと。テントも買っていたが、かなわなくなった。夫の棺とともに帰宅すると、自宅に手紙が届いた。夫からで、「結婚して子どもが生まれて幸せだった」「ごめんね。今までありがとう」と書いてあった。
自殺の数週間後、息子を叱ると、「パパー」と声をあげて泣き続けた。夫はもういないと実感し、悲しみがこみ上げた。「ごめんね」と息子を抱きしめた。
病院から謝罪はないという。「優しい夫が大好きで、ずっと一緒に生きていくと思っていた。幸せな時間だったのに奪われてしまった。とにかくその責任を取ってほしい」(布田一樹)